93# 暗き死神Ⅰ
時は遡り、約一年前。
それは天空都市の一件を経て、魔王ラースを別邸で匿った少し後の事。
場所はライトレス領本都付近、人里から遠く離れた岩山——その地下深くに造られた広い空間。
特殊な術式によりコーティングされた石畳、石壁、そして天井。
壁に無数に掛けられた松明には暗い炎が燃え、暗闇の空間を更に暗く照らす。
そこはライトレス家の人間が代々使用する訓練場。
ここでは多少無茶な魔法を行使したとしても、訓練場の表面を覆う特殊な術式により強化された石のプレートがあらゆる攻撃魔法を防ぎ、仮に破損したとしても時間経過で修復される。
何代か前のライトレス家の人間が造った、正しく魔法の訓練に打ってつけの場所。
ローファスは現在、訓練場の中央に胡座をかいて座り、静かに閉眼していた。
瞑想。
暗闇の静寂の中で、ローファスは静かに己の魔力を研ぎ澄ませる。
的に向けて魔法を放つだけが魔法使いの訓練ではない。
己の魔力と向き合い、己の魔力を感じ、その特性への理解を深め、精神性を高めていく事も魔道の深淵に近付く為には必要な事。
しかし、ローファスがこの訓練場に来る事は非常に珍しい事。
ローファスは一日の空いた時間——平均して30〜60分を瞑想に宛て、日々己の魔力の質を高めている。
今回態々この訓練場に訪れてまで瞑想をしているのは、最近己の精神性に不安を感じる事があったが故。
それは約二年前、物語の夢を見てから度々感じる、己の中に存在する《影狼》の存在。
心の内より語りかけてくる事もあれば、その溢れ出る激情に飲まれる事も何度かあった。
己の意思では、到底抑え切れない程の黒い感情。
最近では、魔王ラースにアベルの存在を意識させられた時に、より強く顕著にその潜在意識が現れた。
それは恐らく、物語での四天王——《影狼》時代のローファスの意識。
しかし当のローファスからしてみれば、迷惑な事この上無い。
ローファスからすれば《影狼》の想い等に興味は無く、当然身体を乗っ取り行動する等言語道断である。
それが紛う事無きもう一人の自分であったとしても、敗者の激情に付き合って破滅の道を歩む等御免被る。
可能であれば消し去りたいものだが、ローファスの広い魔法知識を駆使してもその方法は見当もつかない。
故にローファスが導き出した対策は、己の魔力と精神を極限まで鍛え上げ、《影狼》に付け入る隙を与えない事。
それ故の瞑想。
環境を整え、瞑想の質を高める為の訓練場。
ローファスは瞑想を始めてから、既に半日が経過していた。
その魔力の質も、瞑想をする前よりも格段に高められている。
しかしまだ、ローファスの目指す極地には至っていない。
ローファスが思い描くのは、父ルーデンスが扱う高密度の暗黒——深淵。
己の魔力の質を高めれば高める程に、その道のりが遠のく様な感覚に襲われる。
ローファスは思考を散らす様に首を振った。
無駄な思考、雑念は瞑想の質を低下させる。
ローファスが更に魔力の質を研ぎ澄ませるべく、意識を深層に沈めようとした所で、訓練場の入り口よりこつりと足音が響いた。
直後、訓練場の暗く灯る松明の炎が、青白く変化した。
暗黒色に染められていた訓練場が、青白い炎により明るく照らされる。
松明の炎は、訓練場の使用者の魔力の性質によりその色を変える。
炎の色が変化したという事は、訓練場に別の人間が侵入した事を意味している。
揺れる青白い炎が、入り口を照らす。
そこに立っていたのは、黒衣を纏った初老。
ライトレス家先代当主でありローファスの祖父——ライナス・レイ・ライトレスであった。
「おーおー、やっとるのう。てか、松明の火の色が黒って…我が孫ながら根暗過ぎじゃね?」
ローファスを指差しながらゲラゲラと笑うライナス。
