第4話 幼き日、星は星に恋をした -2-
――家路を辿る竜車の中、その揺れに身を委ねながら。
わたしはつい、ハイリアが魔王となることについて、やりきれない思いを持て余していた。
……まったく、わたしらしくもない……分かりきっていたことだというのに。
いずれ来るそのときを踏まえた上で、先々までを考えていたはずだというのに。
そう……むしろ、そこからが――本番だというのに。
それでも……やはり。
いよいよ、ハイリアが苦難の道を歩み出すのだと思えば……良い気分にはなれない、ということなんだろうな……。
だけどさ、それもこれも、ハイリア……キミのせいなんだぞ?
わたしは今でも鮮明に覚えているよ――。
15年ほど前の、あの日……まだ8歳だったな。
わたしは、王子だか何だか知らないが、勝手に決められた婚約者だなんて冗談じゃない――と、そう息巻いて。
いっそ泣かしてやって、『こんな女イヤだ!』と言わせれば、婚約話は無かったことになるし、さぞかし気分も良いだろうと、試しに作った興奮剤で暴走したイノシシをけしかけて。
狙い通り、お坊ちゃんなキミが、泣きながら必死に逃げ回る姿を見られて――大いに満足して。
で、トドメとばかりに、わたしの作った薬のせいだと種明かしをしてやって。
これで「こんなヤツはイヤだ、とんでもない」と、そう言わせれば完璧だったのに――。
「キミが作った薬で……だって?
スゴい……! キミはスゴいんだな……!
余と歳も変わらないのに、そんなことが出来るなんて……!」
涙で腫らしていたはずの目を――まるで星を宿したかのように、興味でキラキラと輝かせ。
で、そうかと思ったら――。
「だけど、使い方が悪い!
よ、余は――うん、余はまだいいさ、これだって、王として強くなるための試練の1つだって思えるから……!
けど、兵士たちやイノシシまで危険にさらした――それはダメだ!
今回は誰もケガをせずに済んだからいいけど、イタズラするにも、程度はわきまえないと!
第一、そうじゃないと、キミのそのスゴさがもったいないじゃないか……!」
などと、わたしを真っ直ぐに見据えて――同じ目線で、ナマイキにも説教をくれたな。
なまじ『天才』などと評されたせいで、周りの人間は、同年代の子供はもちろん、多くの大人だって扱いに困っていたようなわたしを――。
キミは、あのとき――自分がヒドい目に遭ったにもかかわらず。
いやむしろ、その事実すら、1つの評価と変えて。
わたしを……自分ですら持て余しそうだったこのわたしを、ただただ自然に、『それも含めての個人』として、真っ直ぐに受け入れてくれたんだ。
……それはきっと、キミという人物にとっては、特別なことでもなかったのだろう。
でも、だからなおのこと……わたしはあのとき、本当に、心から嬉しかった。
まったく――今でも、変人だのなんだのと、散々に言われてるわたしだが……。
そう、その実態は……何ともお手軽な女だったってわけさ。
ハイリア――わたしはね、あの瞬間、キミに恋をしたんだ。
今に至るも、変わらず、胸の奥でひっそりと輝き続ける――星のような恋をね。
しかも……キミはそれから、わたしという個人を『友』と認めたからこそ、自分も負けられないと、己を必死に磨き続けてきた。
他の連中のように『才』の有無を逃げ道とはせずに――わたしと対等でいようと、ひたすらに努力し続けてきただろう?
そんなキミが相手じゃ、一度生まれた恋心が萎れるなど――有り得ないことだよ。
本当に……まったく、厄介なことに――ね。
そして、だからこそ……。
ハイリア、キミには、この婚約を無かったことにしてもらいたかったんだけどな……。
そう――決められた婚約者だから、とかじゃなく。
改めて、キミにもわたしに恋をさせて……正真正銘の恋人として、結ばれるために。
他の者は、そんなの馬鹿馬鹿しい、結婚するなら一緒だ……とか言うかも知れない。
だから、これは……わたしの意地。
恋する乙女としての――わたしの、矜持だ。
「しかし……〈魔胎珠〉降身の儀が近いとなれば、そればかりにかかずらう余裕も無くなるか……。
まったく、だからさっさとわたしの頼みを聞いていればいいものを、ハイリアも昔っから頑固なところが――」
思わずのグチをもらしているその最中――。
急に、胸の内から喉へと突き上げるような衝動を感じたわたしは……それに逆らいようもなく、思い切り、ひたすらに――激しく咳き込んだ。
「――! お嬢様っ!?」
とっさに竜を停めたギリオンが、急いで御者席からこちらへ回り込んでくるのに……わたしは、心配するな、とばかりに必死に挙げた手を振ってみせる。
そして、口中に広がる血を、吹き出さぬよう、噛み砕く勢いで抑えながら――。
ギリオンが素早く、車中の小箱から取り出した、水薬の入った小瓶を渡してくるのを受け取り……ぜいぜい鳴る喉へと、少々ムリヤリに流し込む。
それから、しばらく……ギリオンに支えてもらいながら、余韻のように尾を引く咳を、少しずつ抑え……落ち着くのを待った。
「ふう……すまないな、ギリオン。
もう……大丈夫、だ……」
「……お言葉ですが、お嬢様の『大丈夫』はあまり信用なりませんので。
今しばらく、お休み下さい」
「……分かったよ、まったく……」
言った側から、軽くもう一度咳き込んでしまい……わたしは大きく息をつく。
その間に、「失礼します」と、ギリオンは血の滲むわたしの唇を拭ってくれる。
「今日の発作は……わりと激しかったな。
まったく、ハイリアのところにいるときでなくて助かったよ」
薬が効いてきたらしく、波が引くようにスッと楽になっていくのを自覚して……わたしは、本当に大丈夫だと言う代わりに、軽口を叩いてみせた。
ギリオンも慣れたもので……今度こそその通りだと納得したのだろう、「失礼しました」と素直に御者席へと戻る。
「しかし、お嬢様……なにとぞ、ご無理はお控え下さいませ」
「分かっているよ。
今日のは突然だったんだ、しょうがないだろう?」
ギリオンの苦言に、苦笑を返しながら――わたしは「行ってくれ」とばかりに手を振る。
それを受けて、ギリオンが再び走らせ始めた竜車の揺れに、身を任せながら――。
改めて、ハイリアが〈魔王〉となることに思いを馳せたわたしは。
……この〈魔領〉の民のため、ハイリアのため、そしてわたし自身のため。
本当に大事なのは、ここからだ――と。
さっきの咳で飛び散った血に、微かに汚れた自分の手を……決意とともに握り締めていた。




