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監獄都市の渡し守  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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ボリス、決着をつける

「何なんだ、あいつは?」


 パチーノは唖然となっていた。

 目の前には、抜き身の短剣を構えた女が立っている。誰が見ても、友好的な態度ではない。よりによって、トライブの幹部である自分を襲おうというのか……しかも、たったひとりで。

 どう考えても、正気とは思えない。ひょっとしたら、こいつもキューブでおかしくなっているのだろうか。


「こいつ、もしかしてユーラックんとこのバカじゃないですか?」


 手下のひとりが、そう言いながら腰の刀に手を伸ばす。

 その言葉に、パチーノはニヤリとした。戦争の新しい火種が、向こうから飛び込んで来てくれるとは。自分のツキは、まだ残っているらしい。

 ならば、この件をネタにして他の幹部を煽るとしよう。今度こそ、戦争を起こさせてやる。


「そうか……お前ら、生かしたまま捕らえろよ。絶対に殺すな」


 パチーノの言葉に、部下たちは頷いた。ゆっくりと動き、女を取り囲むように動く。

 その時、女はクスリと笑った。


「こんな連中で、あたしを生け捕りにしようっての? あんたって、バカ?」


 直後、女は短剣を振り上げた──


 それは、一瞬の出来事だった。

 女の動きは速く、かつ無駄がない。まるでダンサーのように、女はボディーガードたちの間を舞った──

 やがて、舞いが終わった。と同時に、ボディーガードたちの首から大量の血が吹き出した。

 直後、バタバタと倒れていく。彼らも、トライブの中では猛者として知られた戦士たちである。そんな男たちが、一瞬にして死体と化していた……。

 だが、パチーノは既にその場から姿を消していた。彼はショウゲンやディンゴらとは違い、腕が立つわけでも人望があるわけでもない。だが、必要とあらば面子にこだわらず部下も見捨てて、なりふり構わず逃げることの出来る男である。彼は今まで、そうやって生き延びてきた。

 今回もまた、パチーノは迷うことなく逃げ出していた。


 ・・・


「来てくれたのか……」


 モンスターは、椅子から立ち上がった。

 だが、ボリスは堅い表情を崩していない。じっとモンスターを見つめ、静かに口を開いた。


「全ての騒動の原因は、あなたですね?」


 その問いに、モンスターはくすりと笑う。


「ああ、そうだ。そんなことを、今さら確かめに来たのか?」


「では、火事を起こしたのもあなたですね?」


 ボリスのさらなる問いに、モンスターは眉をひそめた。いったい、どうしたというのだろうか。明らかに、様子がおかしい。


「い、いや、あれは俺ではない」


 その答えを聞き、ボリスはため息を吐いた。


「そうですか……では、どこかの愚か者が火をつけたのでしょうね。重要なのは、あなたが全ての元凶だということです」


 言いながら、ボリスはモンスターを睨みつける。両者の顔は、驚くほど似ていた。二人のことを知らない人間には、ほとんど見分けがつかないだろう。

 その内面は、全く違っていたが。


「お前は、何が言いたい? いや、それ以前に……ここに何をしに来たんだ?」


 モンスターの表情も変わっていく。ボリスが何をしに来たのかについては、薄々感づいていた。

 だが、それは受け入れたくない事態であった。モンスターにとって、ボリスはこの世界でただひとりの兄弟なのだから。


「あなたに、お願いがあります。この街から、出ていってくれませんか」


 ボリスの口から出た言葉は、モンスターの心を鋭くえぐる。彼にとって、この世でただひとりの兄弟。だがボリスは、モンスターを切り捨てようとしている……。


「嫌だと言ったら、どうする?」


 内面の動揺を押し隠し、余裕の表情でモンスターは聞いた。


「その場合、力ずくであなたを追い出します。が、出来ることならそんなことはしたくありません。お願いです、黙って、この街を去ってください」


 その言葉を聞いたとたん、モンスターの体が震え出した。言うまでもなく怒りのためだ。


「貴様は、俺を切り捨てるのか? この世界で、たったひとりの同族である、この俺を……」


 モンスターの声は震えている。ボリスは顔を歪めながらも、それに答えた。


「あなたは、この街にとんでもない災厄をもたらしました。あなたのせいで、死ななくてもいい人間が死にました。さらに、火事のせいで無関係の人間が被害を被りました。この街の住人として、あなたを見逃すわけにはいきません」


 その時、モンスターは凄まじい形相になる。怒り、悲しみ、失望、絶望……様々な感情が彼を襲い、もはや自身をコントロール出来なくなっていた。

 直後、モンスターは恐ろしい声を上げながら掴みかかって行った──


 ・・・


 パチーノは、必死で走った。

 あんな化け物を、敵に回した覚えなどない。奴は、いったい何者なのだろうか?

