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リピート・ヴァイス〜悪役貴族は死にたくないので四天王になるのをやめました〜  作者: 黒川陽継
間章Ⅲ

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175# 頼み

 《堕天城》の入り口——城門が青白い輝きを放ち始めた。


 その報告を受けたネームド、ホーエンとエニシは現場に駆け付ける。


 それは正しく、ダンジョンの崩壊反応。


 これが起きているという事は、《堕天城》が完全攻略された事を意味している。


「馬鹿な…本当に完全攻略(リセット)しただと…!?」


 目を剥いて戦慄するホーエン。


 ここで何かを察知したエニシは、その場に跪いた。


 それに倣う様に、整列していた暗黒騎士も一斉に跪く。


 直後、青白く輝く城門よりローファスとリルカが姿を表す。


 ローファスの姿を目にしたホーエンは一瞬呆然と立ち尽くすも、エニシの咳払いで正気を取り戻して急ぎ片膝を突いた。


「城塞都市グレゴリオの攻略、誠お見事にございます——若君」


「ああ」


 代表して声を上げたエニシに、ローファスは短く返事を返す。


 そしてエニシの前に、煌びやかながらも悍ましい気配を放つ王冠を投げて転がす。


「フロアボスのドロップだ。軍備の足しにでもしろ」


「…! 御意に!」


 そのままリルカを連れて立ち去ろうとしたローファスだったが、ホーエンが慌てた様子で呼び止めた。


「お、お待ちを若様!」


 声を掛けられたローファスは足を止める。


 ただし無言。


 返答せず、ただ黙ってホーエンを見下ろす。


「先ほどは大変失礼致しました。若様と存じ上げず、大変ご無礼を。改めまして、お初にお目に掛かります。私は旦那様より実力を認められ、《爆剣》の二つ名を賜った——」


 許しも得ずに名乗りを上げ始めたホーエンは、それ以上言葉が続かなかった。


 誰に遮られた訳でもない。


 苛立ったローファスより威圧を受けた訳でも、魔力波を受けた訳でもない。


 ただローファスと目が合った、それだけ。


 その黒と翡翠の瞳を見た瞬間、ホーエンの本能がけたたましく警鐘を鳴らした。


 ローファスの背後に、先の見えない巨大な暗黒を幻視する。


 それはまるで夜を背負っているかの様な。


 身体が萎縮し、全身から汗が噴き出した。


 今、目の前にいるのはなんだ?


 本当に人間なのか?