ローファスの額に青筋が立った。
*
「祖父様…何か御用で?」
瞑想を邪魔され、実の祖父を親の仇の如く睨み付けるローファス。
その威圧を受けながらも、ライトレスはヘラヘラと笑う。
「聞いたぜぇロー坊、修行してんだってなぁ。でも意味無くね? おめぇ充分強ぇじゃんよ」
すっと感情が引いていくローファス。
ローファスは無言で手の中に暗黒球を生み出し、その照準をライナスに向ける。
「お引き取りを。死にたくなければ」
「えぇ…? 久しぶりの孫との再会なのに、儂何で魔法向けられてんの…?」
何故魔法を向けられているのか、心底不思議といった顔で、きょとんと小首を傾げるライナス。
ローファスはもう付き合うのも億劫になり、魔法を消して瞑想に戻るべくその場に座る。
「あ? 魔法撃たねぇの?」
「…」
ローファスはライナスを無視する事に決めた。
ライナスの存在は瞑想の邪魔ではあるが、この手の輩は相手をすれば付け上がらせるだけ。
無視されたライナスは「孫に無視されとる儂…」と子供がしょげる様に膝を抱えてしゃがみ込み、床に指でのの字を描く。
しかしそれでもローファスの反応が無いと分かると、ライナスはスッと立ち上がり——手に暗黒鎌を生み出し、間髪入れずに放った。
暗黒の巨大な斬撃が、瞑想するローファスを飲み込む。
暗黒の奔流が晴れる。
そこには球状の暗黒壁が、ローファスの身を覆い守っていた。
球状の暗黒がひび割れ、崩れ落ちてローファスの姿が露わとなる。
ローファスは殺気にも似た威圧を放っていた。
「…喜べジジイ。今日が貴様の命日だ」
ローファスの背後に、無数の暗黒球が展開される。
ライナスは好戦的に口角を吊り上げる。
「んだよ…おめぇの魔力量ならそんだけ出来りゃ上等じゃねぇか。マジでおめぇ、なんで強くなろうとしてんだ?」
ライナスの問いに、ローファスは魔法の弾幕で答えた。
高威力の暗黒球の一斉放射。
舞い上がった土煙が晴れるよりも先に、ローファスの背後より声が響く。
「もう一度聞くぞ、ロー坊。なんでそんなに強くなりてぇんだ? おめぇ、誰に勝とうとしてる?」
ローファスは舌打ちしつつ、その場から飛び退いてライナスから距離を取った。
その反応と流麗な動きに、ライナスは「ふむ」と顎に手を当てる。
「反応も早い。身体強化の練度も十分。見れば見る程、これ以上強くなる意味が分らねぇ」
「貴様程度の尺度で測るなよ老害が。俺が目指すのはまだ先だ」
「だから、何を目指してんだよ」
「…知れた事——」
何を今更、とローファスは歯噛みする。
ライトレス家の人間が強さを求める理由は、一つ——当主の座を簒奪する為。
ライトレス家の当主は、その代の最も強い人間が成る決まりである。
故に当主に成る為には、現当主に決闘を挑み、打ち倒して力を示す必要がある。
ライトレス家は代々、そうして力を繋いで来た。
それもありライトレス家は、王国屈指の武闘派として他貴族、引いては王家からも一目置かれる立場にある。
ローファスが目指すのは、無惨な死という巫山戯た未来を回避し、その上でライトレス家の当主と成る事。
その目標の先にいるのは、今も尚ライトレス家の頂点に立つ傑物——実父ルーデンスである。
しかしライナスは、きょとんと小首を傾げた。
「いやでもおめぇ、もう余裕でルーデンスより強ぇだろ」
「は…?」
ライナスの言葉に、ローファスは眉を顰める。
「何なら試しに挑んでみろよ。まあ、倒しても成人してからじゃねぇと当主にゃなれねぇがな」
「…巫山戯るな」
ライナスの軽い言葉に、ローファスは肩を震わせる。
「貴様は父上に敗れたのだろう…なら、奴の強さを理解している筈だろうが…!」
「あー…負けたな。でももし次やったら儂が勝つね」
