21.お嬢様の襲来2
クロディーヌがグレゴワールとダンスをするかのようにくるりと回った。ドレスの裾が綺麗な弧を描いて広がる。
「グレゴワール様、このドレス、流行の型をアレンジして作ってみましたの。似合ってますかしら?」
「ええ、真紅のバラが咲き誇っているかのようですネ」
「まあ」
クロディーヌは嬉しそうに笑う。
フロランスはがんと頭を殴られたかのようなショックを受けた。真紅のバラは真実の愛の象徴だ。女性に真紅のバラを捧げる、それはすなわち命を捧げて全身全霊であなたを愛するという意味だ。
(好きなのかな、クロディーヌ様のこと)
なんでもない女性を真紅のバラに喩えるとは思えない。
(……太陽に喩えるのとは比べものにならないわ)
ずきりとした心の痛みはますます大きくなる。
フロランスは胸のあたりで手を握りしめた。
「ヴェロニックさん。クロディーヌ様はグレゴワールさんの婚約者なんですか?」
「まさか! 恋人でもないわ。……貴方、なんて顔してるのよ」
「変な顔、していますか」
ヴェロニックは書類を脇に挟むと、両手でフロランスの顔を挟んできゅっと潰した。
「むうっ」
「変な顔もなにも、捨てられた仔犬みたいな顔してるわ」
「……ふぁの、フェロヒッフふぁん」
「貴方、それだけグレゴワールに大事にされているのになぜ自信が持てないの?」
ヴェロニックに顔を解放されたフロランスはしょんぼりを眉を下げた。
「別に、自信なんて……グレゴワールさんに大事にされていることはわかっています。だから恩返ししたくて」
「そうじゃないわ。自分がグレゴワールに愛されているとは思わないの?」
「愛っ!?」
フロランスはぎょっとして頭をぶんぶんと横に振った。愛されてると思うなど自意識過剰も甚だしいじゃないか、と慌てる。
「まさか! そんなのありえないですよ、美人でもないし気立てが良いわけでもないのに」
「私の太陽とまで言われても?」
「クロディーヌ様なんて真紅のバラに喩えられています。その綺麗なクロディーヌ様にも懸想していないのに私を愛してるなんてことはありえないです」
「グレゴワールにとって真紅のバラに価値があるとは思えないけど……あの男は優しすぎるのよ、いちいち暇人娘に付き合わなくてもいいのに。お邪魔虫にはそろそろ出て行ってもらうとしましょうか」
ヴェロニックはつかつかとグレゴワールの方へ歩いて行った。それからクロディーヌを強引に押しのけてグレゴワールの胸を書類で叩いた。
「グレゴワール、今日は朝から謁見、それから調査の正式な報告よ。これがこっちの分の資料。始まるまでに目を通しておいて頂戴」
ヴェロニックは振り向いて腰に手を当てるとギロリとクロディーヌを睨み付けた。長身で体格が良く、美貌のヴェロニックが凄むと大迫力だった。
クロディーヌは一瞬ひるんだ。
侍女が庇うように前へ出て叫んだ。
「なんて乱暴な! お嬢様がせっかくねぎらいに来たというのに」
「仕事があるのにぺちゃくちゃと、慰安どころか邪魔なだけよ。部外者が気軽に遊びに来ていいところじゃないのよ、お嬢ちゃんたち」
「な……なんて生意気な! 死霊術師を長年支えてきたブロンダン家の私になんて言い草なの。お父様に言いつけてやるわ」
「どうぞ? やれるものならね」
ヴェロニックが鼻で笑うと、クロディーヌは怒りの形相になってヴェロニックに向き直った。
「それに私は部外者じゃないわ。第五部隊隊員の家族ですもの」
「ふん、あなたはジュールと仲悪いでしょう。ここはお嬢様のご機嫌を取る場所じゃないのよ。なにも出来ない人間は去りなさい」
「あの女はどうなのよ!」
突然、クロディーヌの怒りの矛先を向けられてフロランスは焦った。相手は貴族だ。下手に言い返すわけにはいかない。黙って頭を下げる。
「魔術師でもない、平民でしょ? しかも田舎者ね。私の前に立ちはだかったりして頭も鈍そうだし、とてもグレゴワール様の役に立つとは思えないけれど?」
勝ち誇ったような言い方に、フロランスは奥歯を噛みしめた。
――義姉さんは不器用だし失敗も多いもの。王都へ行ったらきっと見限られて酷い目に会ってしまうわ。
そんなことはないと自分で打ち消しても今まで言われてきた言葉が蘇ってフロランスを俯かせる。
本当にグレゴワールの役に立つのだろうか、という不安がみるみるわき上がる。
「あなた、来たばかりの子になんてことを言うの! なにも知らないくせに――」