 どうして自分は、今の今まで普通に会話が出来ていたのか。


 喉が干上がり、まともに言葉が出てこない。


 何も喋れなくなったホーエンを前に、ローファスは溜息混じりに口を開いた。


「《堕天城》は終わらせた。近いうちに新たな上級ダンジョンが生まれるだろう。その管理も、変わらず励め」


「は…はっ!」


 ローファスから激励を受け、ホーエンは頭を地に擦り付ける程に下げ、平伏の姿勢を取った。


 その姿勢はローファスとリルカが立ち去り、その姿が見えなくなるまで続けていた。


 ローファスが立ち去った事を確認し、エニシはほっと安堵の息を吐き立ち上がる。


 そしていつまでも平伏の姿勢を崩さないホーエンを呆れた様子で見下ろす。


「いい加減立てい、ホーエンよ。いつまでそうしておる気だ」


 話し掛けても、ホーエンは碌に反応を示さない。


 若君の雰囲気に当てられて気絶でもしたか、とエニシはホーエンの様子を伺う。


 ホーエンは…ぼそぼそと何かを呟いており、かと思えばガバッと顔を上げてエニシを見上げた。


「おおう!? なんだ、どうしたホーエン」


「——れが、目か」


「ぬ? 今なんと言った」


「…これが、貴様が言っていた()というものか」


「うん?」


 首を傾げるエニシ。


 ホーエンは構わず続けた。


「あのお方は、果てしない暗黒を…夜を背負われていた」


「おお…なんと、遂にお主も見えたか! 良いぞホーエン。口酸っぱく言っていた甲斐があるというものよ」


「ああ、しかとこの目で見た。そして理解した。あのお方こそ、この俺が仕えるべき主人であると」


「…ぬ?」


 様子がおかしいホーエンに、エニシは眉を顰める。


「俺は強くなどなかった…あのお方と比べ、俺なんてどこまでも弱く、脆い事か。虫ケラだ」


「お、おう? そこまで卑下するほどではないと思うが…大丈夫か? 頭でも打ったか? あれか、今し方土下座した時に強くやったか?」


「しかしそんな俺に、あのお方はこう言って下さった…“励め”と! あのお方からすれば虫ケラにも等しい、この俺の目を直接見てだ! なんと、なんと慈悲深いお方か!」


「おい、医者を呼べ。頭の医者だ。うむ、見ての通り重症だ。会話も通じん」


 暗黒騎士らに指示を飛ばすエニシ。


 それに構わず、ホーエンは剣を捨てて両手を上げ、天井を仰ぐ。


「ああ、世界のなんと広い事か…神はいたんだ…ずっと近くに…」


「…お主もその口か。なんというか、筆頭殿と気が合いそうだのう」


 呆れたエニシの呟きは、変なスイッチが入ったホーエンには届いていなかった。


 今日もライトレスの上級ダンジョンは平和である。



 ライトレス家別邸、ローファスの住居。


 夜分遅くに、ローファスとリルカは帰還した。


 それを出迎えたのはユスリカであった。


「お帰りなさいませ」


「ああ。今戻った」


 女中として洗練されたお辞儀で出迎えたユスリカに、ローファスは微笑んで返す。


「カルロスは? もう寝たのか?」


「いえ、今は本邸の御当主様の所へ。直に戻られると思います」


「成る程。大方、帰って来てからの俺の様子でも伝えに行っているのだろう」


「ええ、恐らくは」


 会話もそこそこに、ユスリカはちらりとローファスの横に連れ添うリルカを見る。


 その右耳には、強力な冷気の魔力を宿すイヤリングが下がっているのをユスリカは確認する。


 それは、二人で出かける時には無かったもの。


 ユスリカの視線に気付いたリルカは、少し恥ずかしそうに目を逸らした。


 ユスリカは微笑む。


「楽しまれた様で何よりでございます。もう夜分遅いですし、お泊まりになられては?」


「そうだな。直ぐに使えそうな部屋はあるか?」


「家具が一式揃っている空き部屋が丁度一室御座います」


「あぁ…あの部屋か」


 そこは少し前まで使われていた事もあり、他の空き部屋と比べ手入れも行き届いている。


 他でも無い、ラースが居候中に使っていた部屋。


 話を聞いていたリルカはぎゅっとローファスの腕に抱き付いた。


「私の事はお構いなく。ロー君の寝室とかで良いから」


「駄目です」


 笑顔で却下するユスリカだが、ローファスは悩むように首を捻る。


 何も無いとは思うが、ラースが使っていた部屋をリルカに宛てがうというのには少々抵抗があった。


「…ユスリカ。すまんが、別の部屋を用意してやってくれ」


「別の部屋…となると、少々お時間を頂く事になりますが」


「ああ。だから、こいつは今晩は俺の部屋で良い」


 それを聞いたリルカはやった! と両手を上げて喜び、ユスリカは深く溜息を吐いた。


「…かしこまりました」


「すまんな。また、埋め合わせはする」


「いいえ、戻って顔を見せて頂けただけで充分です。それに私は、既に充分過ぎるものを頂いておりますので。ではこれより、湯浴みの準備を致します」


 それだけ言って、ユスリカは下がった。


