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監獄都市の渡し守  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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22/29

ボリス、闇を覗く

 ニコライとジェイクは、暗い地下道を進んで行く。

 地上に建てられている小屋とは対照的に、地下はしっかりした造りだ。レンガが寸分の狂いもなく積み重ねられ、天井や壁となっている。いったい何者が掘ったのだろう……などと思いながら進んでいくと、いきなりジェイクに腕を引かれた。


「ダチ公、ぶつかるぜ。前をちゃんと見ろ」


 彼の言う通り、目の前は行き止まりだった。もっとも、ただ壁があるわけではなく、鉄製の頑丈そうな扉が設置されている。


「この中、人がいるな。人間の匂いがぷんぷんするぜ」


 ジェイクが、鼻をひくひくさせながら言った。


「そうか。だったら、グレンもいるだろ」


 そう言うと、ニコライは扉を叩いた。

 ややあって、声が聞こえてきた。


「誰だ?」


「渡し屋ニコライだよ。グレンに会いに来た」


 ニコライが答えると、少し間を置いて扉が開く。中から、若者が顔を出した。


「いいぜ。入りな」


 直後、鉄の扉が軋みながら開く。ニコライは、そっと入って行った。




 中は、思ったより小さかった。木製のテーブルと椅子が数脚、天井にはランタンがぶら下がっている。壁は外と同じくレンガ造りだ。

 椅子には四人の男が座っている。グレンとシドの兄弟と、見覚えのない二人の若者だ。この場にいるということは、間違いなく幹部クラスであろう。

 グレンを除く三人が、ニコライに敵意ある視線を向けてきた。特にシドは、入って来る彼を見るなり立ち上がった。ナイフを抜き、不快そうな様子で近づいて来た。


「てめえ、何しに来やがった……」


 シドは、そこで言葉をつまらせた。ニコライに続いて入って来た者、それはジェイクである。部屋の空気を全く意に介さず、真面目くさった顔つきで堂々と入って来た。


「お前、またナイフなんか振り回してんのか。仲良くやろうぜ」


 言いながら、ジェイクは親しげに近づいて行った。シドの肩を、ポンポンと叩く。だが、シドは微妙な表情のまま固まっている。二人はかつて、顔を合わせたことがあったが……ジェイクの怪物じみた能力を目の当たりにし、完全に圧倒されてしまったのである。凶暴なことで知られるシドも、ジェイクの前では形無しだった。

 他の者たちも、この神をも恐れぬ態度に何も言えずにいる。その時、くすくす笑い出した者がいた。


「いやあ、あんた相変わらずクールだな。今度、一緒にメシでも食おうや」


 ジェイクに向かい、そう言ったのはグレンだ。グレンは次に、ニコライの方に視線を移す。


「悪いけどな、奥に来てくれ。サシで話そう」


 そう言うと、グレンは立ち上がった。シドが、慌てた様子で彼の前に立つ。


「ま、待てよ兄貴! 俺も行く──」


「お前は、ここでおとなしくしてろ」


 グレンの鋭い声に、シドはあっさりと黙り込んだ。どうやら、ヤンチャな弟も兄には逆らえないらしい。


「ニコライ、悪いけど来てくれ」


 そう言うと、グレンは奥の扉を開ける。




 二人は、倉庫のような場所にいた。乾燥した植物や酒瓶などが、木製の棚に並べられている。床には大小様々な木箱が置かれていた。確実に、まともな品ではないだろう。


「こんな所で悪いな……ところでニコライ、今どういう状況かは知ってるよな?」


 扉を閉めると同時に、グレンは聞いてきた。その顔つきは、先ほどまでと違い真剣だ。


「聞いてるよ。だから来たんだ」

  

「そっか……あんたに、ひとつ聞きたい。仮に、ウチとトライブが戦争になったら、あんたはトライブに付くのか?」


「いいや、俺はどっちにも付かない」


「なら、ありがてえ」


 グレンは、口元を歪める。ありがてえ……と言ってはいるが、その表情は暗い。この男は、何を考えているのだろうか。


「グレン、あんたは戦争をしたいのか?」


「いいや。俺はする気はないし、したくもねえ。人を殴れば、拳は痛むし腹も減る。ましてや、戦争ともなれば誰も得しねえよ」


「だったら、なんで──」


「だがな、ウチの弟はそうはいかねえ。あいつの喧嘩っ早さは、この街でもトップクラスだ。おまけに、ウチにはトライブを恨んでる奴も多い。もう一度、同じことがあれば、先走るバカが必ず出る」


