22.雑用も積もれば山のごとく
2017/10/24 加筆修正
クレドーを立った日の夜、フロランスは休日になったら買い物に行こうとグレゴワールに誘われた。あの宿での時間のことは忘れられない。思い出すだけで胸がドキドキした。
大魔術師を買い物に付き合わせるなど恐れ多いことだ。期待はしない方が良いと思った。グレゴワールは部隊長として忙しい身、急な用事で買い物に出られなくなることもあるだろう。
しかし心の底では買い物に行く日が楽しみでならなかった。
12歳のころに行けるはずだった、けれどもアリゼしか行けなかった王都。輝かしい栄光の街、そしえて可憐なスミレの都。
あらゆる物が集まるその美しい街で露天の品物を物色したり、道ばたの大道芸や演奏を聞いたり、観劇をしたり。ジョゼやティエリへ送る手紙に使う、便箋やペンも買わなければならない。母のカロルが願っていた、祖父ピエール=デフロットとも会えるかもしれない。それに祖父方の他の親戚にもひょっとしたら――。
けれど、フロランスは自分から買い物のことを口に出すことはしなかった。
グレゴワールは軽率な約束で相手をぬか喜びさせるようなことはしないだろう。だが負担にはなりたくなかった。
それでも、日を追うごとに、心に秘めた期待は膨らんでいく。
***
宮廷魔術師団は、大きく四つの部門に分かれている。魔術の研究を行う魔術探究部、星見や予言を行う占師衆、魔術品を開発・作成する魔術工務部、そして魔術兵軍である。
ヴェルネに住む魔術師や魔術の知識・心得がある者は通常この四つのうちのどれかに属し、おのおのの長の下で仕事を行う。
が、複数の部門にまたがって所属する者も多い。例えばグレゴワールは魔術兵軍の部隊長でありながら魔術探究部死霊術学の長でもあり、ときに魔術工務部の一員として擬躰の改良に勤しむ。
そこで、宮廷魔術師団員としての仕事は部門ごとに与えられた場所にこだわらず、めいめい都合の良い場所でこなすことが慣習となっている。
そしてその結果――伝統的に、古城には魔術兵軍の第五部隊隊員と、魔術探究部の死霊術学研究者、そして擬躰など死霊術関連品の開発を手がけている魔術工務部の技術者が集う。
つまり、古城には死霊術師のみならず重度の死霊術マニアが詰まっている。
洗い場に向かいがてら、グレゴワールはフロランスにそう説明した。片腕には黒っぽい巨大な籠を持っている。
二人は古城から北門を通って直接王城の敷地内へ入り、王城の西側をぐるっと回って南側を目指した。洗い場および物干し場は王城の南の区画にある。
「だから第五部隊員は少なくても古城を使う者はそれなりに多いんだ。擬躰の子もいるしネ」
フロランスは魔術師についてはよく知らない。田舎の庶民は吟遊詩人の歌物語やお芝居で魔術師の話を聞くくらいで詳細を知る機会もない。王都への旅路でいくらかギーに教えてもらったが、彼の話は第五部隊や魔術学校に関する話が多かった。
フロランスはだんだんワクワクしてきた。
朝、目を覚ましてから未知の出来事が次々起こり、未知の話を次々とされる。クレドーではなにも変わらぬ鬱屈した日々が延々続いていたというのに!
「古城の洗濯物を王城の洗い場へ運ぶだけでも大仕事なんだ。終わらなくても当然だから気にしないでネ、フロランス。ただでさえ手が足らないんだ」
「遠いだけじゃなくて量も多いってことですね」
「ウン。前は五人ほどいた雑用係全員で運んでたんだけど最近になって年を取ったからと次々辞めてしまって」
「……それで新しく雇ったけれど定着しない、と」
「なんでだろうねエ」
ウチの者は癖が強いからかなァ、と首を傾げているグレゴワールにフロランスは沈黙を返した。フロランスとて事情が事情でなければ、そしてグレゴワールへの恩がなければ、とっくに逃げ出している自信がある。
「古城の洗濯物は洗い場へ持って行って洗濯係に渡すんだ。そしたら洗って干してくれるから。乾いたものは屯所へ運んで欲しい。そのうちどうにかして人手を回すからしばらくは一人で頼めるかな」
「はい! 大丈夫です、私、丈夫なので」
「まずは他の仕事は忘れていいから。くれぐれも無理は禁物だヨ。服を洗っていない、居住区が汚いというくらいでは死なないんだから」
「そ、そうですね」
フロランスは、古城が荒れていく理由の一端を見た。
***
洗い場では大勢の洗濯係が働いていた。
大きな井戸の傍らに石造りの浅い水だまりがあって、そこへ一人が井戸からざあざあと水を流し入れ、他の者が布地を棒で叩いたり揉んだりして汚れを落としている。彼らの傍らには衣類の詰まった大きな籠が山のように置いてある。
洗い終えたものを別の者がロープを渡した干し場へ運ぶ。干し場は二階建てで、細い足場の上を彼らは器用に歩いて干していく。そこではローブからシーツと思しきリネンまで様々な種類の布地がはためいていた。