 あれ、今マウント取られた? とリルカは眉を顰める。


「…もしかして私、ユスリカさんに嫌われてる?」


「それ程でもないと思うが。大体、アンネに対するお前の態度もあんな感じだぞ」


「う…そ、そうかなぁ?」


 首を傾げながらも、リルカは図星を突かれた様に顔を引き攣らせた。


 そして肘でぐりぐりとローファスの脇腹を責めるように突く。


「モテる男は大変だねぇ。特に女の子同士の人間関係とか」


「ああ、全くだ。最近、割と本気で疲れている。もうこれ以上増やしたくはないんだが…」


「本当だよ! もう女の子増やさないでね!? ていうか、これロー君次第なんだけどね!」


 思いの丈をぶつけつつ、リルカはまあ、と再びローファスに寄り添う。


「いいけど。ロー君は今晩、私んだし」


 ローファスは笑う。


「全く、独占欲の強い女だ」


「お陰様で。ロー君に誑し込まれちゃったもんでね。自分でもビックリな程どっぷりだよ」


「それはお互い様だ」


「えへへー。ねぇねぇ、この後どうする? お風呂とか一緒に入っちゃう?」


「子供扱いは止めてくれ。風呂くらい一人で入れる」


「…え?」


「ん?」


「…うん?? いや子供扱いっていうかさ、寧ろ大人扱い——」


 そんなややズレたすれ違いをしつつも、二人は寄り添いながら屋敷の奥へと消えていった。


 因みに、お風呂は一緒に入らなかったらしい。



 微睡みの中、温かな陽が差した。


 そこは王宮の中庭。


 大理石で造られたテーブルに、向き合う形で二人の男が座っていた。


 両者共にプラチナブロンドの髪。


 片やウェーブが掛かった髪質の男——アレクセイ。


 片やストレートの綺麗な髪質の男——アインベル。


 両者共に若く、未だ青年と呼べる年頃であり、お互いに国王でも、学園長でもない。


 アレクセイが行った人払いにより、周囲には護衛の近衛騎士はおろか使用人一人いない。


 兄弟水入らずでの会話は、二人にとってはとても久しぶりな事。


 しかし両者の間には、和気藹々とした雰囲気はなかった。


「王位継承権を捨てたと聞いた。どういう事だ、アイン」


 アレクセイが大理石の机を叩き付け、アインベルを睨む。


 対するアインベルは肩を竦める。


「どうもこうもない、その言葉通りじゃよ。そもそも王位は長子が継ぐのが恒例。儂が継承権を放棄したとて、然して意味はなかろう」


「勝手な事を…俺は、次期国王にはお前がなるべきだと…」


「よせ兄上、儂にその気はない。そもそも儂には向いておらんよ」


 アレクセイは俯き、拳を握り締める。


「俺は凡人だ。魔法の才だってお前の足元にも及ばない。次期国王にと、お前を推す声が多い事も知っている。アイン、お前は俺とは違って気高い理想を持っている…父上の様な」


「だからじゃよ」


 アインベルは笑う。


「父上が語る理想は、聞いていて心地良いな。まるで夢物語のようで、そうなったらどれだけ良いだろうかと思える。夢と希望に溢れておるな。だから皆、父上についていく。ああいうのをカリスマというのじゃろうな。それに近しい資質を、儂自身受け継いでいるという自覚もある」


「ならば…!」


 興奮した様子で立ち上がったアレクセイを、アインベルは手で制する。


「敢えて言おう。父上は暗君じゃ」


「な…アイン、お前なんて事を…!」


「理想を語り家臣に夢を見せるのは、確かに大切じゃろう。じゃが、理想は心を満たせても腹は満たせん。昨年の王国での餓死による死者数を知っておるか?」


 アインベルの問いに、アレクセイは苦々しく答える。


「…記録上は50万人超。未確認のものを含めればもっと多いだろう」


「じゃろうな。それでその内、貴族の餓死者は?」


「…0。犠牲になったのは全て、無辜の民。農奴、特に体力の弱い幼子だ」


 アインベルは頷く。


「最近、この問いを何人かの貴族にしたが、答えられたのは兄上だけじゃよ。そんな暗い顔をしたのもな」


「…何が言いたい」


 アインベルは目を細め、天を見上げる。


「王国は肥大化し過ぎた。広大な土地と資源もある。なのに餓死者が出るのは、何故じゃ?」


「いくつか要因はあるが…一番の要因は、貴族同士の…」


「——対立。蹴落とし合い、足の引っ張り合い。お陰で、ある筈の食料が国土の端々にまで回っておらん。徴収するだけしておいて、な」


「それが分かっているなら、お前が王となって正せば…」


「違う」


 アインベルは静かに首を横に振る。


「儂は何も分かってなどいなかった。この知識は、少し前に兄上が父上に向けて出した陳述書を見て知った事じゃよ」


「…! あれを読んだのか…」


「父上の書斎に置かれているのを偶然見かけてな…じゃが、父上にどうにかできるものではなかった。貴族同士の諍いに口出しする機会が増えれば、国王に反感を持つ者も出てくるじゃろう。王族と貴族は絶妙なパワーバランスで成り立っておる。下手に波風を立てて内乱でも起これば、父上の理想とはかけ離れた結果になる」


