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Article 52 : quantum of action - 動き出すものたち

52-1 [AK ̄] 48


 ニューヨークに戻ったあたしの報告を受けて、ジョセフ・クロンカイトはNPU事件に関する総括記事を発表した。

 それは、ゆきすぎた産学連携への警鐘と、研究者の暴走を牽制する体制の不備を指摘する内容だった。

 ボーア博士やアルバートさんとスポンサーたちとの関係については、報道を見送ることにした。報道することの公共性と、彼女の身の安全とを秤にかけた上での判断だった。


 検察当局が進めていたインサイダー取引の捜査は、アルバート・シュレーディンガーの書類送検がなされたものの、被疑者死亡で不起訴となった。


 世間を大きく騒がせた事件でありながら、結局のところ、処罰された者はひとりもいないという奇妙な結末だった。CERN所長のマクシミリアン・プランク博士が引責辞任したことが、唯一の処罰らしきものだったことは、皮肉としか言いようがなかった。



 報道の翌日、あたしはジャーナリズム・スクールの学長から呼び出しを受けた。

 出向いた学長室には、ジョセフもいた。

 CNNのオーナーでもある学長エドワード・マードックは、シルバーグレーの髪と口ひげが印象的な老齢の男性だ。入学前の口頭試問で会っただけだったけど、彼はあたしの顔を見ると、笑みを浮かべて「やあ、アヤノ」と気さくにファーストネームで呼んだ。


「堅苦しいのは好みじゃないから、僕のこともテッドと呼んでくれ」


 あたしたちにコーヒーを勧めてから、テッドさんは「さて」と話を切り出した。


「話というのは、なんだい。ジョセフ」


 ジョセフは、ああ、と応じたあと、ニュースショーで重要な発言をするときのように、やや間をあけてから口をひらいた。


「私は今月いっぱいで、CNNとの契約を解除し、ジャーナリズム・スクールの講師を辞任することに決めた」


 あたしは心底、驚いた。

『合衆国の良心』と異名をとるジャーナリストが、引退すると言ったのだ。

 言葉も出ないあたしを横目に、テッドさんは「本気か?」とジョセフに問いかけた。

 ジョセフは、ゆっくりと首を縦に振った。けれど、話の内容とは裏腹に、その眼差しには闘志が満ちていた。

 テッドさんが、ふっと含み笑いをした。


「そうか……。やるのか、やはり」

「もちろんだ。これで終わりになどしない。サスーン・グループもグローバル・ユリウスも、正体はいわゆる『死の商人』だ。ああいう連中のせいで、世界から紛争がなくならない。私は生涯をかけて、それを告発していこうと決めている。いい機会だから、フリーになって徹底的にやってやる」


 あたしは、そういうことか、と胸をなでおろした。

 そこまで腹を括ったのなら、いまさら周囲の者が何を言っても、耳など貸さないだろう。良きにつけ悪しきにつけ、ジョセフ・クロンカイトとはそういう人物だ。

 でも、それでは……。

 口を開きかけたあたしの機先を制して、テッドさんが意外な助け舟を出した。


「君はそれでいいだろうが、アヤノのことはどうするつもりだ?」


 テッドさんの問いに、ジョセフはめずらしく言葉に詰まった。

 理由なら察しはつく。真面目な人だから、あたしを途中で見捨てることに呵責があるのだ。とはいえ、ついてこい、と言える状況でもない。

 ジョセフはひとしきり考え込んだあと、あたしに向けて告げた。


「これは、とても危険な仕事だ。だから、後顧の憂いを絶って、私ひとりの責任で戦う。これ以上、アヤノを巻き込むわけにはいかないのだ。わかってくれるね?」


 そう言うだろうと思っていた。

 言葉に込められた、ジョセフの良心は痛いほど分かった。

 けれど、あたしは「わかりません」と答えた。


「あたしは、先生の指示で、この事件のど真ん中に放りこまれました。そして、ずっと事件を追ってきたんです」

「そうだったな」

「そして、まだ終わりじゃないんですよね」

「ああ。だからこそ、これ以上は関わらないほうがいいのだ」


 あたしは、首を横に振る。

 その説得は、もう遅すぎだった。


 あたしは今回のことで、世界の深さと広さを思い知った。

 科学の世界もジャーナリズムの世界も決して聖域ではないし、研究者もジャーナリストも聖人君子ではない。真理や真実への純粋な探求心とともに、お金や名誉への醜悪な欲望が、混然一体となった俗世そのものだった。

 それゆえに、そこには根が深く、大きな問題がよこたわっている。

 それを知ってしまった以上、あたしはもう、目をそむけ耳をふさいで、自分ひとりの安寧に逃げ込むことはできない。


 それに。

 あたしはアルバートさんが亡くなったことで、重い十字架を背負った。

 それは、だれかに――たとえばジョセフ・クロンカイトに、肩代わりをさせられるようなものではない。ジャーナリストだからではなく、ひとりの人間として、アルバートさんの命の重さを受け止めなければならないのだ。

 でも、それでいい、とあたしは思う。

 だって、あの日、星空の下で、幼馴染のアイツに星座を教えてもらったときから、あたしの星座は、はくちょう座だと決めている。だから、十字架――ノーザンクロスは、背負うのが当然のものなのだ。


「先生」と、あたしはジョセフに呼びかけた。


「あたしには、この事件に関わる権利と責任があります。先生が軍産複合体を告発したいように、あたしにもやりたいことがあるんです。それに、ジャーナリストの責任は、途中で投げ出すことではなく、最後まで真実を追求すること、でしたよね。それなのに、こんなところでリタイアしろって言うんですか」