別の洗濯係は乾いた洗濯物を色の違う籠に入れ、壁際に置いている。それをどこかの雑用係と思しき人たちがめいめいに運んでいく。
そんな中を一人、赤ら顔の四十そこそこの女性がイライラと歩き回って記録をつけていた。そのいかにもたくましそうな、ずんぐりした女性がベッケル夫人だという。
グレゴワールはベッケルを呼び止め、フロランスの紹介した。それから籠をフロランスに渡して「がんばってネ」と言い残し、東の王城の入り口の方へ行ってしまった。
グレゴワールが去るとフロランスは少し心細くなった。……が。
「フロランスです、どうぞよろしくお願いします」
「まーたチンケな小娘か! 今度こそ役に立つんだろうね、期待もできないけれど! ほんっとに近頃のヒヨッコ娘ときたら根性なし、生意気、ぶりっこ、どうしようもない! 叱らなければサボる、叱れば来なくなって、まったく!」
プリプリと不機嫌に怒鳴り散らすベッケルの前に心細さなど吹き飛んだ。
いきなり難癖を付けられてフロランスはあぜんとするしかなかった。
「洗濯物は毎日こまめに持ってこいというのに第五部隊の連中ときちゃあ全然聞きやしない! まとめて山のように持ってきて、かと思えば洗ってやっても取りに来ない! あれ全部そうだよ、まったく!」
ベッケルの指の先を見てフロランスは絶句した。王城の壁を利用して作られた納屋の一つに布地が詰め込まれている。おそらく黒いのがローブ、黄や青のはタイツかチュニックだろう。肌着らしきものも混ざっている。
その嵩たるや、納屋の天井まで届いている。
「場所とって邪魔なんだよ、なんとかしな!」
「は、はいぃっ!」
「全部どけてもらうまでアンタは休日はナシだからね!」
「えっ……ええー!?」
「当たり前だろ、そんなもん! 今まで怠けてたんだからね!」
フロランスはショックを受けた。第五部隊の洗濯物が溜まっているのはフロランスのせいではない。……が、今やフロランスの仕事には違いない。
運び手はフロランス一人だ、おまけに古城までは距離がある、のんびり運んでいればあっという間に四日は経ってしまう。
(グレゴワールさんと出かけられなくなっちゃう……じゃない、休みがなくなっちゃう!)
またベッケル夫人が怒鳴る。
「早くおし!」
「はいっ!」
慌てて籠を抱えて納屋へ駆け寄る。乾いた洗濯物の山は予想以上に高い。
フロランスは手前から全身を使って山から服をひっぱり出しては軽く畳んで籠に詰めた。上から服を取ろうにも高すぎて手が届かないし、服が乱雑に積み重ねられているせいで引き出すのも一苦労だった。
籠が一杯になるとフロランスはそれを抱えて走った。王城の西を回って北門を通り古城へ。
そのまま大広間の隣、洗い終えた服置き場にしろと言われた部屋に駆け込むと、中では黒ローブが二人座って擬躰をいじくり回していた。大テーブルにはバラバラになった擬躰があり、首などこちらを向いている。が、フロランスは必死になっていたせいで紫色の生々しい肌も生首も虚ろな目ももはやどうでもよかった。
「すみません、そこに洗濯物を置きたいのですが」
「ええー開発の邪魔になるから他の場所にしてくれよ」
「悪いね、先使っちゃって! 隣の部屋空いてるからそこに置いてくれないかな」
二人はそう言ったっきりああだこうだとブツブツいいながら擬躰を再びいじり始めた。退く気配はなく、すでに洗濯物を置く場所はない。
フロランスは仕方なく隣の部屋へ入った。
中は蜘蛛の巣と埃にまみれていた。すぐに退散した。そんな部屋に洗濯物を置けばまた汚れてしまう。
また別の黒ローブをつかまえる。
「すみません、洗濯物置ける場所どこかにないでしょうか?」
「あら、教えてもらわなかったのね。大広間の隣よ」
「そこは既に使われていて、置けなくて」
「やだ、綺麗な部屋だからって勝手に……最近はどこもかしこも汚いのよね」
フロランスは考え込んだ。
今朝起きたところ、グレゴワールの部屋は綺麗だ。きっと勝手に使っても問題はないだろう。だが古城入り口からグレゴワールの部屋までは遠い、いちいちそこまで洗濯物を運ぶのは骨が折れる。
「悪いわね、力になれなくて。少しだけなら私の部屋に仮置きできるだけれどどうする?」
「入り口の近くではないですよね?」
「ええ、居住区だから」
「それならやめておきます、時間がかかってしまうので。掃除用の箒やボロ布はどこにありますか?」
「それならあそこよ」
「ありがとうございます!」
フロランスは大広間へ戻って一番綺麗そうなところへ籠を置いた。それから教えてもらった場所から箒とボロ布、桶を取り出して、蜘蛛の巣と埃にまみれていた部屋へ突撃する。
軽く掃除をしてそこを洗濯物置き場にするのが一番手っ取り早いという結論である。
フロランスは休みを求めて必死になった。
「すみません水ください!」
水を使っている黒ローブに突撃して桶にわけてもらい。