「もう出たかもしれないね、先走ったバカが」


 呟くようなニコライの言葉だったが、グレンは敏感に反応した。訝しげな表情で顔を上げる。


「どういう意味だ?」


「昨日、ビリーが襲われた。返り討ちにしたけどね」


「ビリーって……まさか、トライブの幹部か?」


 眉間に皺を寄せるグレンを、ニコライはじっと見つめる。嘘をついているようには見えない。予想外の言葉に、僅かではあるが動揺している……そんな風に見える。

 もっとも、断定することは出来ない。そもそも、このグレンという男はユーラックのボスなのだ。仮に何か画策しているのだとしたら、簡単に尻尾は掴ませないだろう。

 そんなことを思いながら、ニコライは頷いた。


「ああ、トライブの幹部さ。どっかのバカが、奴にいきなり襲いかかって来たんだよ。しかも、トライブの縄張りシマでね……これは、トライブの連中も黙ってないよ」


「間違いないんだな?」


「ああ、間違いない。その現場には、俺もいた」


 その言葉に、グレンは小さく舌打ちした。


「ったく、こんな時に……やったのは、どこの誰だ?」


「さあね、吐かせる前に死んだよ。なあグレン、念のため聞くが、あんたは関係ないんだよね?」


「当たり前だ。俺なら、そんな面倒くさいことしねえよ。やるなら、ショウゲンを狙う」


 グレンは即答した。先ほどと同じく、嘘をついているようには見えない。

 では、どこの誰が?


「グレン、この件は俺も調べてみる。あんたらユーラックが関係ないなら、裏で糸引いてる奴がいるはずだからな。とにかく、あんたは下っ端のガキどもを押さえておいてくれよ」


「ああ、わかった。俺も、オッサン連中とは殺り合いたくねえからな」


 ・・・


「きょ、兄弟?」


 困惑するボリスに、大男は深く頷いた。


「そうだ。知らないのも無理はないが……お前と俺は、ほぼ同じ製法で作られた。兄弟と言っても、間違いではないだろう」


 大男の声は、低く重々しい。ボリスは混乱しつつも、どうにか言葉を絞り出す。


「し、しかし……私は、そんな話は聞いていません」


「聞いていないのも当然だ。お前の創造主であるフランチェンは、かつて宮廷魔術師だった。その当時から、奴は人間を造りだそうとしていたのだ。そのため、数人の助手を使っていた。いずれも、有能な魔術師だった」


 そこで、大男は言葉を止めた。店内を見回し、ため息を吐く。

 

「なぜ、こんな物を並べている? ゴーダムの住人は、猿と同レベルの知能の持ち主だ。ここにある物の値打ちなどわからん──」


「どういうことです? あなたは、どうやって誕生したのですか?」


 大男の言葉を遮り、ボリスは強い口調で尋ねた。うまく言えないが、目の前にいる者からは不吉なものを感じる。自分の兄弟と称する者との遭遇……嬉しいはずなのに、ボリスの胸は不安だらけだった。

 すると大男は、深く頷いた。


「そうだな、お前も知らねばならん。宮廷魔術師を辞めた後も、フランチェンはひとりで研究を続けていた。やがてフランチェンは、お前を造ることに成功した。だが、奴が使っていた助手たちも、別の場所でひそかに研究を続けていた。人間と同じように、知能が高く心を持った生物を造り出すことを」


 ボリスの不安をよそに、大男は語り続ける。その口調からは知性を感じるが、同時に不気味なものも感じる。これは、いったい何だろう。


「だが、助手の魔術師たちはどうしても造り出せなかった。それゆえ、奴らはもう一度、フランチェンに協力を仰ごうと考えた。そこで、彼らはフランチェンの家を訪ねた」


 ようやく、ボリスは気づいた。この男には、何かが欠けているのだ。うまく言えないが、重要なものが欠けている気がする。それが何かはわからないが。

 だが、そんな疑問は一瞬で吹き飛ぶ。続いて発せられた言葉に、ボリスは愕然となった。


「魔術師たちは、フランチェンの屋敷を訪ねた。だが、フランチェンはいなかった。そこで奴らは、屋敷に侵入し必要なものを盗み出した……お前を造り出した過程を、詳しく記録した書物をな。今から五年前の話だと聞いている」


「そ、そんなはずは……」


 言いかけたボリスだったが、ハッとなった。五年前といえば、ニコライの目を治すために、共に旅をしたではないか。

 その時、魔術師たちが忍び込んだのだとしたら?