「どうかしら。私はブロンダン家の女よ。いるだけで役に立つわ。庶民の田舎娘とは違ってね」
「黙りなさい、小娘が」
ヴェロニックが声を荒げるとクロディーヌも強い語調で応酬する。
フロランスは黙って身を固くしていた。頭は真っ白になって、体が強ばって動かない。
と、そのとき、空気を読まないのんびりした声が響いた。
「フロランスは働き者だヨ」
いつの間にかグレゴワールがぶつかりそうなほどの距離まで来ていた。足音もなく。
「初めての長旅を終えたばかり、しかもウチは個性が強いから慣れないうちは居るだけでも気疲れするだろう。なんなら今日は休んでもいいんだヨ、私の太陽」
彼はニタニタ笑いながらフロランスの頤に手をかけて持ち上げ、頬を撫でる。間近にグレゴワールの闇色の目がある。魔物が潜むような闇色、それでいて慈愛に満ちた闇色の目が。
フロランスはほっと安堵してもたれかかりそうになった。グレゴワールが側にいれば大丈夫だと、いつだってそう思える。
が、次の瞬間、フロランスははっと気がついた。目だけをクロディーヌの方へ動かす。
案の定、ヴェロニックは口をあんぐりと開け、クロディーヌは青ざめて硬直し、侍女は顔を強ばらせている。
フロランスも為す術なく固まった。
(やっぱりーーっ! グレゴワールさんてもしかして天然女誑しな上に女心に鈍い!?)
ただの部下に対する気遣いであったとしても、グレゴワールに恋するクロディーヌから見れば、グレゴワールがフロランスの頬を撫でているなど腹立たしいに違いない。
しんと大広間は静まりかえっていた。誰かがボトリと書類を落とした。床に広がる書類のバサッという音が妙に大きく聞こえた。
青ざめていたクロディーヌは体を戦慄かせ、眉をぎゅうっと釣り上げた。
「グレゴワール様! その娘はいったいあなた様のなんなんですの!?」
「フロランス? ウーン……」
グレゴワールはフロランスの頬を撫でながらしばらく考え込んだ。その後、顔だけクロディーヌの方へ向けて言う。
「私が最も幸せにしたい人かな」
「えっ」
「そんなっ!?」
「ハアー!?」
フロランスはボッと顔を赤くした。胸が再びドキドキし始める。今度は嫌なドキドキではない。
(嬉しい)
グレゴワールのことを思えば遠慮すべきなのだろう。しかし、グレゴワールにそこまで言ってもらえることが嬉しくて、フロランスの頭からは遠慮も自制も吹き飛んでしまった。
「……グレゴワールさん。私、今日から働きたいです」
――グレゴワールさんはいつも憂いを払ってくれる。だから今度は私がグレゴワールさんの憂いを少しでも払いたい。役に立ちたい。
そんな思いがますます強くなる。
フロランスが言うと、グレゴワールは書類を持っている方の手でフロランスの背中を優しく押した。
「なら、ベッケル夫人に紹介するヨ。彼女は宮廷魔術師団に雇われてる雑用係のまとめ役なんだ。今頃は洗い場のあたりにいるはずだから」
「はい!」
そのとき甲高い声が後ろから飛んできた。
「お待ちになって!」
振り向くとクロディーヌがギラギラした目でフロランスを見ていた。
「グレゴワール様は会議があるのでしょう? それなら私がフロランスさんをベッケル様のところまでご案内いたしますわ。洗い場の場所もベッケル様のお顔も存じておりますし」
フロランスはびくっとした。貴族に睨まれていいことなど一つもない。
本当はベッケルのところまで連れて行ってもらえないのではないか、フロランスは直感的にそう思ったが、平民のフロランスが逆らうことなどできるはずもなく黙っているしかない。
「ね、フロランスさん。あなたもそう思うわよね?」
強い調子の物言いに気圧されてフロランスは頷きかけた。
が。
「ご配慮痛み入ります、クロディーヌ嬢。しかしまだ時間はありますので心配はご無用です。新人の世話もまた部隊の仕事、それをクロディーヌ嬢にさせるわけにはいきません」
グレゴワールは肩越しにニタリと笑った。
「それに、私がフロランスを自分の手で連れて行きたいのですヨ。ふふ。では失礼」
グレゴワールはそれだけ言うと、フロランスの手を引いて大広間の出口に向かう。
フロランスはほっとして思わずグレゴワールの手を強く握った。グレゴワールもまた、優しく手を握り返した。
***
グレゴワールは魔物めいた外見とは裏腹に優しい男である。それは第五部隊隊員がみな知るところであった。
隊員が悩み、苦しんでいれば、さりげなく気にかけた。時に隊員をココロ安らぐ静かな墓地まで連れて行き、時に死霊術の実験に巻き込んで気を紛らわす手助けをした。
