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夜の図書館の秘密  作者: 臥亜


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4/14

夜の迷宮

階段を上がった瞬間、空気が変わった。


昼間の図書館の匂いではない。

湿った紙と、古い木と、どこか鉄のような匂いが混ざっている。


結は日記を強く握りしめた。


迷路のように並ぶ書架は、昨夜よりも増えている気がした。一本道だったはずの通路が枝分かれし、奥へ奥へと続いている。振り返ると、さっき通った道はもう存在していなかった。


「……嘘でしょ」


床に落ちた埃が、足元でざわりと動く。

まるで何かが息をしているみたいに。


日記を開くと、文字がゆっくりと浮かび上がる。


――右へ三列。

――七番目の書架。

――振り返るな。


「振り返るな、って……」


その瞬間、背後で足音が鳴った。


コツ。


コツ。


一定のリズムで、確実に近づいてくる。


結の喉がひゅっと鳴る。

振り返りたい衝動を必死にこらえ、指示通り右へ進む。三列目。七番目の書架。


そこにあったのは、鏡だった。


本棚の間に、不自然なほど大きな鏡が立てかけられている。

曇った表面に、結の姿が映る――はずだった。


だが、映っていたのは結だけではなかった。


背後に、黒い影が立っている。


ゆっくりと、影が首を傾げる。


結は反射的に振り向いた。


誰もいない。


もう一度鏡を見る。

影は消えていない。むしろ、少しずつ結に近づいている。


「……何なの、これ」


日記のページが、勝手にめくれた。


――影は奪う。

――名前を。

――記憶を。

――存在を。


その瞬間、結の頭の奥で、何かが弾けた。


花山の顔が、思い出せない。


声も、笑い方も、ぼんやりと霞がかかったように曖昧になる。


「やだ……やだ、やだ……!」


影は、消えたのではない。

奪われたのだ。


存在そのものを。


鏡の中の影が、すっと腕を伸ばす。

鏡の表面が水面のように揺れ、黒い手がこちらへ突き出された。


結は後ずさる。だが、背中が書架にぶつかる。


逃げ場がない。


そのとき、日記の最後の余白に、新しい文字が浮かび上がった。


――影の名を呼べ。


「名前……?」


影に、名前がある?


鏡の奥で、影が笑った気がした。


その瞬間、結の脳裏に、ひとつの言葉がよぎる。


この図書館の古い呼び名。

ずっと昔、取り壊されたはずの旧館の名。


「……クロノス書庫」


結がそう呟いた瞬間、鏡がひび割れた。


甲高い音とともに、空間が震える。

書架が崩れ、闇がざわめく。


影が苦しむように歪み、悲鳴とも風音ともつかない声を上げた。


だが、完全には消えない。


むしろ、怒りを帯びたように巨大化していく。


日記が焼けるように熱くなる。


最後の一文が浮かび上がる。


――次に奪われるのは、君だ。


影が一歩、こちらへ踏み出した。


結の足元の床が、音を立てて崩れる。


落ちる。


闇の底へ――。

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