第9章―7
そんな出来事が、日本本国では起こりつつも、日本陸海軍は女性の補助部隊を編制することになった。
とはいえ、そういった部隊を編制して、それなりの教育を施して、更に欧州にまで赴かせるとなると、どうしても数か月という時間が掛かるのは、止むを得ない話だった。
だから、米内久子が様々な選考、適格試験を受けた末に、海軍航空隊の整備兵としての教育を修了して欧州に赴くことになるのは、(文字通りに必要最低限に近かったが)1940年の7月を期して、ということになり、実際に欧州に到着するのは、1940年の9月になるのは、止むを得ない事態だった。
更に言えば、主に後方を支える航空隊、輸送機等を操縦する搭乗員になる為の訓練期間ともなると、1年掛かりになるのは、ある程度は止むを得ないことだった。
そんな感じで、日本で編制された女性の陸海軍の補助部隊が、それなりに前線近くに赴いて戦うのには、様々な時間が掛かる事態が起きることになるのは、(繰り返すが)止むを得ないことだったのだ。
そうしたことから、少しでも早く、夫がいる欧州に赴きたいものだ、と久子はイライラしながら、懸命に整備兵として頑張ることになった。
そんな事態が、久子の身に起こる一方で、久子を苛つかせたカテリーナ・メンデスだが。
1940年10月半ばに横須賀を出立して、年内に何とか英本土にたどり着くことになった。
更には、ユダヤ人から成る、英国の女性補助部隊の一員になる筈だったのだが。
「中々、見どころがあるな。この際、搭乗員にならないか。いや、前線でも戦ってはどうか」
とまでの声が掛かる事態が、カテリーナには起きた。
様々な選考、適格試験を、ある意味では、久子と同様にカテリーナも受けることになったのだ。
その果てに、搭乗員としての適性を、カテリーナは認められることになった。
さて、何故にこういった事態が起きたのか、というと。
英国の外人部隊として、ユダヤ人部隊は構想されて、編制されることになった。
だが、その一方で、ユダヤ人部隊は様々な思惑から編制された代物と言えたのだ。
英政府にしてみれば、あくまでも外人部隊として英国の為に戦う為に、ユダヤ人部隊は編制された。
だが、その一方、日本政府にしてみれば、日本に亡命して来たユダヤ人が、将来的に日本に少しでも定住しないように、ユダヤ人部隊編制を勧めたという事情があった。
大戦が終わったら、ユダヤ人部隊に志願した者の多くが、日本に帰ることなく、パレスチナに赴くだろう、という思惑が(この当時の)日本政府にはあったのだ。
その一方で、ユダヤ人部隊には、ユダヤ人なりの想い、考えがあったと言っても過言では無かった。
尚、この当時のユダヤ人部隊には、明確なリーダーと言える人物はおらず、集団指導体制と言えたが。
だからこそ、却って参加者の様々な思惑が絡み合って、周りに行動が見えづらくなっていた。
ともかく、そうした思惑の中で有力だったのが、ユダヤ人部隊をパレスチナに建国されるイスラエル軍の中核に何れはしよう、という思惑だった。
そうしたことから、英政府の目を掠めて、少しでもユダヤ人の戦力を強化しよう、と考える者がいて。
更にその中には、女性と言えども前線で活躍させることで、ユダヤ人の戦力を強化しよう、という者までがいる事態が起きることになった。
こうした思惑に翻弄されて、カテリーナは、自らは余り乗り気では無かったが、最前線で戦う戦闘機搭乗員に、何れは成れるように、と様々な教育訓練が行われる事態になったのだ。
そして、これにも1年近い時間が掛かる事態が起きることになった。
そんなことから、久子とカテリーナはお互いに驚愕する事態が起きたのだ。
実際に前線で戦えるようにするには、様々な教育訓練が必要不可欠なのです。
そんなことから、時間が経ってから、前線に二人は赴くことになりました。
尚、ユダヤ人部隊の立場は、公式には英国の外人部隊ですが、作中の事情から部隊内部でも様々な思惑があり、又、英国政府にしても、自国民の被害を減らせるという視点もあって、女性の前線部隊参加を、本人が積極的に希望しているのならば、という理由で認める事態が起きます。
(実際には、カテリーナのように状況に強いられて前線部隊に参加する女性が多数なのですが)
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