 あたしの回答に、ジョセフは盛大にため息を漏らした。

 けれど、テッドさんは「ほう」と感心した。


「いい生徒を持ったな、ジョセフ。君の負けだよ」

「からかうなよ、テッド。これ以上は、ほんとにまずいぞ」

「だからCNNも辞めるというのか?」

「そうだ。やつらの関連企業のなかには、マスコミへのスポンサーもいる。フリーにならなければ、思いきりやれないからな」


 テッドさんは、はっ、と吐き捨てた。


「メディア王と呼ばれるこのテッド・マードックを、見くびってもらっては困るな。軍産複合体とのぶん殴り合い、じつに愉快じゃないか。やつらが邪魔しようが、電波やネットで、全世界に君の記事やニュースを拡散させてやるさ。いったい何億人が視聴すると思う? 考えただけでわくわくするじゃないか。それから、こんなにかわいい生徒を、最後まで面倒を見ないでどうする。安心しろ、君がくたばったら、僕がアヤノを引き受ける。とにかく、君との契約は継続だ。それでいいな、ジョセフ」


 反論の隙も与えず、テッドさんはジョセフを押し切った。上には上がいるものだ、とあたしは感心した。

 生徒と上司に言いくるめられた、合衆国の、いや、この部屋でただひとりの『良心』は、もういちどため息を漏らした。


「わかった。契約期間はいつまでだ?」


 そうだな、と答えながら、テッドさんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「君たち二人の、ピューリッツァ賞授賞式までにしよう」



 ジョセフたちと別れ学校を出るころには、すっかり日が暮れていた。

 見上げたマンハッタンの上空に、星空は見えなかった。それでも目を閉じれば、この時期のこの時刻の星空を思い描くことはできる。

 北斗の柄からアークトゥルス、そしてスピカにつながる春の大曲線が、美しいカーブを描いていることだろう。高校時代のあたしと親友と幼馴染の三人が、未来の夢と約束を託した夏の大三角の星たちは、まだ東の地平線の下だ。


『どんなに遠く離れても、この空は、僕たちの星空は、いつもつながっているから』


 あのときの約束は、今もあたしを支えている。

 けれど……。

 思えば、なんて遠くまで、あたしは来てしまったんだろう。きっともう、あの穏やかで幸せな場所には戻れない。

 それでもやはり、あたしはもっと先へ、もっと遠くへと歩んで行くのだろう。そして、知りたいと思うのだ。

 この世界の未来を。この世界に内包された、あまたの真実を。

 これからあたしが得るものへの期待と、失っていくものへの惜別が、いちどに押し寄せて。

 あたしの頬を、熱い涙が伝わった。



52-2 [NB ̄] 12


 パソコンの画面ごしに、私はその懐かしい部屋の様子を観測していた。

 かつてアルバート・シュレーディンガーが座っていた席には、長い黒髪の女性が白衣を着て座っていた。

 CERN標準理論検証グループ主任研究員、イズミ・ユカワ・シュレーディンガー博士だ。


 カメラが切り替わり、画面に白い髪と紅碧のオッドアイの女性が映しだされた。

 彼女はこちらに視線を送り、「ニーナ、見てる?」と告げた。

「はい」とマイクにしゃべると、彼女は宝石のような二つの瞳をイズミに向けた。そして、クリスタル・ガラスを思わせる声で話しかけた。


「イズミ、貴女のことは、わたしが支えてあげる。だから貴女は、アルバートとニーナの意志を受け継ぎなさい」


 イズミは、真剣な面持ちでモニターを凝視したまま、吐き捨てるように答えた。


「お断りよ。だって、アルバート兄さんのただひとつの過ちは、研究パートナーにニーナ=ルーシー・ボーアを選んだことだもの。私だったら、絶対に失敗なんかさせなかったわ」


 以前の私だったら、マイクに向かってクレームのひとつもつけただろう。

 だが、残念ながら、いまの私にはそんなことは許されていない。私は、安否や所在を、誰にも知られてはならないのだ。


 アルバートが亡くなり、プランク所長は退任し、そしてベルナルドが所長代理に就任して一年。

 CERNはハイゼンベルク家の、いや、欧州議会の監視下に置かれていた。

 その一方で、サスーン・グループの撤退によって、グローバル・ユリウスが産学協同事業を独占していた。

 いまや、政界と財界の勢力がしのぎを削る、最前線の様相を呈していた。


 そうなるきっかけを作ったのは、まちがいなく私たちだ。だからといって、いまさらその責任をとれるものでもない。

 ただ、私とアルバートの研究がどうなっていくのか、私が希求するものが実在するのか、それだけは知りたかった。


 イズミは実験室のメンバーを見回すと、「プロジェクト『クニウミ』、第一回実証実験を始めます」と宣言した。

 メンバーたちが、実験プロトコルを復唱しながら機器を操作する。


「LHC、最大出力をキープ。ターンアウト・アクセラレータ、回路オープン」

「ホールディング・コリジョンエリア『アメノウキハシ』に、ホーキング輻射の発生を確認」

「シンクロナイズド・デュアル・グラビティスタビライザー、『イザナギ』『イザナミ』、エンゲージ」


 イズミの研究は、多重世界探査計画『テルスノヴァ』を凌駕し、創造神の秘儀を再現しようという試みだ。

 ほどなくディスプレイの中心に、大きな光点が浮かび上がった。

 プローブが計測した重力効果値は、事前に送付されてきた計算書の数値と完全に一致していた。


「NPU-Mk2『アメノヌボコ』、スタートアップ。アインシュタイン=ローゼン・ブリッジ形成臨界まで、あと十、九……」


 カウントダウンが始まり、イズミのこげ茶の瞳が、ほの暗い光を放つ。

 そして、その唇の片側が持ち上がり、ぼそりと言葉を発した。


「待っていてね、アルバート兄さん……」

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