 いや、そんなことを考えている場合ではない。このままでは、あの女に殺される……パチーノは走り続けた。

 だが、その足が止まった。

 目の前に、小柄な若者が立っていた。年齢は十代後半から二十代前半だろうか。髪は金色で肌は白く、整った顔立ちは浮世離れした雰囲気を醸し出している。街灯の明かりの下で、その若者はニッコリと微笑んだ。


「やあ、パチーノさん。手下を見捨てて、ひとり逃げる気かい」


パチーノは思わず首を捻る。こいつが何者かは知らないが、今の言葉からして味方ではなさそうだ。

 だが、先ほどの怪物じみた女ほどの強さはないだろう。パチーノは刀の柄に手をかけた。こんなチビは、さっさと殺すだけだ。

 その時、若者はため息をついた。


「駄目だなあ、あんたは」


 言った直後、若者の手が何かを取り出す。金属の筒のようなものだ。

 次の瞬間、轟音が轟く。と同時に、筒が火を吹いた── 

 パチーノの膝から、血が吹き出る。直後、彼は膝を押さえて倒れる。激痛のあまりヒイヒイ泣き叫びながら、地面を転げ回った。

 そんなパチーノを、若者は冷たい目で見下ろす。 


「人を見た目で判断すんなよ。あんたじゃあ、ショウゲンの代わりは務まらないな。それにしても、あんた本当にバカだね。欲さえかかなきゃ、今の地位のままでいられたのに」


 ・・・


 地下室では、二匹の怪物の戦いが始まっていた──

 モンスターの拳が、ボリスの肉体に炸裂する。さらに、また一撃。息つく間もない連打を浴び、ボリスはじりじりと下がっていく。両腕で顔面をしっかりガードしてはいるが、モンスターの打撃は凄まじい威力だ。ガードの上からでも、容赦なくダメージを与えていく。


「どうしたんだ兄弟!? 俺を、力ずくで追い出すんじゃなかったのか!」


 吠えながら、モンスターはなおも拳を振るっていく。その目には、凄まじいばかりの狂気があった──

 これまで、知略を用いて街に混乱をもたらしてきたモンスター。表に出ることなく、他人を操り障害を排除してきた。時には、自身の腕力を用いることもあったが……相手は全て、一撃で叩き潰せる雑魚ばかりであった。それゆえ、暴力を振るう時も冷静そのものであった。

 だが、今の彼は完全に常軌を逸していた。力任せに拳を振りあげ、ボリスへと叩き付ける。相手を倒すというより、自身の狂気と負の感情とを相手にぶつけていたのだ。

 一方、ボリスは冷静そのものであった。モンスターの繰り出す攻撃は、全て腕力に任せて拳を振り回しているだけ。並の人間ならば、一撃で叩き潰せるだろう。だが、ボリスの体に決定的なダメージを与えるには至っていない。

 ボリスは、太い両腕で攻撃をガードしつつ隙をうかがっていた。人造人間のスタミナは無尽蔵にも思える。しかし、人造人間といえど無限に動き続けられるわけではない。いつかは、スタミナ切れを起こす。

 その時こそ、反撃のチャンスだ。 


 やがて、モンスターの手が止まった。普通の人間なら……いや、成長しきったヒグマでさえ、この攻撃には耐えられないだろう。どんな生物であれ、確実に撲殺しているはず。

 だが、ボリスは生きていた。太い両腕で顔を覆い、体を丸め、さらに体を捻りながら急所への決定的なダメージを避ける……格闘技における防御の技術だ。無論、普通の人間がモンスターの打撃を防御したところで何の意味もない。ガードした腕ごと砕かれ、即死だろう。

 だが、ボリスは彼と同等の腕力を持ち、また肉体の頑丈さも同じくらいのレベルである。だからこそ、格闘の技術が活きてくるのだ。

 やがて、攻撃が止まった。ボリスは、ゆっくりと顔を上げる。

 モンスターは、目の前で苦しそうな表情を浮かべていた。肩で息をしながら、なおもボリスを睨んでいる。物を殴り続けることがどれだけ体力を消耗するか、わかっていなかったらしい。


