ニコライ、発砲する
「姐さん、持ってきましたぜ」
ニコライはへらへら笑いながら、背負ったリュックの中からガラスの瓶を取り出した。ラム酒を入れる酒瓶ほどの大きさで、中には赤い色の小さな錠剤が大量に入っていた。
その瓶をテーブルの上に乗せ、椅子に腰掛けている人物の方に、ずずずと押し出す。
「ささ、どぞどぞ」
「いや、助かるよ。これのおかげで、うちの子たちもずいぶん楽になったからね」
答えたのはクインだ。今日もまた、肌もあらわな衣装を身にまとい、ニコライの前で座っている。彼女は瓶を手に取り、中身を軽く振った。
ここは、クインが経営する売春宿である。ニコライが出した錠剤は、避妊のための薬だ。ボリスが調合し、ニコライがクインの息のかかった店に卸している。
ニコライはトライブだけでなく、アマゾネスとも取り引きしていた。今のところ、ユーラックとは取り引きしていないが、いずれは接触してみるつもりだ。今のままでも特に問題はないが、かといって安心というわけでもない。トライブという組織は、巨大で人も多い。ニコライのことを、こころよく思っていない者もいる。万が一、そうした人間がトライブ内で権力を握ったら、ニコライが今の立場を保つのは難しくなるのだ。
「ご苦労さん。はい、これ」
そう言うと、クインは金貨のつまった袋をテーブルに乗せた。ニコライは袋の口を開け、中身を確認すると笑みを浮かべた。
「こちらこそ、いつもありがとうございます。では、また」
ニコライは、大袈裟な動きで頭を下げた。金貨の袋をリュックに入れると、扉を開けて部屋を出た。
部屋の外には、数人の女がうろうろしている。いずれも、客が付くのを待っている娼婦たちだ。この売春宿は二階建てであり、一階では客が女たちの中からひとりを指名し、上に上がっていくというシステムである。
ニコライは女たちに軽く会釈し、出口に向かい歩き出した。だが声をかけられ、立ち止まった。
「ちょっとニコライ、もう帰っちゃうの?」
その声の主は、大きな髪飾りを付けた女だ。見た感じ、ニコライよりも少し年上だろう。派手な赤いドレスを着て、パイプを片手にじっとこちらを見ている。パイプからは、煙が立ち上っている。煙草か、あるいは邪眼草か。ニコライは、この女の顔には見覚えがある。もっとも、名前は知らない。つまりは、大した関係ではないということだが。
「ああ。店に帰って、やらなきゃならないことがあるんだよ。また今度な」
ニコライは曖昧な笑顔で躱そうとしたが、女は素早く彼の前に立ち、彼の進路を塞いだ。
「ねえ、ちょっと……あたし、あぶれてんだよね。だからさ、たまにはあたしと遊んでよ。あんた可愛いから、安くしとくから」
媚びを売るような表情を作り、女は体を擦り寄せて来る。だが、ニコライは苦笑しながら後ずさりする。
「悪いけど、今は忙しいんだよ。早く店に戻らないと」
「何よそれ。あんた、いつもそうじゃない。また、あのバケモンの待つ店に戻るの? 店なんか、あいつひとりに任せときゃいいじゃん」
そう言うと、女は大げさに顔をしかめて見せる。
「それにしてもさ、あいつの顔は本当にひどいよね。あたし、あんな面に生まれついたら、確実に自殺するわ――」
その瞬間、落雷のような音が響き渡った。と同時に、女の頭に付けていた髪飾りが砕け落ちる。同じ部屋にいた者たちは、驚愕と恐怖の入り混じった表情でニコライを見ていた。
ニコライの方はというと、すました表情で口を開いた。
「こいつはマギーといってな、火薬の力で鉛の玉を高速で発射する武器だ。見た目はチャチだがな、鋼の鎧でも貫通する威力があるぜ。しかも、弓矢と違い腕力を必要としない上に嵩張らない。便利だろう」
そう言って、ニコライはにやりと笑った。その手には、金属製の筒が握られている。穴からは、煙が上がっていた。
女は、あまりの出来事に体を震わせながら、何も言えず立ちすくんでいた。
「あんた今、ボリスのことをバケモンっつったよな? でもな、あいつはこんな便利な道具を造れるんだよ。それだけじゃねえ、ここに卸してる薬もな、ボリスがいなきゃ調合できねえんだよ。ボリスはな、客も付いてないあんたなんかより、ずっと有能なんだよ。覚えておけ」
ニコライの目には、異様な光が宿っていた。だが、女は無言のままだ。体を震わせながら、その場にへたり込む。