「ガキか!」
半世紀近く年の離れた孫にガキと言われ、尚も飄々とするライナス。
ライナスは首を傾げ、じっとローファスを見据える。
「いやマジでよ、おめぇ魔力だけはアホみてぇにあんだから、遠くから魔法ぶっぱし続けてりゃ良いじゃん。確かにルーデンスの装甲はクソ硬ぇが、それも魔法ぶつけ続けてりゃいつか削れて壊れんだろ。近づかれても転移で距離取れるしな」
「そんな間抜けな戦法で勝って何の意味がある!?」
何を馬鹿なと声を荒げるローファス。
そのローファスの首筋に、ライナスはいつの間にか構えていた暗黒鎌の刃を沿わせた。
首筋の皮膚が裂け、僅かに血が流れる。
「…!」
ライナスのその気配が無く、一切の無駄の無い動きにローファスは動けない。
少しでも動けば容赦無く首を落とされる——ライナスにはそんな凄みがあった。
「間抜けな戦法? 勝ちは勝ちだろ、下らねぇ。勝ち方に拘れる程余裕あんのか? おめぇはルーデンスを舐め過ぎだ」
動けないでいるローファスに、ライナスは続ける。
「…報告書読んだぜ。二年前、鯨の魔物にこっ酷くやられたらしいじゃねぇか。失ったのは左眼と左腕だったか?」
「…」
「その後はステリア領か。確か同年代のガキにも負けたんだろ? よく負けられたな。その魔力量でどうやったら敗北出来んだよ」
「黙れ…!」
ローファスの身より、その怒りに呼応する様に高密度の魔力波が発せられた。
ライナスはそれを涼しい顔で受け、そっと暗黒鎌を消して丸腰となり、両手を広げる。
「ほら撃てよ、ロー坊の最強の魔法。儂が防ぎ切れないレベルのきっついやつをよぉ。おめぇの本気の一撃を、真正面から受けてやっから」
挑発する様にニヤニヤと嗤うライナスに、ローファスは怒りから顔をヒクつかせながら、手の中に暗黒鎌を生み出す。
鎌はローファスの魔力を喰らい、その刀身を肥大化させた。
「…葬儀は盛大に開いてやる。感謝しろクソジジイ」
「バッチこい、可愛い孫よ」
ウィンクを決めるライナスに、ローファスの全力の一撃が振るわれた。
極大の黒い斬撃が、訓練場の半分を暗黒に塗り潰した。
*
暗黒の奔流が晴れる。
ライナスは、変わらずそこに立っていた。
纏っていた黒衣は所々が破れ、老いを感じさせない程に鍛え上げられた筋肉質な肉体が露わとなる。
その身には歴戦を思わせる無数の古傷が見て取れた。
ローファスの全力の暗黒鎌を受け、無傷とはいかずとも防護魔法すら使用せず、致命傷も負う事無く立っている。
その事実に、ローファスは目を剥いて驚く。
ライナスは、退屈そうに、そして失望する様にローファスを見た。
「所でロー坊よぉ。儂、最強の魔法を撃てって言ったよな? なんで《命を刈り取る農夫の鎌》を使わなかったん?」
「…ッ」
絶句し、思わず後退るローファス。
ライナスは溜息を吐きつつ、「ま、良いや」と肩を回す。
「じゃ、次儂の番な? こっちも暗黒鎌でいくか…」
そう口にしたライナスの身から、霧状の暗黒が溢れ出す。
暗黒はライナスに纏わりつき、漆黒のローブと化す。
漆黒のフードが顔を覆い隠し、その隙間から、二つの青白い炎が覗く。
瞳の如きそれは、確かにローファスを捉えていた。
それはライナスの魔人化。
ライナスの暗黒に染まる手の中に、暗黒鎌が生み出される。
大鎌を携え、黒衣を纏うその姿は、正しく——死神。
半世紀以上昔、帝国側につけられた渾名——《暗き死神》とは、正しくその姿を体現したものだった。
『何を惚けてる。構えろ——死にたくなけりゃ、な』
最早人のものでは無い声。
直後、ライナスは先程の仕返しとばかりに鎌を振り下ろし、暗黒の斬撃を放った。
深淵の黒、可視化された死が、ローファスの視界を覆い尽くした。




