179# 興味
ムーンフェイス養蜂場の経営責任者——謎の少女ラースは事故死した。
ライトレス領の経済の一翼を担うまでに急速に成長していた養蜂場。
その経営指揮を取っていた者の突然死。
ライバル店による妬みや怨嗟による謀殺かと囁かれたが、真偽は不明。
ただし、ムーンフェイスの社員、役員達は、彼女の事を随分信頼していたらしく、その死を痛く悲しんだ。
ラースの葬儀は、ローファスの指示にてムーンフェイス養蜂場の関係者のみが集められ、内々的に行われた。
「…念の為に申しておきますが、私ではありませんよ? 確かに神童ラースの存在は、商売上目の上のたんこぶではありましたが、彼女は他でもないローファス様の縁者でしたし。あの、本当に殺害計画などは立てていませんでしたから——」
葬儀の場で必死に身の潔白を訴えるミルドは、ローファスからして鬱陶しくありつつも、愉快な存在であった。
ちょっと必死過ぎて、実行していないまでも実は裏で計画していたのではと勘繰ってしまいそうではあったが。
確かにライトレス領の経済を一手に握るミルドからすれば、廃業寸前だった小さな養蜂場を経済を担う程に急速成長させたラースという存在は、この上なく不気味で、ともすれば目障りな存在だった事だろう。
何気に、ラースの死を一番喜んでいるまである。
そんな姿勢が残されたムーンフェイス養蜂場の社員らの反感を買ったようで、葬儀場から早々に叩き出されていた。
ラースの遺体が入った棺が埋められるのを見届け、養蜂場の社員らに激励の言葉を掛けつつ、ローファスは墓地を後にした。
その帰路、ライトレス領本都行きの汽車。
一等車両の個室にて揺られるローファスは、頬杖を突いて窓から風景を見ていた。
変わり映えしない過ぎ行く草原の光景にも飽きてきた頃、ふと扉に人の気配を感じた。
扉に嵌め込まれた曇りガラスの窓に、一瞬ふわりとストールの影が映る。
魔力は感じないが、そのストールは見覚えのあるもの。
ローファスは眉を顰めつつ、扉を開けて通路に出た。
同時、通路の先——後続車両に続く扉ががちゃんと閉まる。
扉が閉まる瞬間、見覚えのある柄のストールがはっきりと見えた。
あのストールは、いつもリルカが身につけているもの。
ローファスは早朝、誰にも言わず屋敷を出た。
リルカやユスリカ、カルロスにすら声を掛けず。
元よりラースを匿っていた事は、アベルやリルカには伝えていない。
ラースの葬儀に訪れたのはローファスのみ。
まさかつけられていたのか、とローファスは溜め息を吐きつつ、何故か後続車両へと行ってしまったリルカの影を追いかける。
ラースを匿っていた事、そして自死によりその御霊を逃してしまった事をなんと説明したものかと、頭を悩ませながら。
どういう訳かリルカは逃げ続け、ローファスは首を傾げながらも律儀に追い掛ける。
客車を抜け、長い長い貨物車の狭い通路を抜け、そして遂には列車の最後尾に辿り着く。
最後の扉を開け——しかしそこに、リルカの姿は無かった。
落下防止の手摺りがあるのみ。
魔力遮断でもしているのか、相変わらず魔力は感じない。
見失った——否、逃げられた。
揶揄っているのか、はたまたラースの存在を隠していた事を怒っているのか。
どう機嫌を取ったものかと手摺に寄り掛かり、ぼんやりと風を感じていると、ローファスは背後より、そっと抱き締められた。
「いっけないんだー、ロー君。恋人に黙って、他の女の所に行くなんてー」
ふわりと感じる、ほんのり甘いリルカの匂い。
少し怒っているような、拗ねているようなリルカの声。
ローファスはそれに——高密度の魔力波で返した。
突然の過激な返礼に、リルカは慌ててローファスから離れた。
「ち、ちょっとロー君!? 大事な恋人になんて事をするんだ」
驚くリルカ。
ローファスは怒りの形相で振り返り、その人物を冷たく睨む。
「…誰だ貴様」
「誰って…見ての通りリルカだよ。君の大事な大事な恋人の」
僅かに神力が散り、リルカの存在感が薄れた。
その正体を看破したローファスはスッと目を細め、呆れた様子で肩を竦める。