 ひと拍子置き、アインベルは言う。


「己が語る理想に縛られ、目の前で起きている飢饉を見て見ぬ振り…これを暗君と言わずしてなんという? 今の王国に必要なのは理想を語る王ではない。現実を受け止め、冷静に対策を講じる事ができる王じゃ」


「それが、俺だと言いたいのか」


「知っての通り、儂は魔法馬鹿じゃ。幼い頃から好奇心に任せ、魔導書ばかり読んでおった。それが高じて魔法学園を主席で卒業した。じゃが、それで立派な王にはなれんよ。将来王となる事を見据え、経済学や帝王学に真剣に向き合っておった兄上とは違う」


「…お前が継承権を捨てたのは、無用な継承争いを防ぐ為、か」


「貴族達からすれば、儂の様な頭の足りない者の方が担ぎ安かろう。神輿は軽い方が良いとも言うからのう。じゃが儂は、兄上と争うなんてごめんじゃ。身内で争うなど、儂の理想から掛け離れておる」


「アイン…」


 どうやらアインベルは、真に王国の事を見据えていたらしい。


 てっきり面倒だからと兄である自分に全て丸投げして、王家の責務から逃げ出そうと思っていた。


 アレクセイは己を恥じるように目を逸らす。


「すまんアイン…俺はてっきり、いつものように面倒事を俺に押し付けようとしているだけかと…」


「ブッ——」


 アインベルは吹き出した。


 そして露骨に視線を泳がせながら、まるで誤魔化すように咳払いをする。


「そ、そそそ、そんな訳ないじゃろう兄上。面倒とか、そんな事全然思っとらんよ? いや本当に。だって、儂だってこれでも一応王家じゃし。あ、でも儂が王家のままだと争いの種になるかも知れんし、ちょっと独立しようかなとか思っとる」


「アイン、お前…」


 アインベルの挙動不審な様子に、アレクセイは思わずこめかみを押さえた。


 アインベルは昔から嘘が吐けない——というより、態度に出過ぎて嘘を吐いても丸分かりなのだ。


 所謂カードやギャンブルが出来ないタイプ。


 どうやらそれは、今も変わっていないらしい。


 王国の今後の事を考えたのはきっと本当なのだろうが、同時に面倒とも思っているのだろう。


 アレクセイは疲れた様にため息を吐いた。


「あー…もう良い、分かった。次期国王には俺がなろう。だがアイン、お前に楽はさせん。俺の補佐として色々と動いてもらう」


「えー…」


「面倒くさそうな声を出すな!」


「でも儂、魔法しか取り柄ないし…」


「分かっとるわ魔法馬鹿が! 飢餓や貴族の件以外にも課題は山ほどある。特に帝国との大戦以降、平和ボケしているのか王国の魔法使いのレベルは年々下がっている。いつまでもライトレス頼りでは、愛想を尽かされても文句は言えん。次世代の育成は必須だ。アイン、取り敢えずお前、魔法学園の教師をやれ」


「えー!?」


「えーじゃない!」


 次期国王と王弟の、先を見据えた話し合いはもう少しだけ続いた。


 しかし最初のピリついていた雰囲気は、少しだけ和らいでいた。



 そして場面は移り変わり、同様に王宮の庭園。


 季節が移ろい時が流れ、国王アレクセイと王弟アインベルは、再び大理石の長テーブルに向かい合って座っていた。


 アレクセイとアインベルは、庭園の芝生で走り回る二人の女児——幼き頃のアステリアとフランを微笑ましそうに見ていた。


 ふと、アレクセイが口を開く。


「…女子は成長が早いというが、本当だな。あっという間に言葉を覚えて、今ではペラペラ喋っている。心なしか、口調も妻に似てきたな」


「うちのフランも物覚えは良い方じゃが、あまり喋る方ではないのう。妙に大人びているというか、言葉一つとっても知性を感じる。儂と違ってカードが強そうじゃ。というかこの前普通に負けた」