ギーが言うには、あるときグレゴワールは魔法学校の平民の生徒が貴族の生徒に虐められている場面へ遭遇したのだという。そのときのグレゴワールは徹夜明けだったにもかかわらず、見て見ぬふりをしたりせず、操っていた死体で生徒たちをちょいと取り囲んだ。しかし暴力に訴えることもなく、怒鳴るでもなく、死体と一緒に彼らを取り囲みながら優しい口調で虐めはよくないと説得したのだそうだ。生徒たちはみな涙を流して二度と虐めはしないと誓ったらしい。
グレゴワールは特に第五部隊の仲間を大切にした。だが、それは一種の博愛主義的な愛情深さからくるものであって、決して誰か一人に対して特別に向けられるような愛ではなかった。
……少なくとも、ヴェロニックはそう思っていた、が。
――私が最も幸せにしたい人かな。
――私の太陽。
あまりにも幸せそうな言い方だった。
ヴェロニックは「ハア!?」と叫んだ後、衝撃のあまりなにも言えないでいた。大広間にいた他の第五部隊隊員たちも同じように感じたようで、ある者は書類を落とし、ある者は擬躰と共に動きを止め、ある者は動揺のあまり転んで床に尻餅をついた。
その後、クロディーヌがグレゴワールからフロランスを引き離そうと画策していたが、それもあっさりいなされて終わった。
(なに、あれ……。春が到来したということ?)
去って行くフロランスとグレゴワールの背中を見ながらヴェロニックは頭がくらくらと回るのを感じた。ここ十年で一番の衝撃かもしれない、と思う。
「朝からなにボサッと突っ立ってんだテメエら。蛮族の儀式でもするつもりかよ、くっだらねえ」
大広間に突然乱暴な口調が響いた。
ヴェロニックはとっさに身を翻してその発言者、ジュールに飛びかかりローブの襟元を両手掴んだ。ジュールは顔を引きつらせた。
「なあっにすんだテメエこら! ヴェロニック!」
「ジュール! あなた昨日グレゴワールとなにか話してたわよね!? なに話したの、教えなさい!」
「ハア? んだよ急に」
「いいから!」
「っせ、デケエ声だすな馬鹿! なんもねーよ、新入り雑用係の世話を頼むかもしれねえっつわれただけだ」
ヴェロニックは眉間に皺を寄せた。ジュールは額に青筋を立てた。
「いいかげん離しやがれ暴力女が!」
「暴力女でもなんでもいいけど教えなさい、他にはなにも言ってなかったの!? 愛は語らなかった!?」
ジュールは白目を向いて口角をひくつかせた。
「っんで俺が死体野郎に愛を語られなきゃならねんだよボケが!」
「あんたじゃないわよ馬鹿!」
「お兄様! 太陽ってどういう意味ですの!?」
今度は後ろからクロディーヌがジュールにつかみかかる。
「グレゴワール様が! 私の太陽って! なんですのあれは!? なんなんですのあの女!」
「ハア!? おまえらいい加減にしろ、一から説明しやがれ!」
ジュールが大声で怒鳴って、ようやく大広間は氷が溶けたように騒がしくなった。
***
大広間から出たところで、グレゴワールは歩きながら腰を屈めてフロランスに囁いた。
「フロランス、いいかい。決してこの城や王城の囲いから外へ出てはいけないヨ」
「はい。出るときはグレゴワールさんかヴェロニックさん、ジュールさんと一緒に、ですね」
「ウン。それからデフロットのことも口にしてはいけない。お祖父さんのことは人に話してもいいけれど、充分に気をつけて」
フロランスは頷いた。確かに祖父の名前の一部がデフロットであることや、例のデフロットと祖父が同世代の説教師であることを考えれば口外はできる限り避けたほうが良いのだろう。
フロランスがちろりとグレゴワールを見上げると、彼は一つ頷いた。
「説教師は記録に残っていることがあるからネ、ピエールお祖父さんのことは私の方で調べておくから」
「本当ですか! ありがとうございます」
「それから――……休みは四日後みたいだヨ。その日にお祖父さんのところへ行ってみよう。それから買い物にも行かなきゃネ」
「……はい。グレゴワールさん」
くすぐったいような喜びが、突き上げるようにして体の奥底からわき上がる。
フロランスは満面の笑みを浮かべ、もう一度グレゴワールの手をぎゅっと握った。
「私、いま幸せみたいです」
グレゴワールはなぜか少し固まって、それからゆっくりと微笑みを浮かべた。
<人物紹介>
○クロディーヌ・ブロンダン
改め、貴族であるブロンダン家の娘。ジュールの妹。気は強い。諦めも悪い。