「こんなの落ちてました捨てていいのかわからないのでお預けします!」
転がっていた謎の機械部品をそのへんにいた黒ローブに押しつけ。
「すみませんどいてください立ち止まらないで!」
邪魔な黒ローブは蹴散らし。
すでに遠慮はなかった。あの洗濯物の山を前に遠慮していてはいつまで経っても仕事は終わらないと気がついてしまった。
……それに、フロランスの休みが取り上げられかねないのはもとはといえば第五部隊隊員たちのモノグサのせいである。
ならばなおさら遠慮はいらないだろう、フロランスは猛烈な勢いで床の埃を掃き出しながらそう考えた。
***
バタンと大きな音を立てて扉が開いた。
魔術兵軍第八部隊の屯所、副部隊長室。王城の一角にあるその部屋で報告書を書いていたアルベールはギョッとして振り向いた。
が、入ってきたのがジュールだと知ると彼はほっとした笑みを浮かべ、しかしジュールが息を切らしており服装も乱れに乱れていることに気がついて目を丸くした。
「なんだい、朝から慌てて」
「……っかたねえだ、ろ……んだよあいつら……」
ジュールはヨロヨロと仮眠用の寝台に倒れ込んだ。
珍しく疲れたような様子にアルベールはますます驚いた。
「もしやお父上にでも追われたかい?」
「その方がマシだぜ……あのクソ女、都合のいいときだけやれお兄様教えなさいだのやれ兄らしく妹のためにだの言い、やがって」
憎々しげな言い方にアルベールは口を噤んだ。
ジュールの家庭環境は複雑である。
ジュールはブロンダン伯爵の妻の子供ではなく伯爵が手を出した平民の子供なのだ。本人はそれを知らずに父親のいない平民の子供として街で育った。
ところが6歳になったころ、ジュールは突然ブロンダン伯爵家に跡取りとして迎えられた。伯爵の妻にはクロディーヌしか生まれなかったためだ。
彼は卑しい女の子供と蔑まれながらも耐えた。
が、その後、伯爵の妻が男児を産んだ。
ジュールは不要とされて行き場がなくなった。
そんな折、ジュールの魔法の才能が見いだされ、ジュールはブロンダン家の道具となるべく――追い出されるように宮廷魔術師団青年組織に入ったのである。
その結果、ジュールは鬱屈した。異母妹クロディーヌとも仲は極めて悪い。
アルベールはため息をついた。
「ああ、クロディーヌ嬢絡みだったのか、それは気の毒に。にしてもただごとではなさそうだね。いつもなら怒鳴り返して終わりだろう」
「ヴェロニックの野郎……それに他の第五部隊のやつらも……よってたかってしやがって」
「状況が読めないんだけど、なにがあったんだい」
寝台に転がったままジュールはブツブツと文句を言いながら古城での出来事を説明した。
アルベールは息を呑んだ。
「私の太陽? グレゴワール部隊長が?」
「……らしいぜ。んだよ俺の子猫ちゃーんってか、きっもちわり」
ごろんと仰向けになったジュールはアルベールの表情を読んでそう言った。が、アルベールは困惑したように口に手を当てた。
「本当に、その女の子に私の太陽と言ったの?」
「何度も言わせんな」
「……それは、妙だな」
「気持ちわりいの間違いだろ」
ジュールは疲れたように鼻を鳴らしたが、アルベールは真剣に考え出した。
「違うよ、そうじゃない。グレゴワール部隊長と太陽という言葉が結びつかなくてさ」
「そうだな、『私の大腿骨』っつった方がまだ自然だぜ、あいつならな」
「……それはちょっと……グレゴワール部隊長は闇の神の化身みたいな人だろう。なら愛しい女性に対する呼びかけなら太陽じゃなくて月や星にたとえそうだと思わない?」
「いわれりゃ、そうだ」
ジュールも同意する。
太陽といえば光の神の化身だ。苛烈、正義、規律、輝き、闇を払う光、生命……そんなものの象徴である。闇の神の領域に近い魔法である死霊術をこよなく愛するグレゴワールが、「私の子猫ちゃん」と言う代わりに「私の太陽」などと言うだろうか?
(なにか意味があるのかな。太陽と言えば……)
アルベールはしばらく黙って思考を巡らせた。
気がついたころにはジュールは寝台に伏せて動かなくなっていた。第五部隊隊員にもみくちゃにされてグレゴワールとフロランスの関係について聞きだそうとされ、相当暴れたらしい。
アルベールはそんなジュールを見ながら首を傾げた。
「その子、いったい何者なんだろう?」
<用語紹介>
●魔術探究部
別名、アンドール。魔術の研究を行う。
●占師衆
せんししゅうと読む。別名、ドゥレーヌ。占師=占術が得意な魔術師が所属。
●魔術工務部
別名、キャティヨン。魔術品=魔法のかかった品物や道具を開発したり制作したりする。
●魔術兵軍
別名、ドロワット。魔術師の兵=魔術兵のみで組織される軍。おのおのの部隊は数種の魔術師から成る少人数の隊となっている。(ただし死霊術師のみ全員第五部隊に所属。)




