第7章―3
ミュンヘン会談への路が開かれることになった背景に、ズデーテン地方の問題が最大だったのは間違いないが、その一方で、チェコスロヴァキアが、主な周辺諸国と険悪な関係にあったのも大きかった。
チェコスロヴァキアと主に南方で国境を接しているハンガリーとの外交関係であるが。
スロヴァキア等は、かつては北部ハンガリーと呼ばれており、第一次世界大戦後に締結されたトリアノン条約の結果、チェコスロヴァキア領となっていたものの、ハンガリー政府は、長年に亘って北部ハンガリーの返還を訴えていた経緯があり、険悪な関係としか言いようが無かった。
又、ポーランドともテッシェン等の領有をめぐって、チェコスロヴァキアは険悪な関係としか言いようが無かったのだ。
こうした状況に対処する為に、チェコスロヴァキアは、フランスやソ連と相互防衛援助条約を締結すること等で、自国の保全を策していた。
その為に、チェコスロヴァキアとドイツが戦争に突入した場合、欧州全体が大戦に覆われることが、世界的に懸念されることになっていたのだ。
だが、その一方で、チェコスロヴァキアが周辺諸国と険悪な関係にあり、又、「ズデーテン問題」についても、ドイツ等の完全な言い掛かりとは言い難かったことが、英仏等の国民の多くから、チェコスロヴァキアの保全を文字通りに戦争に訴えてでも、という声が高まらなかった原因となった。
それこそチェコスロヴァキアがこのような事態に陥ったのは、自業自得ではないか、何故に自分達が戦争という血を流す事態に、積極的に飛び込む必要があるのか、という声が英仏等の国民の間で少しでも挙がれば、それに賛同する声が強くなるのは、ある程度は止むを得ないことと言って良かったのだ。
更に言えば、ソ連がチェコスロヴァキアを救援するとなると、ルーマニアやポーランドの国内を、ソ連軍が通過せねばならないが、ルーマニアもポーランドもソ連を敵国視する現実があり、ソ連軍の通過を認める可能性は極めて低いということもあった。
そうなると、ドイツとチェコスロヴァキアが、戦争に突入した場合、フランス(及びイギリス)が大量の国民の血を流すことになる。
こうしたことが、英仏の協調関係を生じさせることになり、「ミュンヘン会談」を、当時は成功と評価させる事態を引き起こすことになったのだ。
尚、誤解されがちだが、「ミュンヘン会談」時点で、英仏両国政府最上層部内では、ドイツの拡張主義は止まらない、という声がかなり強かった。
だが、実際に戦争になった場合、その戦争は長期化するだろう。
更にその戦争は、「ミュンヘン会談」の結果を、英仏両国政府が受け入れないという形になり、英仏側からドイツに宣戦布告を行う、と言う形になる。
その場合に、戦争反対の声が高い英仏両国の国内世論が、何処まで戦争を支持するだろうか。
又、英仏両国軍の最上層部も、「ミュンヘン会談」時点の開戦には消極的だった。
第二次世界大戦後の調査に因って、この当時のドイツの軍事力は、かなり張りぼてだったのが判明しているが、(この世界の)この時点では、日露戦争でロシア陸軍を破った日本陸軍を、ドイツ軍が指導した中国国民党軍が上海近郊で叩きのめしたこともあって、ドイツ軍の実力は過大に評価されてもいた。
そういった背景から、「ミュンヘン会談」において、結果的にヒトラー総統率いるドイツ政府の要求は受け入れられることになったのだ。
そして、これで再度の世界大戦は遠のいた、と世界中の多くの民衆は考えたのだが。
英仏両国政府最上層部等では日米を味方に引き入れて、又、似たようなことがあればドイツの拡張主義を阻もう、と固く決意することになったのだ。
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