第36話 新しき世界のために −1−
――勇者との『ケンカ』の後……。
余は、〈魔王〉ではなく、〈魔族の王〉としての仕事に忙殺されることとなった。
無論、それは――我ら魔族と、人族との和解のためだ。
そして、その和解への流れは……フタを開けてみれば、拍子抜けしそうなほど円滑に進むこととなった。
その理由としては――。
そもそも、勇者の信念に共感したあやつの仲間の中には、大国の王族に名を連ねる者がいた上に……。
勇者自身が、多くの権力者に事前に働きかけていたお陰で、人族の総意は、概ね和解の方向で固まっていたことが、まず一つ。
もう一つは……我ら魔族の内においても、少なくとも表立っては反対らしい反対が出なかったことだ。
〈魔領〉の民を前に、余が自ら、和解することを宣言したとき――。
余は、罵声と共に石を投げつけられる程度は当然で、もし死を以て責任を取れと望まれるなら、潔く命を差し出すことすら覚悟していたのだが……。
結果として、そのような非難をされないどころか……民の間に広がったのは、余を労い、また支持してくれる言葉の波だったのだ。
……無論、魔王たる余の敗北を嘆くような声が無かったわけではない。
だがそうした者たちすらも……余の不甲斐なさを責めはしなかった。
それを不思議がる余に、勇者は笑いながら言ったものだ――。
『……シュナーリアの墓前で言ったろ?
〈魔領〉で暮らしてる人たちの表情を見て、分かった――ってさ』
王子である頃から――そして、王……延いては魔王となってからも。
余は、当然の役目として、民の安寧と生活のために腐心してきた。
しかしそれは王族として……そして余という個人としても当然の責務でしかなく、何も特別なことをしでかしたつもりはなかったのだが……。
それを、勇者は「だからこそだ」と言ってくれた。
民の暮らしに、想いに、自然な形で寄り添い続けてきたからこそ……その心が伝わっているからこそ。
民は余を――その決定を、信じ、支持してくれたのだと。
そして――もう一つ。
かつて、余が〈魔胎珠〉のチカラを受け継ぎ、魔王となったその日――。
シュナーリアが、公の場で、堂々と『和解の道』を宣言したこと――それもまた、大きな後押しであったようだ。
余の前の魔王の時代……そのときの、魔と人の争いからは数百年――。
当然ながら、その敗戦時に生き、現実として敗北の屈辱に塗れた者など、今はいるはずもなく……。
結果として魔族の内でも、語り継がれ、受け継がれてきた、一族としての負の記憶は備えていようとも……同時に内心で、今なお争うことについて――たとえ小さくとも、疑問を持つ者は少なくなかったのだ。
そんな者たちにとって、〈魔領〉の代表格である〈列柱家〉の中に、公に和解を叫ぶ存在がいたことは、大きな衝撃となっていたらしい。
そう――つまりシュナーリアは、それすら見越していた。
あやつは、ただの無謀であんなことをやらかしたわけではなく――種を蒔いていたのだ。
余への進言というだけでなく……民の心に、和解への種を。
もっとも――。
あやつ自身が、その命を賭してまでグーラントという脅威から世界を救った……そう、民衆の間で『救国の英雄』となったことが――。
その発言の効果を、〈列柱家〉当主らも含む臣民すべてにおいて、飛躍的に高める結果に繋がったのは――さすがに、いくらあやつでも計算外であっただろうが。
――ともあれ……。
魔と人の和解は、公の場で、互いに過去の過ちを全面的に謝罪し――。
同時に、これよりは同じアルタメアを生きる者として、種族の別なく、共存・共栄することを宣言として約し……正式に、その一歩を踏み出すこととなった。
無論、そうは言っても、魔も人も、互いに完全な一枚岩というわけではない。
それに、宣言したとはいえ、すぐに魔と人の垣根が消えるわけでもない。
すべてはこれからであり、むしろその『これから』こそが何より重要なわけだが……。
そのことについても、シュナーリアが……『和解を言い出した者の責務』とやらで、とある文書を遺してくれていたことが、家令のギリオンにより報告された。
そう、それは……。
魔族内の和解反対派への対処や、人族代表とのこれからの協議について、公正に、かつ対等に渡り合っていくための指南など……。
あやつ自身が、多くの情報や資料をもとにして作り上げた――和解後に起こりうるだろう様々な問題への適切な対処や助言を纏めてある、膨大な量に及ぶ『和解後の世界をより良くする』ための研究書だったのだ。
その内容は、まさに〈天眼〉たるあやつらしく、あらゆる面を見据えた素晴らしい出来で。
手探り状態だった我らの今後を定めるのに大いに役立ち、また、最低でもさらに向こう数十年は、国家運営の指針となりうるであろうと――そう誰もが納得するほどの資料であった。
そして――だからこそ。
当代の魔族の王として、最低限、やらねばならぬことを済ませた余は――。
一つの決断をすることが出来たのだ。
そう――魔族の王としての座を降りる、という決断を。
その旨を告げると……。
勇者との戦いで天井が崩れたままの、陽光射す謁見の間で行われていた会議は……大いにざわめくこととなった。
それらの声は、どこを取っても、王たる余への忠誠とともに、だからこそこの決断を思い止まるよう願う、余自身にとってはありがたいものであったが……。
しかし、それゆえに余もまた――この決意を翻すわけにはいかなかった。
「……皆のその想いは、本当にありがたい。
だが――余は、〈魔胎珠〉のチカラを宿した〈魔王〉なのだ。
この闇のチカラは、これからのアルタメアには必要が無いどころか、平和を乱しかねない害悪ですらある。
余自身にはそのようなつもりはなくとも……和解を受け入れられぬ者や、グーラントのような野望を抱いた者に利用されるおそれがあるのだ。
また、人族にしても……。
我ら魔族はこれより肩を並べる相手だというのに、彼らの救世主たる勇者が元の世界に帰るのに対し――。
危険なチカラを内包し、また此度の戦を取り仕切ってきた魔王たる余が、いつまでも王の座にいたのでは、やはり良い気はするまい。
それは今後の協力関係においても、必ず問題となるだろう。
つまりは――だ。
我ら魔族のみならず、このアルタメア全体にとっても――余がこの座を退くことは、最良であるとともに必然なのだ」
余がそこまで言っても――なお。
考え直すよう、懇願する声は上がったが……。
「和解の件からこちら、勝手ばかりですまないと思っている。
だが……この世界を想えばこそのワガママと、どうか、甘んじて聞き入れてやってはくれないか」
集まった皆に対し、深く頭を垂れれば――。
余の決意が固いことを知ってくれたのか、やがて、それでもという声も小さくなり――いつしか、消えていた。
「では……ハイリア様、ボクたちは今後、誰を中心に纏まっていけば――!」
そこへガガルフが上げた、この場の誰もが抱いたであろう疑問に。
余は、姿勢を正し――力を込めた声で応えた。
「いずれは、シュナーリアも研究書に記していたように、民も含めての代表者による合議制としていくのがいいのだろう。
だが……今しばらく、その形へ移行していくまでは――確かに、余に替わる王として皆を纏める者は必要となる。
そして、その役を担うのは――――お前だ、ガガルフ」