「アステリアはそういうのは苦手そうだな。感情表現豊かで…そうだな、何処となくお前に似ているよ、アイン」


「丁度同じ事を思っておったよ。フランは年不相応に理知的で、幼い頃の兄上を思い出すなと」


 はっはっは、と朗らかに笑い合う兄弟。


 そして両者共に真顔になり、同時に口を開く。


「「うちの嫁と浮気してないよな?」」


 見事なハモリ。


 しばし睨み合い、そして同時に吹き出して笑う。


「すまん、冗談だ。アステリアの髪質は俺と同じだからな。性格は妻似だ」


「こっちこそ冗談じゃ。フランの髪質も儂と同じじゃのう。綺麗な髪じゃ、儂に似て」


 アレクセイが己のウェーブの掛かったプラチナブロンドの髪を弄り、笑顔で走る愛娘のアステリアを見る。


 アインベルも同様にストレートのプラチナブロンドの髪を撫でながら、愛娘のフランを見た。


 満面の笑みで愛娘を見守る、親バカ全開の兄弟。


 ふと、アインベルが口を開く。


「そんなにべったりで大丈夫か、兄上。将来アステリアが嫁に行く時に大変そうじゃのう」


「アステリアの相手は将来の国王だぞ。うちの娘に相応しい完璧な男を俺が選ぶに決まっているだろう」


「ほー、言うのう。しかしどうするんじゃ、アステリアが何処の馬の骨とも知れん男を連れて来たら」


「その馬の骨は俺が殺す」


「…兄上は早く娘離れをした方が良いのう」


「そう言うお前はどうなんだ。フランだって将来的には…」


「大丈夫じゃ。フランは儂と違って聡明じゃからのう。それこそ、自分で最高の相手を選ぶじゃろうよ」


「は、とんだ親バカだな」


「それはお互い様じゃろ」


 それは親バカ二人の、日常的な何気ない会話。



 そして更に場面が切り替わる。


 場所は同じく王宮の庭園。


 しかしこれまでとは異なり、そこに座っているのはアインベル一人であった。


 もう髭も伸び、現代のアインベルと相違ない姿。


 アインベルはこちら(・・・)を見ると、気恥ずかしそうに髭を撫でた。


「すまんのう…つまらんものを見せた。君が王都を離れてから、こっちでも色々とあってのう。まあちょっとした記憶の混濁じゃ。気にせんでくれ」


 アインベルは暫しこちらを見据え、首を傾げた。


「ふむ…会話は無理か。であれば、一方的に話させてもらうとしよう。何、大した話ではない。君とはゆっくり話す時間が取れんかったからのう。これでも儂は、君に注目しとったんじゃよ?」


 おちゃらけたように笑いながら髭を撫で、アインベルは一方的に続ける。


「儂の記憶で見たと思うが、幼い頃のフランは可愛かったじゃろう。まあフランは今でも可愛いがのう」


 そこからアインベルは長々と語る。


 己の娘、フランが如何に聡明で可愛く、そして頑張り屋であるかを。


 聖女という決して軽くない肩書きを成人する以前から背負い、弱音一つ口にせずに責務を全うしている事を。


 娘の自慢話を、延々と。


 そして永遠とも思える時間が過ぎ、フランへの愛を一頻り話し終えた後、アインベルは微笑み、そっと頭を下げた。


「…最後になるが、これだけ言わせて欲しい。こんな事を言えた義理ではないと承知の上じゃが…儂の娘を君に頼みたい。あの娘は聡明じゃが、その分一人で色々と抱え込む。頼む、後生じゃ——ローファス君」


 その言葉を最後に、アインベルは光の粒子となって消えた。


 同時に、王宮の庭園の風景も霧散する様に消える。


 そして気付くと——



 寝室にて、窓から差し込む朝日に照らされ、ローファスは目を覚ました。


 なんとも不可解な夢。


 聖女フランが、学園長アインベルの娘——それはローファスが知らない情報。


 ただの荒唐無稽な夢か、しかしそれにしては妙な現実味があった。


 あの夢は一体、とローファスが首を傾げていると、ふと声が掛かる。


「どしたの、ロー君」


 毛布の中からちょこんと顔を出すリルカだった。


 ローファスは肩を竦める。


「いや…変な夢を見てな」


「夢? なに、他の女の夢?」


「なんでそうなる。どちらかといえば…ジジイの夢だ」


「あはは、何それ」


 笑うリルカにつられ、ローファスも微笑む。


 変な夢ではあったが、所詮は夢。


 少々印象的ではあったが、それだけ。


 ローファスはそう結論付けた。



 そして、数日の時が流れた頃。


 王都に到着したであろう暗黒騎士シグより、緊急で念話が入る。


 その内容は——



 光神の使徒、学園長アインベル・ロワ・アズダールの死亡を告げるものだった。

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