「あなたは今まで、楽をし過ぎていたようですね」

 

 そう、モンスターは闘い方をまるでわかっていなかった。自分よりも弱い相手とばかり闘い、力任せの戦法で簡単に捻り潰す。そのため、闘い方を学ぶ必要がなかったのだ。生まれ持った強さのみで、簡単に倒すことが出来た。

 しかし、ボリスは違う。彼はニコライに付き従い、様々な闘いを経験してきた。時には、悪霊が実体化した強力な成れ果てと闘うこともあったし、その全てに勝ち抜いて来た。

 ボリスとモンスターは、基となる性能はほとんど変わらない。だが、生きてきた過程が違い過ぎた。


「次は、こちらの番です」


 言った直後、ボリスは拳を振るう──

 全身のパワーを、拳に乗せた強烈な一撃が放たれた。たった一発のパンチで、モンスターの巨体が吹っ飛んでいく。地下室の壁に叩きつけられ、鈍い音が響き渡った。


「うぐぅ!」


 モンスターは、思わず呻き声を上げる。彼は、今まで味わったことのない凄まじい痛みを全身に感じていた。もはや、自分が勝利するのは不可能であることを理解する。それでも、彼は立ち上がった。苦しそうに顔を歪めながらも立ち上がり、ボリスを睨みつけた。


「貴様……俺を切り捨てるのか! たったひとりの同族である俺を、切り捨てるのか!」


 その途端、またしてもボリスの拳が飛ぶ。硬い岩石を、強力な投石機で発射したかのような威力であった。城壁すら破壊するボリスの拳をまともに受け、モンスターはまたしても壁に叩きつけられる。

 倒れたモンスターを、ボリスは冷酷な表情で見下ろす。だが、その表情が崩れた。


「もう、いい加減にしてください……今のあなたは、私には勝てない。おとなしく、この街から消えてください。でないと、私はあなたを殺さなくてはならない──」


「ならば、殺せ」


 モンスターは、怯むことなく言い返す。ボリスの表情が、さらに歪んだ。


「私は、あなたを殺したくない!」


「お前の言っていることは、俺に死ねというのと同じだ。この街に来て、俺にもやっと生きる希望が生まれた。化け物として、蔑まれる以外の生き方が……だが、お前がそれを目茶苦茶にした」


 言いながら、モンスターはなおも立ち上がる。人造人間の強靭な肉体にも、さすがに限界が近づいている。だが、モンスターの狂気にも似た精神力が、彼の両足に力を与えていた。


「お前には、わからないだろう。外の世界で、化け物として生きることのつらさを……」


「私とて、それは知っています!」


 ボリスは言い返した。だが、モンスターは歪んだ笑みを浮かべる。


「いいや、お前と俺とは違う。お前を見ていれば、よくわかるよ。フランチェンは、お前を人間として育てたのだな。だが、俺は違う。俺は化け物として造られ、化け物として育ち、化け物として野で生きてきた。もう、あの頃には戻りたくない……戻るくらいなら、死んだ方がマシだ!」


 モンスターの心からの叫びを聞き、ボリスの体が震え出した。心に迷いが生まれ、モンスターから目を逸らす。彼にはわかっていた。目の前にいるのは、ニコライと出会えていなかった時の自分なのだ。

 その僅かな隙を、モンスターは逃さなかった。拳を振り上げ、ボリスに叩きつける──

 完全に不意を突かれ、ボリスは避けることが出来なかった。巨大な拳が、顔面へと炸裂する。

 もし、これが万全の状態から放たれたものであったなら、ボリスとて無事には済まなかっただろう。

 しかし、モンスターのスタミナは既に尽きており、立っているのもやっとだ。その一撃には、ボリスをぐらつかせるほどの威力すらなかった。ただ、ボリスの迷いを断ち切っただけだった。

 なおも殴りかかって来るモンスターの拳を躱すと同時に、ボリスは狙いすました拳を放つ。その拳はカウンター気味に炸裂し、モンスターは崩れ落ちた。

 倒れたモンスターの頭を掴み、持ち上げる。


「あなたを殺すしかないのですね。わかりました。その方が、あなたも幸せなのかもしれません」


 直後、首をへし折った──



 





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