【2巻発売記念】かわいい人
本日10月17日に『花の聖女と胡蝶の騎士2 〜ないない尽くしの令嬢ですが、実は奇跡を起こす青薔薇の聖女だったようです〜』が電撃の新文芸さまより発売となります。
どうぞよろしくお願いいたします!
季節はまもなく春になろうとしている頃。
その日、リリアーナがキッチンのそばを通りかかると、調理台に寄りかかるようにしてハリーがうつむいていた。
わかりやすく落ち込む姿に、リリアーナは足を止める。
(ハリー様、どうしたのかしら……?)
一体何が、彼をそうさせているのだろう。
リリアーナは心配になって、そろそろとハリーのそばへ歩み寄った。
「あの、ハリー様?」
顔をのぞき込むと、しょんぼりとしたハリーと目が合う。
「ああ、リリアーナか……」
リリアーナの名前を呼ぶハリーの声に、元気がない。
それどころか、リリアーナが声をかけたことでますます落ち込んでしまったようだった。
(わたし、また何かしてしまったのでしょうか?)
勘違いであってほしい。そう思いながら、リリアーナは問いかけた。
「どうしたんですか? そんなに……しょんぼりとして」
知らない間に、リリアーナが彼を傷つけてしまったのだろうか。
とても心配である。
「ああ、いや……その……」
歯切れ悪いハリーに、リリアーナは表情を曇らせた。
だが、ふと彼の手元を見ると、タルト型に甘く煮詰めたリンゴが入っている。
タルトに使うにしてはリンゴが大きめにカットされているのは、リリアーナが食感のある方が好きだからだろう。
(タルト型と煮詰めたリンゴ……)
その時、リリアーナは昨晩の約束を思い出した。
今日はハリーが、特製のリンゴのタルトを振る舞ってくれるはずだったのだ。
焼かれていないタルト生地と、こんがりと焼けたリンゴの甘露煮。
となれば、考えられることは一つである。
「ハリー様。もしかして、ですけれど……リンゴのタルトを作ろうとして、タルト生地を入れ忘れてしまった……のでしょうか?」
リリアーナの推察に、ハリーの肩がギクッと戦慄く。
そして、観念したようにコクリとうなずいた。
もしかしなくとも、そうなのだろう。
「その……考え事をしていたらこうなっていて……。いや、大丈夫だ。今からでも十分、作り直す時間はある」
問題はないと取り繕うハリーに、リリアーナは驚きながらも胸を撫で下ろした。
ハリーの様子からもっと深刻な悩みだと思っていたので、思いのほかささやかな悩みで安堵する。
(幸い、作り直す必要はなさそうだわ)
リリアーナの趣味は読書である。
シュタッヘルへ来てからは料理本も読むようになり、そのおかげでこの件の解決策を思いついた。
「大丈夫ですよ、ハリー様。作り直す必要もないです」
「しかし」
これだぞ? とこんがり焼けたリンゴの甘露煮に目を落とすハリー。
リリアーナは励ますように、彼の手に触れた。
「とある本で読んだのですが、煮詰めたリンゴを敷き詰めて焼き、上に生地をかぶせてさらに焼いて作るお菓子があるそうです」
「……確か、タルト・タタンだったか」
「ええ、そうです」
「だが、良いのか? リリアーナは、リンゴのタルトを楽しみにしていただろう?」
確かにリリアーナは昨日、リンゴのタルトが楽しみだと言った。
だけれどそれは、ハリーが作るから楽しみなのであって……。
(こんなことでしょんぼりしてしまうだなんて……ハリー様は真面目すぎるわ。たまには気を抜いたって良いのに)
リリアーナを甘やかしたい。
ハリーのその気持ちは、嬉しいし、ありがたいと思う。
だけれど、黒薔薇の館にはハリーとリリアーナしかいないのだ。
時折ノヴァやノルマリスも来るが、ほとんどの時間は二人だけ。
少しくらい気を抜いたって良いと思う。
(むしろ、気を抜いているところを見てみたい……かも?)
シュタッヘルへ到着する前、倒れたハリーを看病した時のことを思い出す。
微睡む表情。子どものような、拙いしゃべり方。
あの時の彼は本当に弱りきっていて。元気になった今だから思えることだが、無防備なところが少し……かわいらしかった。
(こんなにすてきな男性なのに、かわいいと思うのは失礼かしら)
かわいいより、かっこいいって言ってほしい。
いつか読んだ本の一節を思い出して、リリアーナは微苦笑を浮かべた。
(そうね。口に出すのは……やめておきましょう)
これは内緒にしておこう。
ささやかな秘密を胸にしまい、リリアーナはクスッと笑った。
「ハリー様が作ってくれるなら、わたしはタルト・タタンだってうれしいです」
リリアーナの胃袋はすでに、ハリーに掌握されている。
リンゴのタルトがタルト・タタンに変更になったとしても、満足しないはずがないのだ。
「むしろ、ハリー様のタルト・タタンはまだ食べたことがないから……とても気になります」
期待を込めて見上げれば、ハリーは「うぐ」と一瞬息を止めて。
気を取りなおすように咳払いをしたハリーの耳は、うっすらと赤らんでいた。
ついうっかり「かわいい」と言いかけて、リリアーナは慌てて言い換えた。
「せっかくですから、お手伝いしても良いですか?」
「ああ、ぜひ」
渡されたエプロンを身につけながら、ハリーを見る。
うきうきと準備しだしたハリーに、リリアーナは思った。
ハリー様はやっぱりかわいい、と。




