恋は劇薬
久しぶりの投稿なのにグレゴワールがあまり出てこない。
「憂き目にあって辛い思いをしている田舎娘の目の前に、ある日突然素敵な青年が現れて、地獄の底から救い出してくれる――しかもその男性は素敵なだけではなくて力もあって、裕福で、性格も良いかっこいい王子様で――……そんな恋愛物語みたいな奇跡が起きたんですよ、私に。主人公なら最後は王子様と結ばれますよ。でもそれは主人公が王子様に相応しいからでしょう、清らかな性格だったり、秘めた能力があったり……でも私は主人公と違って性格もこんなのですし本当に平凡だし……だから……」
――わかってるんです。私がグレゴワールさんにふさわしくないってことくらい。
ぽつりと付け加えたフロランスは、悲壮な顔をしてうなだれた。
ヴェロニックは飲んでいたワイン吹き出しそうになって、急いで喉に力を入れて目の前のテーブルに片手をついた。グフ、と小さく喉が鳴る。新物のキレのある良いワインを飲んでいたはずなのに、まるで熟成しすぎて酸っぱくなった不味い安ワインを飲んでいるかのような気がした。
「念のために聞くけれど、それはあのグレゴワールの話よね?」
「……あのグレゴワールさん以外にそんな素敵な人いませんもん」
悄然としながらも無意識にのろけるフロランスに、ヴェロニックは額を抑えた。
ローアンヌの片田舎にいた小娘が天才魔術師に助けられて王都に出てきた上に、宮廷魔術師団で働く。確かに恋愛物語のような奇跡だ。が。フロランスの言葉に素直に頷けないのはなぜだろうか。
――グレゴワールには力がある?
これは正しい。なんせ天才魔術師で魔術兵軍の部隊長だ。政治的立場は微妙だが死霊術の力ならもう、抜群に。
――裕福?
そうとも言える。資産家というよりは遊びもせず仕事に没頭した結果、給料が貯まったそうで。
――性格も良い?
まあ……死体大好きの変人だけど。
――かっこいい?
…………微妙。同じ死霊術師から見れば間違いなくかっこいいけれど、生気はないわ髪は魔物のように湿気てうねっているわ頬はこけているわ肌は土気色だわ、間違いなく不気味。
――……王子様?
…………。いや、ない。それはない。王子様はない。
ヴェロニックは咳払いをすると、ワインの入ったタンカードを置いてフロランスに向き直った。
「フロランスちゃんにはグレゴワールが王子様に見えるの? 見た目も?」
「……? そりゃあ、みんな魔物みたいだって言いますけど、確かに顔色悪いし痩てますけど、でも長身だし、目付きも優しいし、……充分王子様じゃないですか」
どうしてこうなった!?と叫ばなかった自分を褒めてほしい。ヴェロニックは真面目にそう思った。
フロランスが王都へ来た当初は、グレゴワールのことをちゃんと「魔王っぽい」と認めていたはずだ。魔王っぽいけど好き、という思いを抱いていたはずだ。
ところが月日が経つうちにいつの間にか「魔王っぽい」が消えて「王子様っぽい」になっている。
ヴェロニックはおののいた。
おそるべし恋心。積もり積もった思慕は目を曇らせるどころか幻覚まで見せるらしい。
(いや、確かにグレゴワールはいい男よ、かっこいいわよ。でも、でも王子様、は、ね……)
ヴェロニックはツッコミたかったが、真面目に落ち込むフロランスをからかうわけにもいかず、仕方なく別のことを尋ねた。
「それで、ふさわしいとかふさわしくないとか、フロランスはどうしてそんなこと考えたの?」
「馬番見習いのピーターに」
「ふさわしくないって言われた?」
フロランスはしょぼくれたまま頷いた。
ピーターは魔術兵軍の馬を世話している、年の頃はフロランスと同じくらいの真面目なな青年だ。そばかすの浮いた顔に白い歯を見せて笑う彼は、フロランスが第五部隊の所属だと知っても態度を変えない数少ない人間で、たま王城で出会うと会話するようになっていた。
そんな良い青年に、新しい友人に、「グレゴワールに相応しくない」とハッキリ言われてフロランスはかなりのショックを受けた。ピーターが言いにくそうにしていたのは、その言葉がフロランスを傷つけるとわかっていて、それでもあえて彼が「忠告」したのだということを如実に示していた。
「わかってるんです……わかってたんです、そんなこと。でも……」
ヴェロニックは、拳を強く握ったフロランスから目をそらした。
(フロランスちゃんにはなんとなく申し訳ないけれど、それ)
たぶん、逆。
ヴェロニックは、ピーターが嬉しそうにフロランスに話しかけるのを何度か目撃したことがある。その一方で、グレゴワールとフロランスが傍目にはいちゃいちゃしながら歩いているところを、ピーターが茫然と見ているのを目撃したこともある。
その時はピーターの青ざめた顔に「あら青春ね」と思っただけだったが。
(グレゴワールはフロランスにふわしくないって言おうとしたんじゃないかしら)
普通ならフロランスのように「田舎娘は天才魔術師にふさわしくない」と考えるのが自然だ。
……だが、相手はなんせグレゴワールだ。ただの天才魔術師ではない。グレゴワールなのだ。自然だと思われるものも自然でなくする死霊術の拠点、死体が闊歩するドムル城の主なのである。
普通なら、田舎の平民でもこんなところに娘をよこそうとは思わないではないか?
ヴェロニックはこめかみを揉んだ。
どちらの方向から慰めるのがいいのか。フロランスの自己評価の低さは故郷で染みついたものだろうから、安易な慰めで直るわけでもない。
どうしたものか、と悩んでいると。
「フロランス」
「あ……グレゴワールさん!」
人気のない食堂にグレゴワールが入ってきて、フロランスはばっと椅子から立ち上がった。
グレゴワールはニタリと笑うと、立ち上がったフロランスの頭を撫でて、少し頬に触れた。
「ン、なんだか元気がないネ? 体調悪い?」
「いっ、いいえ、大丈夫です」
「そう? 無理は禁物だヨ。そうだ、今度、ナヌロ広場に大市が立つんだ。一緒に行かないかい」
「……大市!」
とたんに目を輝かせたフロランスに、ヴェロニックは思わず吹き出しそうになった。あれほど落ち込んでいたのに、グレゴワールに会って優しくされたとたん、頬を紅潮させて気分が舞い上がったようだ。
(まあったくねえ、毎日顔を合わせてるっていうのに――)
ヴェロニックはタンカードをあおって、どうにも笑みが浮かんでしまう口元を隠した。
フロランスはこれからも、グレゴワールへの恋心に苦しむのだろう。
そしてそのたびに、グレゴワールに救われるのだ。




