第8章―2
とはいえ、この97式中戦車の改良は、応急措置と言われても仕方のないことだった。
そうしたことから、日本陸軍は1941年初頭を目指して、更に強力な中戦車、(仮称)1式中戦車の開発、量産化を目指す事態が起きていた。
具体的には、1938年に開発が始まった英国のオードナンスQF6ポンド対戦車砲を、改造して1式中戦車に57ミリ砲として搭載することにしようとした。
更には、この6ポンド砲の開発に、日本も協力する見返りとして、日本も同時に量産化して、戦車の主砲や対戦車砲用として運用しようと試みる事態が起きたのだ。
このことは、後知恵混じりになるが、英国にとっても必ずしも悪いことばかりでは無かったらしい。
この6ポンド砲については、この当時の英陸軍のドクトリン(戦術)から、それこそ対戦車砲は戦車のみを相手にするもので、歩兵等の軟目標は対戦車砲の対象外とされていたことから、榴弾の開発は行われない予定だったのだ。
だが、日本陸軍の強硬な主張から、日本では57ミリ砲について、量産化当初から榴弾を開発、量産化することになった。
これは、日本陸軍にしてみれば、戦車の任務の一つとして歩兵支援がある以上は当然だった。
だが、英陸軍にしてみれば、歩兵支援は機関銃等で行えば充分で、歩兵戦車と言えども、戦車の主砲は榴弾が撃てないのが当然なのだ、という英陸軍以外の殆どの軍人からすれば理解不能の論理で、戦車の主砲に榴弾は搭載されていないのが当然だった。
しかし、(この世界の)第二次世界大戦が始まって、実際に英軍の戦車が戦場で戦ったところ。
英軍の戦車の主砲で、榴弾が撃てないのは大問題になってしまったのだ。
こうしたことから、日本に慌てて協力を求めて、英陸軍は6ポンド砲の榴弾の量産化を図る事態が起きることになってしまった。
表向きは決して英陸軍は認めなかったが、それこそ日本陸軍が57ミリ砲の榴弾の開発、量産化を進めていなければ、英陸軍の6ポンド砲は、榴弾を撃てないという欠点を数年単位で保有することになった、と英陸軍以外では評されるのも当然の事態だったのだ。
そんなことがあった一方で、一式中戦車のエンジン開発にも、日本陸軍は頭を抱えることになった。
理想を言えば、日本独自と言える空冷式ディーゼルエンジン搭載に拘りたかったが。
現実論から言えば、重量の割に低出力なのが現実で、更に新エンジン開発に必要な費用や時間を考える程に、一式中戦車のエンジンとして、空冷式ディーゼルエンジンを搭載するのは非現実的だった。
そうなると、他からエンジンを調達する必要がある。
航空機用のガソリンエンジンを戦車用に転用してはどうか、との声が強かったが。
日本では米国と同様に、航空機用は空冷式エンジンの開発に傾注し、更に量産化もしていた関係から、航空機用空冷式ガソリンエンジンを、戦車用に転用しては、新型航空機エンジン開発にも影響が出るのでは、という懸念が挙がったことから。
96式3号艦戦の開発の際に購入されたイスパノ12Xcrs水冷式エンジンが、一式中戦車のエンジンとして採用される事態が起きることになった。
(陸軍内の一部では、ハ9水冷式エンジンを、戦車用エンジンに転用してはどうか、という声がそれなり以上に挙がったのだが。
ハ9水冷式エンジンが、元を糺せばドイツのBMW6型エンジンから、参考開発されたエンジンであることから、陸軍の内外から反発の声が起きて、海軍から提供されたイスパノ12Xcrs水冷式エンジンが、一式中戦車のエンジンとして採用される事態が起きることになった。
尚、全備重量約25トンの一式中戦車を、このエンジンは450馬力で運用可能だった)
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