その時、クインが部屋から出てきた。進み出てニコライの肩を軽く叩き、落ち着いた様子で口を開く。
「ちょっと、店の中で暴れられると困るんだけど。この娘には、あたしの方からきっちり言っとくよ。だからさ、このくらいで許してやってくんないかな」
「まあ、クインの姐さんが言うんじゃ仕方ないな」
答えるニコライの表情は、いつもと変わらぬ穏やかなものであった。うやうやしい態度で頭を下げると、娼館を出て行った。
・・・
その頃、ゴーダムの路地裏では、奇妙なことが起きていた。いつも叩きのめされているはずの小柄な少年が、大柄なイジメっ子を圧倒していた。いや、圧倒などという生優しいものではない――
少年は、恐怖に震えていた。
「頼むよ……許してくれ」
地面に尻餅を着いた体勢で、少年は懇願する。だが、ジムはせせら笑っていた。
「俺も何度も頼んだよな、許してくれって。でも、お前は何をした? 俺を殴ったよな。何度も何度も……忘れたとは言わさねえぞ」
「そ、そんな――」
「お前はな、今まで俺にやってきたことの報いを受けるんだよ」
ジムは、冷静な口調で言った。同時に彼の手が伸び、少年の髪の毛を鷲掴みにする。
直後、軽々と投げつけた――
少年の体は、数メートル先まで飛んでいく。次の瞬間、地面に叩き付けられ、ごふっという音が聞こえた。
「あれ、痛かった?」
楽しそうに言いながら、ジムは近づいていく。だが、その表情が歪んだ。少年の首が、ありえない方向に曲がっているのだ。口からは血が流れていた。叩き付けられたショックで、死んでしまったらしい。
「ええ……何それ。もう死んじゃったの? こんなにひ弱だとは思わなかったよ。つまんないの」
ジムはしゃがみ込むと、少年の頭を掴んだ。
直後、その首を引きちぎる……幼く小柄な外見からは、ありえない腕力だ。
「お前、こんなに弱かったのか。本当、つまらねえ奴だな」
言いながら、無造作に首を放り投げるジム。その瞳には、奇妙な光がやどっていた。
「なんだこれ?」
首を傾げながら、路地裏に転がっていた「首」を拾い上げた者がいる。
それは、ジェイクだった。彼は奇妙な匂いを嗅ぎ付けて好奇心を刺激され、引き寄せられるようにここに来てしまったのである。
「誰だか知らないけど、ひどい奴がいるなあ。人の首をちぎるなんてよう」
ブツブツ言いながら、ジェイクは思案した。この首、どうしたものか。見つけてしまった以上、このまま放っておく訳にもいかない。
「まあ、仕方ない。俺も忙しいからな。悪いけど、ここでおとなしくしててくれや」
ひとりでウンウン頷くと、ジェイクは首を胴体のそばに置いた。
「早く、誰かに見つけてもらうんだぞ。それにしても、この匂いはヤバいぞ。これ、間違いなくバケモンの匂いだな」
呟きながら、ジェイクはその場を離れて行った。
「ジェイク、どしたの?」
家に帰って来たジェイクに、フィオナが心配そうな様子で声をかける。彼女は底無しに頭が悪いが、人の気持ちには妙に敏感だったりする。
「まあ、いろいろあってな。この街は、本当に物騒だぜ。暗くなって外に出る時は、くれぐれも気をつけろよ」
「へええ、物騒なんだあ……どんな風に物騒なの?」
小首を傾げるフィオナに、ジェイクは難しい表情を作って見せた。
「そうだなあ、例えば、白い仮面を付けて山刀を持ったマッチョな大男がうろついているかもしれないぞ。前に、そんなのが出たらしい」
「何それ……その大男、何なの? 何しに来るの?」
「何でも、湖で溺れ死んだ少年の魂が、悪霊になって生きてる人間に取り憑いたんだってさ。あっちこっちで、大勢の人を殺したらしいぜ。しまいにはニコライとボリスがやっつけたんだけど、かなり手こずったって話だよ」
「えッ!? あの二人が手こずったの!?」
フィオナは、目を丸くしている。ジェイクの方は、訳知り顔でウンウンと頷いた。
「ああ。悪霊に取り憑かれた人間は、恐ろしく強くなるが……そのうち人間をやめて、身も心も本物のバケモンになっちまうらしいんだよ。ニコライがそう言ってたぜ」
いつになく真面目な顔で語るジェイクに、フィオナは顔をしかめた。
「怖いよう、ジェイク……悪霊出たら、どうしよう。あたし、夜トイレに行けないかも」
「大丈夫だよ、そん時は俺を起こしてくれ。俺が、お前を守るから」
そう言って、ジェイクは胸を張る。フィオナは、嬉しそうに微笑んだ。




