第9章―5
話がどうしても相前後してしまうが。
こういった女性の補助部隊を陸海軍が編制することは、米内洋六少佐の家庭に、結果的にだが大騒動を引き起こすことになった。
1940年の正月明け、小学校の冬休みが終わり、三学期が始まった直後の頃、藤子は養母の久子の言葉に唖然とするしかない状況に陥っていた。
藤子にしてみれば、去年の11月初め、1939年11月初めに父の米内少佐が、欧州に赴く第一海兵師団の一員として欧州に赴き、更に12月1日から義兄にして許嫁の仁が、海軍兵学校に入学することになった。
とはいえ、欧州に赴いた父はともかく、義兄は年末年始に短期間とはいえ、実家である我が家に帰省しており、心尽くしの一家だんらんを過ごせた、と自分は考えていたのだが。
更なる事態が起きるとは、全く考えもしていなかった、と放心したい思いが自分はしていた。
そんな自分、藤子の想いを完全に無視して、久子は言い放っていた。
「私は海軍の女性補助部隊に志願することにしました。藤子、米内家の銃後を護る嫁として、(異母)弟妹の面倒を見なさい。貴方も、そう覚悟していたでしょう」
「あのう、私は小学5年生で。来春に小学6年生になる身ですが(嫁になるには早過ぎますが)」
「散々、(私の息子の)仁の許嫁だ、と自分から言っていたでしょう。つまり、米内家の銃後を護る嫁になるつもりだったのでしょう。今更、自分の言葉は嘘だった、と言うの」
母子は口喧嘩を始めることになった。
藤子は考えた。
継母、養母の久子の論理は無茶苦茶だ。
それにしても、何故に養母が此処までのことを言うのか。
其処まで考えを進めた結果、何となく養母の考えが分かって、藤子は呆れ返った。
養母は、父とカテリーナの関係を勘繰る余り、現場でそれを阻止しようと欧州に行くつもりなのだ。
子ども達を放り捨てて。
「母上」
藤子は改まって真顔で言った。
「何」
「自分が産んだ子3人、早苗に正、松江を、本当に私一人で面倒をみられる、とお考えですか。早苗は小学2年生になりましたが、正は小学校に入るのは2年後、松江に至っては、ようやく1歳になって、乳離れをしたばかりですよ。そんな3人の弟妹を、小学校に通いながら、私が面倒を見るのは不可能なことではないでしょうか」
藤子は、養母の久子を懸命に諫めた。
「貴方は数えの12歳。(江戸時代以前の)昔ならば、子どもを産んでもおかしくない年齢になっているのです。立派な大人ですよ」
久子は、藤子を言いくるめようとしたが。
流石に無理がある、と久子も考えていた。
それ故に、別の手も久子は予め打っていた。
「それに貴方の実の母方祖父母が、早苗や正、松江の面倒を見ても良い、と快く言ってくれました。私が給与の殆どを子ども達の養育費として渡すと言ったので」
久子の更なる言葉に、藤子は(内心で)ひっくり返った。
「流石は忘八」
藤子は、血を分けた祖父母を(内心で、そう呟いて)思わず罵った。
幾ら金、養育費を貰えるからと言って、4人の子の面倒を見るのを引き受けるな。
とはいえ、藤子とて横須賀に越して来てから、祖父母と何度か会っており、祖父母の真情を察している身でもある。
祖父母にしてみれば、自分を米内家が引き取ったことに負い目を感じている。
何しろ末娘が勝手に暴走して、米内家に迷惑を掛けてしまったのだ。
だから、(補助部隊の)軍人に志願するので、無縁とは言えない子どもの面倒を見て欲しい、それなりの養育費も払う、という久子の依頼をどうにも拒めなかったのだ。
藤子は、そこまで考えを進めた末に。
養母の言葉に従うと共に、父と兄に対し、このてん末をすぐに手紙で知らせることにした。
父と兄は驚くことになるだろう。
細かいことを言えば、藤子の母方祖父母の商売は、置屋で女郎屋では無い以上、藤子が「忘八」と祖父母を内心で呼ぶのはおかしいのですが。
それくらい、藤子にしてみれば、意外な自分達の預け先で、呆れかえる事態だったのです。
尚、何故に藤子達の父方祖父母等に、藤子達が預けられなかったのは、次話以降で描かれます。
(久子にしても、それなりにですが、藤子達のことを考えた行動なのです。
と言っても、昨今では完全に児童虐待とされる事案ですが)
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