29.名もなき関係2
「あの、私」
フロランスは青ざめて口ごもった。
グレゴワールもフロランスの祖父が説教師だと知ったとたん、デフロットについて問わなかったか。なぜクロディーヌまで似た反応をするのか。なぜ――母カロルはデフロットの名を隠そうとしたのか。いったい祖父ピエール=デフロットはなにを――……。
押し黙ったフロランスに、クロディーヌの侍女は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「お嬢様、こんな田舎娘がデフロット老師の関係者であるはずがありません」
「でも、あのグレゴワール様が連れてきたのよ? 関係していてもおかしくないわ」
「優しい方ですから、哀れな子に同情されただけでしょう」
「わたくしもそう思っていたけれど、同情で村娘に手を貸していたらきりがないわ」
クロディーヌは自分で自分の説に納得したように何度も頷いている。
フロランスは道の横にそびえる王城の壁が急にぐらりと揺れたかのように感じた。
(グレゴワールさんは私がデフロット老師の関係者と考えて連れてきた?)
大魔術師のグレゴワールがなぜここまで親切にしてくれるのか不思議だった。きっと彼が親切だからだ、そう思っていた、が――。
どくん、と心臓が大きく跳ねた。
グレゴワールにはフロランスを王都へ連れて行く理由があった。そう考えた方が自然なのではないか?
(……違う! グレゴワールさん、デフロットの名は口にしない方がいいって忠告してくれたもの)
洗濯籠の縁が掌に食い込むほど強く握る。
――可哀想な義姉さん。
――理由もなく義姉さんを王都まで連れて行ってくれるなんてことはないでしょう。ね?
――村で贈り物をされたことだってないでしょう?
――それなのに魔術師様が義姉さんのこと……。
心の底から滲み出てくる声にフロランスはぶんぶんと頭を振った。
(違う、違う! アリゼのことなんて忘れなきゃ……それに、仮にそうだったとしても別にいいもの)
葛藤するフロランスのことなどそっちのけでクロディーヌは滑るように古城へ歩き、その後を洗濯物を抱えた侍女が重さを感じさせないような動きで追っている。
「でもクレドーみたいな田舎に……」
「説教師は田舎へも行くものよ。そうでしょう?」
「ええ、まあ」
「デフロット老師の関係者であればグレゴワール様がわざわざ連れてきたのも納得ができるわ。ほら、あの子なにか知ってそうよ」
「……あ」
しまった、と思ったときにはクロディーヌと侍女は揃ってフロランスの方を振り返っていた。王城の北門が目の前にあるというのに二人はそこから先へ進む気配を見せず、じっとフロランスを観察している。
フロランスは慌てて頭を横に振った。
「し、知りません! 以前同じことを聞かれたので驚いただけです」
「お嬢様に嘘をついているんじゃないでしょうね」
侍女はフロランスをじろりと睨んだが、フロランスはなんとか堪えて話をそらした。
「そのデフロット老師という方はどういう方なのですか? 私、なにも知らなくて」
「あなたみたいな平民風情は知らなくても当然ね。デフロット老師は大魔術師シプリアン様の親友なのよ。それでシプリアン様が亡くなるときに――」
「お嬢様いけません!」
侍女が鋭い大声を出した。
フロランスはびくっと首をすくめたが、当のクロディーヌは優雅に微笑むだけだ。
「いいじゃない。教えておいた方がグレゴワール様の役に立つでしょう?」
「しかしあの話はみだりに口にしてはならないと」
「禁句というほどのものでもないわ。王城でいつ噂を耳にしたっておかしくないでしょう?」
侍女は不満そうだったがそれ以上口を挟まなかった。クロディーヌは王城と古城をつなぐ北門の前で首をぐるりと回し、周りに衛兵がいないのを確認してから腰に手を当てた。
「シプリアン様はなくなる際にとある書をデフロット老師に託したのよ。その書は消失したと言われているけれど、デフロット老師が秘匿したままで現存しているという噂もあるの。デフロット老師はもう亡くなったけれどね」
「どんな書なのですか?」
「死霊術の秘術を記してあるのよ。なんでも人を簡単に操ることができるようになるって。それがあればどんな人間も、どんな街も、どんな国も思いのままよ。だから誰もが欲しがるの」
フロランスは息を呑んだ。つまりデフロットの関係者であれば書を所持していると疑われ、あるいは書の行方の手がかりを知っていると思われて、その身に危険が及ぶ可能性があるということだ。
想像以上に話が壮大である。絵空事にしか聞こえなかっただろう、もしフロランスがカロルからデフロットのことを口止めされていなければ。
(もしかしてデフロット老師はお祖父ちゃんで、だから私たちの身に危険が及ぶかもしれないと、お母さんはあんなことを言った? それともデフロット老師とお祖父ちゃんは別人だけれども、同一人物と勘違いされると私たちが危ないから――?)