「《神》は嘘を吐けない。その事を初めて俺に教えたのは貴様だったな——風神」
「あー…そうか。まあ、リルカと名乗るのは嘘になるか。ミスったなー」
リルカの姿は薄れ、ローブを纏った幼いエルフ——風神リリララが姿を現した。
《神》は嘘を吐く事が出来ない——これは世界のルール。
しかし《神》は、そのルールを犯す事が出来る——今し方風神がしたように、神力を消費する事で。
「僕は色々と縛りに鈍くてね。今みたいにうっかりルール違反してしまう事が多いんだよ。お陰で神力もかつかつさ」
やってしまったと笑う風神に、ローファスは鼻を鳴らす。
「《神》にとって神力は存在そのもの。消費したらそれまで。年月を経る事でしか回復しない。故に《神》は、余程の事がない限りは神力の消費を抑えるものだ。神力が完全に失われた場合——《神》は存在を保てなくなり、滅びる」
それなのに、とローファスは風神を見る。
「神力の無駄な消費…馬鹿なのか貴様」
「あー…その詰め方とか目付き、凄いエイスに似てる。血は争えないねぇ」
じっとローファスを見据え、頬を赤らめてにんまりと笑うリリララ。
ローファスは顔を引き攣らせ、リリララから距離を取るように身を引いた。
リリララは仕切り直すようにコホンと軽く咳払いをする。
「自力…という訳ではないが、《神》へと至った君だ。以前僕が言った、“《神》であるという事は、世界に縛られると言う事”——この意味を正しく理解した事だろう。契約と、その重要性についてもね。僕がここに来たのは、僕と君の間で交わされた契約を履行する為だよ」
「契約…」
風神との間で契約などしただろうか、とローファスは眉を顰める。
記憶を遡るも、明確に契約を取り交わした覚えはない。
しかし一つ——以前風神から言われた言葉を思い出す。
“君にある事をして欲しい。その見返りに、僕は今後、どの様な未来が訪れようと、ローファス・レイ・ライトレスに味方しよう”
その後に告げられたのは、なんとも巫山戯た一つの願い。
しかしローファスは、激昂してその願いを突っぱねたと記憶している。
「…あの巫山戯た願いは拒絶した。あれを契約というなら、決裂した筈だが」
「そうだね、でも僕はその後にこう言った。この場で返答する必要はない、とね。そして君は——僕の願いを聞いてくれた」
ローファスは不快そうに眉を顰める。
「貴様の願いに沿ってそうしたのではない」
「ならば尚、素晴らしい。僕の願い通り——君とリルカは、互いを想い合う仲となった」
風神の願いとは、ローファスとリルカが番に——恋人となる事。
確かにローファスとリルカは、恋人関係となった。
しかしそれは、ローファス個人の意思であり、断じて風神が願っていたからそうしたのではない。
「同じ事だよ。その結果を僕は望み、君はその様に動いてくれた。だから僕は、契約通り君に全面的に協力しよう」
「協力、と言われてもな。当時と今では状況が違う」
風神と話していた当時、ローファスはアベルとその勢力を、いつか自身を殺す可能性のある敵と考えていた。
しかし今は違う。
アベルとは一定の協力関係を築き、敵は《闇の神》と定めている。
かつてはアベル勢力に加護という力を与える六神を煩わしく思っていたものの、今となっては寧ろ加護を与えて全体的に戦力強化を図って欲しいとすら思っている。
そんな中で、神力かつかつ——つまり《神》として役に立たないと公言している風神から全面的協力を得た所で、大した力にはならない。
そんなローファスの内心を見透かすように、風神は微笑んだ。
「察しの通り。僕はもう《神》としてはそれ程役に立たないだろう。でも、それでも色々と君の役に立つと思うよ? 例えば——君の計画とかね」
「…」
計画——《闇の神》を滅ぼす為、ローファスが進めている計画。
しかしそれは、誰にも気取られる事無く水面下で進められているもの。
計画の全容も、協力者となったテセウスにしか話していない。
話したのはテセウスの世界——《神界》内での事であり、如何なる神格であろうと盗み聞きは不可能。
他言しないという縛りを自らに課したテセウスが漏らした、というのも考え難い。