 呆然となるボリスの前で、大男は語り続ける。


「その結果、誕生したのが俺だ。奴らは、俺をモンスターと名付けた。意味はわかるな?」


「わかります」


 ボリスは、悲痛な表情で頷いた。モンスターとは、若者たちのスラングで『醜い化け物』を意味する。

 かつてボリスは、フランチェンに名前を付けてもらえなかったことに悲しみを感じていた。だが、親に醜い化け物と名付けられるのと、果たしてどちらがマシなのだろうか。

 その時、モンスターはくすりと笑った。


「そうだ。俺はモンスターと名付けられた。だが、本物のモンスターは、果たしてどちらだったのだろうな。奴らは、俺の体を毎日のように切り刻んだ。さらに毒を飲まされ、檻の中で獣と闘わされたりもした。そう、奴らにとって俺は、実験材料でしかなかった」


 己の半生を、モンスターは淡々とした口調で語る。聞いているボリスは、胸が潰れそうだった。

 フランチェンは、ボリスを息子のように大事に育ててくれた。だが、モンスターは実験動物として育てられていたとは。

 しかし、話は終わりではなかった。


「ある日、奴らは女を連れて来た。恐らくは、町の売春婦であろう。女は、俺の顔を見るなり悲鳴をあげた。必死で逃げだそうともした。だが、奴らは許さなかった。女を檻に閉じ込めると、俺に言った……この女と、交われと。俺は、命令された通りにした。奴らの前で、獣のように女と交わったよ。女は、狂ったように泣き叫んでいたが……やがて、観念したのかおとなしくなった。後は、されるがままだったよ」


「な、なぜそんなことを!」


 思わず怒鳴りつけたボリスを、モンスターは哀れむような目で見つめた。


「まず、俺に性的能力があるかどうか……さらには、生殖能力があるかどうか知りたかったのだ。やがて、はっきりしたことがある。俺には、人間と同じような性的能力はあった。だが、生殖能力はないらしい。何度交わろうが、女に子は出来なかったのだからな」


「そんな……なんてひどいことを……」


 ボリスの体は震えていた。無論、恐怖からではない。怒りのためだ。

 だが、モンスターの話は続く。


「話はこれからだ。やがて、女は死んだ。奴らに殺されたのだ。妊娠しないとわかった以上、女に用はない。俺の目の前で、死んでいった」


 その時、初めてモンスターの顔に表情らしきものが浮かぶ。これは怒りか、それとも悲しみか。

 だが、その表情はすぐに消えた。


「その時、俺は生まれて初めて殺意を覚えた。己を閉じ込めていた檻を破り、魔術師たちを皆殺しにした。奴らは、虫けらのように呆気なく死んだ」


 先ほどまでと同じく、モンスターは静かな口調で語り続ける。だがボリスは、彼に恐怖を覚えていた。目の前にいる男に何が欠けているのか、ようやく気づいたのだ。

 モンスターの心には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。しかも、そこは腐り始めている。いつか、彼の心は完全に腐敗してしまうだろう。

 それを止められるのは?


「それから、俺はこの世界を旅した。様々な国に行き、あらゆるものをこの目で見た。その結果、わかったことはひとつ……俺は、どこに行っても化け物だった」


 その時、モンスターの瞳が光った。彼は、異様な目つきでボリスを見つめる。


「人間は、俺よりも遥かに低脳でひ弱であり、しかも精神は残虐で下劣だ。こんな生物が、万物の霊長を名乗る資格などない。俺は、人間どもを管理することにしたのだ。でなければ、いずれ人間の手により、この世界は滅亡するだろう。現に、奴らはかなりの数の動植物を絶滅させている」


 モンスターの声は、熱を帯びてきている。ボリスは圧倒され、ただただ聞くしかなかった。


「俺はまず、この街を支配する。ボリス、俺に力を貸す気はないか? お前は、俺のただひとりの兄弟だ。お前と俺とで、人間どもを管理しよう」


 言葉の直後、モンスターの手が伸びてきた。ボリスの手を、がっしりと掴む。


「どうだ? 俺を手伝ってくれないか?」


 ボリスは何も言えなかった。目の前に立っている者は、自分の分身のごとき存在である。モンスターの言葉に、心が動かなかったわけではない。

 しかし、モンスターと共に行動していいのだろうか。彼からは、巨大な闇を感じる。その闇が、このゴーダムを飲み込もうとしているのだ。

 やがて、それは世界に広がるのでは?

 握った手をじっと見つめているボリスに、モンスターはくすりと笑った。


「結論を急ぐ必要はない。じっくり考えておいてくれ。それと、お前にひとつ教えよう……放っておいても、この街を支配している奴らは自滅する。もう、始まってしまったのだから」


「ど、どういうことです?」


 怪訝な表情を浮かべ、ボリスは顔を上げた。だが、モンスターは彼から目を逸らす。背を向けると、扉に向かい歩き出した。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 ボリスが叫んだが、モンスターは止まらない。扉を開けると、巨体に似合わぬ速さで出ていった。












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