そう考えれば筋が通るではないか。
フロランスがなにも言わないのを見て、侍女は「鈍いわねえ」と首を横に振った。
「その書をグレゴワール様も手に入れたがっているってことよ。ですよね、お嬢様?」
「ええ。あれほど死霊術の研究に熱心な方ですもの、当然ね」
「フロランス、あなた、心当たりがあるんじゃなくって? 身に危険が迫っているとか。そうでもなければ『幸せにしたい』だなんて、いくらなんでも、ねえ?」
「そうですね、お嬢様の仰る通りです」
フロランスの祖父が「デフロット老師」だったとすれば。グレゴワールがフロランスを王都へ連れてきて、あまつさえ「最も幸せにしたい」と言った、その理由がはっきりとわかるではないか?
フロランスは喉が詰まったようになった。
クロディーヌは満足げに頷いた。
「思いつきで言ったけれど我ながら名推理ね。フロランスの祖父はデフロット老師、それか老師のお友達なのでしょう? ちょうど年齢も同じほどでしょう」
「あの、私は――……」
「そこまでにして下さい」
固い男の声が響いた。
北門の横手から現れたのはアルベールだった。書類を片手に難しい表情をしている。彼はフロランスとクロディーヌの間に割り込んで、フロランスを庇うようにした。
クロディーヌはひょいと眉を上げた。
「あら、アルベール様。先日ぶりね。第五部隊に用事でもあったのかしら。それとも親友の愚兄様にでも?」
「仕事ですよ。クロディーヌ嬢、こんな場所で彼の話をしてはいけません」
「あら、街ならともかく王城よ?」
「それでも、です。王城には人が多い、よからぬ者が耳を澄ませていないとも限らないのですよ。みだりに彼との関係をにおわせれば、フロランスさんもクロディーヌ嬢も危ない目に会いかねないのですよ」
「もう、心配性ねえ」
「当然の心配です。あなたも何をしているのです、侍女は主を守るものでしょう」
「……はい」
侍女はアルベールの厳しい言葉に気まずそうにした。
アルベールはフロランスの洗濯籠を片手で持ち上げると、書類を持っている方の手でフロランスの肩を優しく叩いてクロディーヌから距離を取った。
彼は整った顔に真剣な色を乗せてフロランスをのぞき込んだ。
「フロランスさん。先ほどの話は本当かな?」
フロランスは飛び上がって頭を横に振った。デフロット老師が祖父であると決まったわけではない。それに祖父であったとしても口に出してはいけないのだ。
「違います、そんな話聞いたこともないです! 祖父は説教師だとしか」
「そう。それならいいけど……いや、仮に本当であったとしても言わない方がいい。誰にもね」
アルベールはグレゴワールと同じことを言った。フロランスは素直に頷いた。
「特に、死霊術の関係者の前では禁句だ」
「書が死霊術関連のものだからですか?」
「ああまったく、そんな話までしてしまったのかクロディーヌ嬢は! うん、その通り。その書――シプリアンの書は禁書指定されているのだけれど――力が欲しいものは皆欲しがる。それだけじゃない、死霊術への探究心からシプリアンの書を求める者もいるからね」
「……グレゴワールさんも?」
クロディーヌはグレゴワールがシプリアンの書を欲しがっていると明言していた。だがアルベールはそれは禁書なのだという。
であれば、グレゴワールは法を犯してまでシプリアンの書を欲しがっているということになってしまうではないか?
フロランスが不安げに尋ねると、アルベールは頭を振った。
「そう考えられている。そう見られているんだ、周りからは。僕には彼が禁を破ってまでシプリアンの書を欲しがるとは思えないけどね」
「そう、ですか」
「でもどのみちグレゴワール部隊長にも言わない方がいいと思う」
「なぜですか?」
「危ないから。キミの身が、ね」
フロランスは怪訝な顔をした。
グレゴワールがシプリアンの書の手がかりを求めてフロランスを害する可能性があると言いたいのだろうか。
アルベールはフロランスの内心を正確に読み取って、声を低くした。
「グレゴワール部隊長じゃなくて周囲の人間がキミにとって危険なんだ。グレゴワール部隊長にはただでさえ悪い噂が多い。そこに、彼がシプリアンの書の手がかりを入手した、それがフロランスだという噂が立てば――グレゴワール部隊長の暴走を恐れ、あるいは義憤に駆られた者がフロランスさんを害するかもしれない」
「あの、ちょっと待って下さい。どういう意味ですか? 義憤、とか」
フロランスは混乱して狼狽えた。
第五部隊の評判が悪いのは充分にわかったが、アルベールの言い方ではまるでグレゴワールが反逆者のようではないか?
