フィオナ、店を訪れる
監獄都市ゴーダムを揺るがす大騒動は、ようやく収束を迎えた。
トライブとユーラックとの間には、新たな休戦協定が結ばれる。今回の件は、表向きにはトライブの幹部パチーノが黒幕だということになっている。したがって、トライブ側の落ち度という形となり、様々な形での賠償をする……ということで手打ちとなった。
なお、火事に関しては不問である。お互いの組織の下っ端が、勝手にやらかしたのだろう……ということでケリがついた。両陣営ともに片付けねばならない問題が山積みである。特にトライブは、パチーノの後釜の選任や縄張りの整理がある。火事の犯人など、捜している場合ではない。
一応、休戦状態ではあるが……トライブにしろユーラックにしろ、この決着の仕方に納得していない者は少なくない。そのため、両組織の間では、未だに火種が燻っている状態であった。
ユーラックのシドはもともと攻撃な姿勢の男である。いつかはトライブを潰す、という考えを捨てていない。むしろ、事件をきっかけに一層強くなった感さえある。
さらに、トライブの幹部の中にもユーラックを潰そうと画策する者がいる……という噂もあった。少なくともビリーは、ユーラックを完全に敵視している。
とはいえ、表面的には平和な時が流れていた。ニコライの店も、普段通りに営業している。
・・・
不意に、店の扉が開く。と同時に、冷たい風のようなものを感じた。
店の奥で座っていたボリスは、そちらに視線を向けてみた。だが、誰もいない。ひょっとして、死者が来店したのだろうか。
あいにく、ニコライは今出かけている。ボリスでは、死者を見ることは出来ない。話すことも出来ない。
こうなると、取るべき手段はひとつ。彼は立ち上がると、店の中を歩き出した。並べてあるものをひとつずつ手に取りながら、さりげなく語り始める。
「うーん、困ったぞ。そろそろ買い出しに行かねばならないが、ニコライさんは夕方にならないと帰って来ないのだ。まさか、店を空けるわけにもいかないしなあ。どうしたものか」
わざとらしい独り言である。自分でも、演技が下手なのはわかっていた。
それでも、死者にニコライが不在であることを伝えるには、こんなことくらいしか出来ない。
やがて、すっと風が吹いた……ような気がした。断言は出来ないが、恐らくは立ち去ったのだろう。ボリスは椅子に座り、本を読み出した。
ふたたび、静けさが店内を支配する。いつもの通りに……だが、それは長く続かなかった。
「ボリス! 来たよ!」
明るい声と共に、扉が開く。現れたのはフィオナだ。楽しそうにニコニコ笑いながら、たいへん元気よく店に入って来る。
ボリスも、思わず微笑んでいた。
「おやおや、フィオナさんですか。こんにちは。今日は、どうなさったのです?」
「うんとねえ、暇だから遊びに来たんだよ……あれ、ニコライいないの?」
「ええ、今は出かけてます」
「ふうん。ひとりで大変だねえ。あたし、手伝おうか?」
またしても、元気よく問いかけてくるフィオナ。彼女がボリスを見る目には、欠片ほどの嫌悪感も感じられない。
ボリスはふと、モンスターのことを思い出した。もし、彼がフィオナやジェイクと出会っていたら……あんな計画は、立てなかったのではないだろうか。
いや、無理だろう。あの男は、誕生した瞬間から呪われていたのだ。このゴーダムに来た時には、完全な怪物と化していたはず。人間社会に、破壊と混乱を撒き散らすことに命を懸けていた──
「ボリス、どしたの?」
近づいて来たフィオナに腕をぺちぺち叩かれ、ボリスははっと我に返る。その時、彼は疑問を感じた。この娘といつも一緒にいる、あの男はどうしたのだろう。
「ところで……今日は、ジェイクさんは一緒ではないのですか?」
「うん、一緒じゃないよ」
「えっ! となると、おひとりで来たのですか!?」
