第8章―4
更にこうした工業基盤拡張を重視せねばならない事情があった。
日中戦争の敗北によって、ドイツの航空戦力の猛威、航空隊と地上部隊の連携は、日本の陸海軍に強烈な印象を与えることになっており、航空隊の強化が必須と考えられるようになっていた。
その一方で、1937年現在の日本の航空産業の基盤は極めて脆弱で、それこそ欧米諸国の航空エンジンのライセンス生産さえ、完全にはできない、と言っても過言では無かったのだ。
こうしたことが、表向きは自動車産業の拡張と言う形を被って、航空産業の基盤拡張を図ろう、と言う事態を日本政府、軍が図る事態となっていた。
(言うまでも無いことかもしれないが、史実の第一次世界大戦で、米国の航空産業が急速に拡大したのは、自動車産業という一大基盤が米国に既にあったことからだった。
日本政府、軍も同様の手段を採ろうと考えて、上記のように行動することになったのだ)
だが、そうは言っても、急激な拡大にも限度がある。
日本陸海軍は、お互いに色々と考えなかった訳ではないが、出来る限りの様々な統合を図ることで、少しでも効率化を図ることになった。
例えば、(史実でも、後に行われたことだが)エンジンのスロットルレバーの向きが、陸軍機ではフランス式の引くと出力上昇だったのに対し、海軍機ではイギリス式の押すと出力上昇と異なっていたのが、世界の趨勢に合わせたのもあって、海軍機と同様に陸軍機も統一することになったのだ。
又、陸軍機と海軍機の機種統合も、可能な限りは進めることになった。
それこそ既に陸軍の97式司令部偵察機が、海軍でも98式陸上偵察機として採用される等のことがあったが、それをより強化することとし、例えば、軽単座戦闘機と重単座戦闘機、双発万能戦闘機の3種を陸軍は開発予定だったが、海軍も似たようなコンセプトで、3種類の戦闘機を開発しようとしていたことから、陸海軍は話し合った末、似たような戦闘機を別個に開発しては、費用や時間が無駄に掛かるだけだ、ということで要求性能をすり合わせた上で、陸海軍が共に採用できるように努めることになった。
最もこうしたことが可能になったのは、皮肉にも日中戦争の敗北によって、(史実と異なって)陸海軍共に背に腹は代えられない、と共に言う程に軍事費削減の圧力がかかったのが大きかった。
(史実だと日中戦争の拡大によって、臨時軍事費が大量に投じられることになり、開発費等が潤沢に陸海軍共にあったのだ)
こうしたことが、後で述べるが、海軍の零式艦上戦闘機を、陸軍も百式戦闘機として採用する一方で、双発万能戦闘機については(史実で言えば)川﨑製の屠龍が、重単座戦闘機については(史実で言えば)中島製の鍾馗が、陸海軍で共に採用されると言う事態が生じることになったのだ。
更に言えば、日本陸海軍としては、軍用機の火力強化の為にエリコンの20ミリ機関砲を採用したがったが、米国の横槍から一部ではブローニングの12.7ミリ機関砲を搭載する事態が起きた。
尚、この辺りは日本の軍用機を運用する現場の要望も、それなりにあった。
エリコンの20ミリ機関砲は、確かに大威力ではあったが、この頃は、一部の口の悪い搭乗員に言わせればだが、
「ションベン弾しか撃てない。余程、近接しないと当たらない」
と酷評される現実があった。
これはエリコンの20ミリ機関砲を初めて搭載した零式艦上戦闘機の初期型が、航続距離確保等の為に軽量化を図らざるを得ず、その為に機体構造が(言葉は悪いが)柔らかかったのが大きかった。
その為に、空戦機動を行えば機体がたわんで、搭乗員の感覚通りには弾が飛ばないという事態が起きることになったのだ。
作者の私の考えとしては、こんな風に陸海軍の機種統合が進むことがあるのか、と問い詰められると極めて悩ましいことではありますが。
小説と言うことで、どうか緩く見て下さるように平にお願いします。
ご感想等をお待ちしています。