当然、風神が知っている筈もない事。
「…なんの話だ」
「そう恐い顔をしないでくれ。心配しなくとも、《闇の神》には漏れていない」
「貴様…!」
《闇の神》という単語が出た時点で、風神の言葉がでまかせではないとローファスは断定する。
一体どこで、どうやって知り得たのか。
いや、そもそも誰の耳があるかも分からないこんな所で話して良い内容ではない。
それ以上喋らせまいと風神を取り押さえるべくローファスは手を伸ばすが、風神はその身を空へと変えてすり抜ける。
『大丈夫。ここでの会話が外に漏れる事はないよ』
まるでやんちゃな孫でも宥める様な口調で、風となり宙を漂う風神はぽんぽんとローファスの頭を撫でた。
ふと、ここでローファスは気付く。
周囲の光景が変化している事に。
今の今まで列車の最後尾に居た筈であったが、そこはまるで古びた遺跡の通路。
石造りの床や壁、天井は高過ぎて見えない。
灯りはないが、ローファスの目は《神》としての特性上、暗闇でも見通す事が出来る。
「《神》の領域——《神界》か。いつの間に…」
いつ呑まれたのかも分からない程に、鮮やかな《神界》の顕現。
《神》としての経験の浅いローファスではとてもではないが真似出来ない、それ程の熟練度。
「これは貴様の《神界》か、風神」
『いや。今の僕には、誰かを《神界》に招き入れる程の神力は残っていない。そもそもこうして君と接触出来ているのも、彼女の助力あっての事だよ』
言いながら風神は、ふわふわと漂いながらまるで先導するように通路の先へ行く。
「彼女だと?」
『おいで。会った方が早い』
警戒しつつも、風神に導かれる形でローファスは通路の先へと進む。
巨人でも通れる程に大きな通路。
その先には、見上げる程に巨大な扉があった。
どう見ても人間の規格に合わせて造られたものではないその扉を、風神は軽く押すだけで開いた。
ごごごと地鳴りを響かせながら城門の如き扉は開かれ、その先の空間が広がる。
そこは月明かりが差し込む、古代遺跡の祭壇の様な場所。
《初代の墳墓》の最下層に似た神聖な雰囲気。
違いは、サイズ感が異様に大きい事。
祭壇の上に続く階段も、人間では登れない程に段差が大きい。
その祭壇の最上には、巨大な何かが翼を広げ、壇下のローファスと風神を見下ろしていた。
そのシルエットは、正しく巨竜。
巨竜は風神をじろりと見下ろし、ぼそりと呟いた。
『…ノック』
たった一言、されど責めるような口調に、風神は気不味そうに頰を掻く。
『あ…ごめん。そういうの気にするタイプ?』
『…この姿では、話し難い。かといって人前で変化するのもあまり好きではないんだ』
言いながら巨竜は、その姿をみるみる内に収縮させ、人の姿へと変わっていく。
ローファスはその変化を知っている。
上級竜種が扱う技能の一つ——人化。
変化を終えたそれは、ダークブロンドの髪を靡かせながら、一息に祭壇を飛び降り、ローファスと風神の前に躍り出る。
一糸纏わぬ肉体を隠しもせず、堂々とした佇まい。
人の姿へと変わろうとも、その背丈は年齢にしては長身のローファスよりも遥かに高い。
2mを超えるオーガスに迫る程に高く、自然とローファスは彼女を見上げる形となった。
彼女は豊満な二つの膨らみを強調するように腕を組むと、ローファスに向けて微笑みを浮かべた。
「よく来てくれた、アレイスターの子孫。妾はシュー・アヴァロ。呼び名は色々とあるが、一番通りが良いのは《大地の竜王》か。君の計画に興味があり、風神を介してここに招かせてもらった」
敢えてなのか、地神とは名乗らない彼女——地神に、ローファスはスッと目を細めた。
そして背丈の関係上目の前に突き出される二つの大きな膨らみから目を逸らしつつ、ローファスは吐き捨てるように言う。
「…服を着ろ」
「それ、アレイスターにも言われた事あるよ。服は窮屈なんだけどね…やはり人の姿は面倒事が多い…」
ぶつくさと言いつつも、地神は虚空からローブを取り出し、頭から被るように着始めた。
ローファスは、以前ユンネルも似たような事を言っていたなと、かつての雪国の事を思い出した。




