第8章―9
そんなことまでも、米内洋六少佐が考えていると、庵原貢少佐が、何時か傍にいて、酒を勧めて来た。
庵原少佐なりに考えがあるようで、少し目が据わって、自分、米内少佐を見つめている。
「何か言いたいことがあるのか」
米内少佐なりに、庵原少佐に水を向けると、庵原少佐は少し目を逸らせて言った。
「良くない話を聞きましたぞ。海軍省人事局勤務の我が身としては、忠告しておくべき、と考えました」
「そんなことを言われても、身に覚えが無いが」
米内少佐は、韜晦するように言ったが、庵原少佐の言葉に背筋が凍った。
「ユダヤ人の女性とは、本当に清い関係なのですか」
「何で、そんな話になっている」
どうにも声が少し震えるのを、米内少佐は迎えきれないながらも、庵原少佐に問い返した。
米内少佐にしてみれば、カテリーナ・メンデスとの関係は、それこそ清い関係で、妻の久子等にも、そう言える関係に他ならない。
だが、その一方では、お互いに情が移った、としか言いようが無い関係になりつつあった。
言うまでも無いことだが、カテリーナ・メンデスは、初対面の頃から米内少佐に好意を抱いていた。
米内少佐にしても、何度もカテリーナ・メンデスと会う内に、ほだされていたのだ。
だが、お互いに異教徒であること等を口実にして、清い関係を保っているのだが。
その一方で、どちらかが改宗すれば、歯止めが効かなくなる、とも共に考えつつあるのだ。
そうしたことから、米内少佐の声が少し震える事態が起きていた。
「情に脆いのは、一昔前に芸妓と関係を持って子まで生した頃から、変わっていないようですな」
少し揶揄するように言った後、庵原少佐は、独り言を言った。
「英国は完全に本気で大戦の準備態勢に入るようですよ。自国軍に准じた女性の軍隊も、ユダヤ人についても編制するつもりのようです。あの国の本気は、侮れませんね」
「そうなのか」
独り言なのが、分かっていながら、米内少佐は反応せざるを得なかった。
英国の総動員は、筋金入りと言っても過言ではない。
何しろ先の(第一次)世界大戦の際に、それこそ補助部隊とはいえ、国民総動員の一環として、陸海空の三軍について、女性部隊を編制したことがあるのだ。
とはいえ、先の世界大戦の後に解散している筈だが、それを再編するつもりとは。
更に言えば、ユダヤ人の部隊を世界から募り、更に女性部隊まで編制しようとは。
「まあ、ユダヤ人だけの部隊を創るのは、お互いに分からなくもないでしょう。それこそ食材の補給等の問題が生じるのは、自明のことですから」
「確かにな」
二人の会話は、少し皮肉が深まった。
二人にとっては自明のことなのだが、メタくなるが事情を説明すると。
ユダヤ人というか、ユダヤ教徒としては、食事、食材等についてのタブーがそれなりにあるのだ。
例えば、有名な話だが、肉類について、豚肉や兎肉は「蹄が二つに割れていて、反芻しない動物の肉」だからという理由で、ユダヤ人ではタブーとされている。
海産物についても、鰭と鱗がある動物以外を食べることはタブーとされることから、タコやイカ、エビや貝類、更にはウナギ(鱗が見えない)等を、ユダヤ人が食べることは無い。
又、乳製品と肉を(ほぼ)同時に食べるのもタブーとされており、有名な例で言えば、クリームシチューやチーズハンバーグ等の料理が、ユダヤ人の間ではタブーとされている。
更には、その食べられる肉類等にしても、ユダヤ教上で適切に処理されないとタブー視されるのだ。
こうしたことから、英国では、ユダヤ人部隊を独自に編成することに成らざるを得なかったのだ、と庵原少佐は言うことになったのであり、米内少佐にしても納得せざるを得なかったのだ。
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