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第7章―1 1937年から1939年8月までの欧州を中心とした日本国外の動き

 新章の始まりで、主にこの世界の欧州情勢等が描かれます。

 そんな風に、日本では新たに成立した米内内閣の下で、軍を中心とした様々な改革が進められていくことになったが、日本国外、特に欧州では徐々に大戦の足音が高まりつつあった。


 実際問題として、ヒトラー総統率いるドイツの軍拡は続いており、それに対応する為に英仏等でも、表向きは宥和政策を採ってはいたが、実際には縮小再編制的な感じではあったが、軍隊の質的強化等を図る事態が起きつつあった。


 それこそブロック経済の導入等によって、世界大恐慌の痛手を懸命に英仏等は癒そうとはしていたが、まだまだ完全に癒えたとは言えない以上、軍拡は国内経済的にはつらいモノであった。

 更にドイツの軍拡が結果的に先行していたといえる以上、英仏の軍拡はそう言った点でも、まずはそれに追いつこうとすることになったのだ。


 こうしたことが、英仏等のスペイン内戦への不介入と言った事態を引き起こすことになり、結果的にスペイン内戦の1939年における人民政府の勝利をもたらすことになった。

 そして、数年を掛けて、スペイン政府はソ連と同様の共産党独裁政権へと変貌していくことになる。


 又、ドイツの拡張政策を、暫くの間、英仏両国政府等が宥和政策として是認する事態にもなった。

 

 そうしたことから、1938年3月にドイツに因るオーストリア併合、いわゆる「アンシュルス」が行われることになった。

 もっとも、ドイツとオーストリアの併合は、それこそ源流を求めるならば、1871年のドイツ帝国成立以前の「大ドイツ主義」にまでさかのぼることができるものであり、単純にヒトラー総統率いるドイツ政府に因る侵略主義の現れ、とは言い難い代物ではある。


 かなり要約した歴史的背景の説明になるが。

 オーストリアを中心とする「大ドイツ主義」か、プロイセンを中心とする「小ドイツ主義」か、のドイツ内外での論争等の果てに、普墺戦争や普仏戦争が行われ、史実ではプロイセンを中心とする「小ドイツ主義」が勝利を収めて、ドイツ帝国が成立することになったのだ。


 そして、第一次世界大戦が終結した結果、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、チェコスロヴァキア等は、オーストリアから分離独立することになった。


 そうした状況から、それこそ小国家に転落したといえるオーストリアは、ドイツとの合邦を求める市民の声が、それなり以上に国内で高まる事態が起きた。

 同じドイツ民族の国であるドイツと合邦することで、国力を共に高めよう。

 そもそも論を言いだせば、同じドイツ人同士、一つの国になるのは当然だ、と言う主張である。

 又、ドイツ国内でも、それを歓迎する市民の声が強かった。


 だが、仏伊等を始めとする周辺諸国は、ドイツとオーストリアが合邦しては、ドイツが再度、強大化するとして、ヴェルサイユ条約等で、それを禁止して、又、関税同盟等に因る経済的結合も阻止しようとした。

 だが、そういった周辺諸国の動きは、オーストリアやドイツ両国内では反発を招くことになり、却って合邦を求める市民の声を強める事態を引き起こしたのだ。


 そういった伏線があった上で、ヒトラーはオーストリアの併合、アンシュルスを図ることになった。

 1938年初頭、オーストリアを統治していたのは、シュシュニック首相といって良かったが、ヒトラーはオーストリア・ナチスの政治参画、具体的には党首の入閣を求めた。

 これに対して、シュシュニック首相は、オーストリアの独立維持を図ったのだが、結局はヒトラーの軍事的恫喝に屈せざるを得ず、1938年4月には、ドイツとオーストリアで国民投票が行われた結果、両国共に約99%もの合邦支持が集まることになり、ここにオーストリアは消滅する事態が起きたのだ。

「アンシュルス」について、オーストリア国民の意思を無視した、ヒトラー総統に因る強引な併合という言説が罷り通っているようですが、本当にそうなのでしょうか。


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