第8章―10
だが、庵原少佐の独り言は、それだけには止まらなかった。
「海軍省内でささやかれる冗談ならば良いのですが。米内光政首相は、吉田茂外相の示唆を受けて、英国と同様に女性を補助部隊員として、海軍に正式に採用するという噂が、海軍省内でささやかれつつあるのですよ。米内少佐ならば、それなりの話が身内関係から耳に入っているのでは、という気が私はするのですが。私の考え過ぎでしょうかね」
庵原少佐の独り言は、米内洋六少佐の胸を抉ったが。
表向きは素知らぬ顔をするしかない。
米内少佐は、そう素早く頭を働かせた。
「さてな。その件は初めて聞いたな。確かに(米内)首相は身内だが、余りにも遠い関係だ。何だったら、(お互いの海兵同期の)高松宮殿下に聞かれるべきではないかな」
「宮様の考えを伺えと」
米内少佐の返答から、庵原少佐は、この件については米内少佐は知らないか、知っても知らぬ顔を貫くつもりだ、と察したのだろう。
庵原少佐は、さりげなく米内少佐の傍を離れて、他の同期生の下に去って行った。
その後も、この宴会が終わるまで、同期生同士の四方山話は続いていき、更に言えば、その話を深める中で、徐々に二度目の欧州、世界大戦は避けられない。
更には、二度目の欧州、世界大戦が勃発した際には、日本は本格的に独打倒の為に陸海軍を欧州派遣するしかないのではないか、という高揚感に基づく訳では無く、諦観に満ちた空気が漂う中で、宴会は最後に終わることになった。
そんなことから、二次会に赴く者がそれなりにいなかった訳ではないが。
過半数の参加者が、二次会に赴くことなく、帰宅の途に就くことになった。
さて、米内少佐は、二次会に赴くことなく、帰宅の途に就いた内の一人だった。
それは複数の事情が相まったモノだった。
(第二次)上海事変から生きて帰れたという想いもあって、米内少佐は、妻の久子との間に帰国早々に子作りに励んだことから、1938年の秋に自分と久子との間ならば3人目、お互いの養子を含めれば5人目の子になる松江が産まれたのだが。
皮肉なことに、相前後してカテリーナ・メンデスと米内少佐が親しくなるという事態が起きたのだ。
そして、お互いにいわゆる清い関係を貫いていて、周囲もそれを知ってはいるのだが。
米内少佐の妻の久子にしてみれば、二人の関係を勘繰らざるを得なかった。
更に言えば、昨今の世界情勢の急変というよりも悪化から、カテリーナ・メンデスは英国が募集するユダヤ人部隊、より細かく言えば、女性補助部隊に志願するつもりらしい。
そして、自分も常設の海兵隊の一員として、欧州に真っ先に赴かされる筈だ。
そんなことから、愛人を追いかけて、夫が家を出るのではないか。
そんな考えを、妻の久子は持つようになったようなのだ。
自分にしてみれば、何でそう久子が考えるのだ、としか言いようが無いが。
下手に否定すると、久子の疑惑が深まると言う厄介な状況にある。
だが、ことはこれだけでは済まなかった。
庵原少佐が自分に語った噂は、全く根も葉もない代物では無い。
米内少佐が身内関係から米内首相から聞いた話だと、吉田茂外相の示唆もあったことから、本当に第二次欧州、世界大戦が勃発した場合には、英国と同様に国家総動員体制を、日本も採る証の一つとして、女性の陸海軍補助部隊を、日本も創設するつもりらしいのだ。
更に、それを何処から聞きつけたのか、妻の久子も補助部隊に志願する、と言い出しているのだ。
本当に妻の久子は補助部隊の一員として、欧州まで赴くつもりなのではないか。
子ども達をどうするつもりだ、と自分は妻を叱りたいが。
下手に叱ると、浮気疑惑を肯定しかねない。
厄介だ、と米内少佐は考えた。
これで、第8章を終えて、次話はカナリス提督の1939年8月末時点での閑話になります。
更に、その次話からは、第二次世界大戦勃発直後の1939年9月から、日本軍が欧州に駆けつける1940年早春までを描く第9章になります。
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