(……見た目のせい? でも、いくらなんでも……)
アルベールはフロランスの耳に口を寄せて囁いた。
「信じないでね。グレゴワール部隊長には先王を殺したという噂がある」
「ええっ!?」
思わずフロランスが大きな声を上げると、アルベールが慌てて「しいっ」と指に口を当てた。
「すみません。まさか、グレゴワールさんが」
「うん、彼は無実だろう。でも問題はグレゴワール部隊長の罪の有無じゃなくて、周りの人間が彼をどう評価しているかということなんだ。先王殺しのグレゴワールがシプリアンの禁書を手に入れてヴェルネ王国を乗っ取ろうとしている。ならばそれを阻止するために、禁書の手がかりであるフロランスさんをどうにかしてしまおう――そう考える輩がいても不思議ではない。そういうことだよ」
フロランスは言葉を失って、ただ茫然と立ち尽くした。
アルベールは宥めるように言葉を紡いだ。
「キミがグレゴワール部隊長と一緒にいるときは安全だろう。でもそれ以外のときは? 僕が側に居ればキミを守ることができる、でも僕だってフロランスさんといつも一緒にはいられない。だから、どうか慎重にね」
「……ありがとうございます」
混乱したまま頭を下げると、アルベールはにっこり笑って、再びフロランスをクロディーヌの元へ誘導した。
門の前でつまらなさそうにしていたクロディーヌは、仰いでいた扇子をぱちんと閉じて、それをフロランスに突きつけた。
「悪かったわ。アルベール様の言う通りよ。わたくしだって危ない目に会うのは嫌だもの。あなたもそうでしょう? だったら、その説教師のお祖父さんを探すというのは諦めなさい。疑われるわよ」
「えっ……ええー!?」
あんまりな命令に言葉に目を白黒させていると、アルベールが苦笑した。
「僕がこっそりお祖父さん捜しをお手伝いしよう。それなら大丈夫だから」
「え、でも」
副部隊長かつジュールの友人であるらしいアルベールまでもが探してくれるとなれば心強い。しかし――。
「ありがとうございます、でも、なにもお返しできるものもないので」
「恩返しをして欲しいわけじゃないよ」
「でも、それならどうして……」
「どうしてだろうね。なんとなくキミに惹かれるから、かな。不思議だね」
目をそらして照れたように笑うアルベールに、フロランスもまた少し赤くなった。
(うわあ……恥ずかしい、アリゼが言われてた口説き文句みたい)
フロランスとて一度言われてみたいと思ったことはある。が、まさかこんな美青年に言われるとは思ってもいなかった。恋情はないのだとしても。
アルベールはコホンと咳払いをすると、「くれぐれも気をつけて」と念を押して足早に王城の門へ向かっていった。
「あらあ、アルベール様に気に入られているようね?」
「えっ、あの、そういうわけじゃないです、絶対」
フロランスがお気に入りだなどと言われてはアルベールにも失礼だろう。そう考えてフロランスはきっぱり否定した。
が、クロディーヌは全くフロランスの言葉など聞いておらず「あなたもまんざらではなさそうね」と続けた。
「ふうん、アルベール様ねえ。ただの雑用係がアルベール様と結ばれるのは難易度が高いわよ」
「そ、そんなこと考えてないです」
「遠慮しなくていいわ。私がなんとかしてあげる。平民が貴族と結婚しようとすると許可をとるのが難しいのだけれど平民同士なら身分差があってもまだなんとかなるわ」
自信満々なクロディーヌの言葉にフロランスはぐっと詰まった。
(平民と貴族――……グレゴワールさんは、フーシェ家の貴族だ……なんで落ち込んでいるの、私)
フロランスはグレゴワールと自分との関係に名前が付けられないまま、もやもやとした感情を押し殺して、再び古城へ向けて歩き出したクロディーヌの後を追った。