驚きの表情を浮かべるボリスに、フィオナはうんうんと頷いて見せた。
「そだよ。ジェイクはね、何か用事があるんだって。だから、うちで待ってたんだけど……退屈だから、遊びに来ちゃった!」
そう言って、にっこり微笑むフィオナ。だがボリスは、大きな不安を覚えた。この娘をひとりで野放しにして、大丈夫なのだろうか。
「だ、大丈夫なんですか?」
「うーん、たぶん大丈夫。ちゃんと書き置きも残してきたし、明るいうちなら変なのもいないからさ!」
朗らかな表情で、フィオナは答える。さすがのボリスも、苦笑するしかなかった。
「今度来る時は、なるべくジェイクを同行させてください。それにしても、あなたは本当に凄いですね」
ボリスにとって、何気ない言葉のはずだった。しかし、フィオナの反応は違っていた。
「えっ!? あたしって、凄いの!?」
目を輝かせながら食いついてきたフィオナに、ボリスは戸惑いながらも頷いた。
「は、はい。凄いと思いますよ」
「じゃあ、どんぐらい凄いの?」
フィオナは、嬉しそうに聞いてくる。
「そ、そうですね……ショウゲンさんくらい凄いです」
うろたえたボリスは、とっさに思いついた人物の名前を出した。だが、フィオナのお気に召さなかったらしい。
「何それ!? そんな奴知らないよ! それじゃあ、凄いのか凄くないのかわかんないじゃん!」
この監獄都市で、最も巨大な組織であるトライブの頂点に立つ男を「そんな奴」という一言で切り捨てるとは……さすがはフィオナである。ボリスは、思わず笑ってしまった。
「そうでしたか。では、ライオンくらい凄い……というのはどうでしょう?」
その言葉に、フィオナは納得したらしい。うんうんと頷いた。
「うん、それならわかるよ。ライオンは、カッコよくて強いからね。動物の王さまだよ! あたし、ライオンみたい?」
「フフフ、姿形は似ていません。しかし、あなたはライオンと呼ばれるに相応しい方だと思います」
ボリスが答えた時、店の扉が開いた。姿を現したのはジェイクだ。相も変わらずシミの付いたシャツを着て、とぼけた顔つきで店に入って来る。フィオナを見るなり、ボサボサ頭を掻きながら口を開く。
「おいフィオナ、あちこち出歩くと危ないだろうが。何考えてんだよう」
「だって、暇だったから……」
フィオナは、申し訳なさそうに答えた。上目遣いに、チラチラとジェイクを見つめる。そんな姿を見せられては、ジェイクも何も言えない。
「まったく、しょうがねえなあ。今度は気をつけるんだぞ」
無理やり顔をしかめながら、ジェイクは言った。フィオナは、にこにこしながら頷く。
「わかった! ねえジェイク、あたしライオンみたいに凄いんだってさ!」
「ラ、ライオン?」
きょとんとなるジェイクに、フィオナは大きく頷いた。
「そうよ。あたしはライオン……動物の王さまだよ!」
言いながら、フィオナは勝ち誇った表情で胸を張る。
そんな二人のやり取りを見ていたボリスは、くすりと笑った。と同時に、モンスターの件で負った心の傷は、未だ完全に癒えてはいない。その荒んでいた気持ちが、二人の存在で少しずつ和んでいくのを感じる。
彼の心は、久しぶりに暖かいもので満たされていた。
・・・
店の中は、フィオナとジェイクによりにぎやかな空気に包まれている。
だが、店の外は真逆であった。
「君、どうしたんだい?」
ニコライは、優しげな表情で尋ねた。
彼の前には、ひとりの少年がいる。歳は、十歳前後だろうか。痩せた体つきで、着ているものもボロボロだ。店の前にしゃがみ込み、途方に暮れた表情で空を見上げている。
しかし、ニコライの声を聞き、驚きの表情でこちらを向いた。
「えっ、俺に言ったの? 俺が見えるの?」
「うん、見えるよ。俺は、渡し屋ニコライだ。君は、俺に会いに来たんだろ?」
ニコライの問いに、少年は頷いた。




