第2部『第二の観測者』
プロローグ:合理的な未来
事故は、三秒後に起きる。
理央は階段の踊り場で立ち止まった。
視界の端に、半透明のウィンドウが浮かんでいる。
【3.2秒後:男子生徒転倒】
【負傷率 72%】
【回避可能】
彼は迷わない。
一歩前に出て、通りかかった男子生徒の肩を軽く引いた。
「足元」
次の瞬間、段差につまずくはずだった足が空を切る。
事故は、起きない。
ウィンドウが更新される。
【世界安定度 +0.003%】
理央は無表情のまま歩き出す。
これが正しい。
最も被害の少ない未来を選び続けること。
それが合理的な人間の義務だ。
彼のスマートフォンは、普通の端末ではない。
アプリのように見えるそれは、ある日突然インストールされていた。
削除不可。
名称は――
【OBSERVATION】
最初は幻覚だと思った。
だが、表示された未来は必ず的中した。
いや、違う。
的中させているのは自分だ。
“最も確率の高い分岐”を選んでいるだけ。
理央は理解した。
これは予言ではない。
これは――
未来の分岐演算。
昼休み。
端末が震える。
【特異点検出】
画面に一枚の写真が表示される。
校舎の窓際。
そこに映る女子生徒。
名前が表示される。
【結】
安定度への影響値が異常に高い。
【観測履歴:あり】
理央の指が止まる。
観測履歴?
スクロールすると、不可解なログが並んでいる。
【旧観測装置:焼却】
【影構造:崩壊】
【観測中断確認】
理央の心拍が、わずかに上がる。
観測を“やめた”人間がいる?
そんな選択は、非合理だ。
未来を読めるのに、読まない?
理解できない。
だが同時に――
画面の下部に赤い警告が表示される。
【同時観測者存在の可能性 41%】
【衝突リスク上昇中】
理央は小さく息を吐いた。
なるほど。
世界は二人の観測者を必要としないらしい。
放課後、廊下でその女子とすれ違う。
結。
彼女は理央を見る。
一瞬だけ、目が止まる。
理央の端末が微振動する。
【分岐増加】
【安定度低下】
画面に三つの選択肢が浮かぶ。
A:接触回避
B:友好的会話
C:排除準備
理央は迷わず、Bを選ぶ。
合理的に観察するためだ。
「転校生だよね?」
彼女が先に話しかける。
理央は頷く。
「神崎理央。よろしく」
その瞬間、画面が激しく点滅した。
【未観測領域干渉】
一瞬だけ、全ての数値が消える。
未来表示が、空白になる。
理央の呼吸が止まる。
初めてだ。
未来が表示されない。
わずか一秒。
だが確かに、“何も見えない時間”があった。
画面が復旧する。
【警告】
【対象:高不確定因子】
【排除推奨度 68%】
理央は結を見る。
彼女は何も知らない顔で笑っている。
だが理央には分かる。
この少女は――
未来を“固定しない存在”。
最適化を拒む誤差。
世界のノイズ。
理央は静かに決める。
合理的に処理する。
それが、最善だ。
端末の画面に最終ログが表示される。
【第二観測者、活動開始】
理央は歩き出す。
その背後で、夕日が校舎を赤く染める。
世界は今日も、最適化される。
まだ――完全ではないが。




