第6章―6
ちょっと微妙な話が数話、続くことになりましたが。
どうか緩く見て下さい。
そういった背景があったことから、米内洋六少佐は横須賀鎮守府に異動することになり、更には海兵3個大隊を基幹とする常設の横須賀鎮守府海兵隊建設の為に、懸命に働く事態が起きていたのだ。
そして、常設の海兵隊建設ということは、それなりどころではない話を引き起こしてもいた。
「陸軍歩兵大隊を参考にして、それと同等規模の海兵大隊を建設しろか。他にも砲兵や工兵、それに加えて輜重部隊等も調える必要があるとはな」
米内少佐は、海軍上層部が、常設化する海兵隊の建設等について、仰ることは御尤も、と考えつつ、皮肉めいた独り言を、時々言いながら職務を遂行せざるを得なかった。
実際に日中戦争において、上海海軍特別陸戦隊は、それなりどころでは済まない苦戦を強いられた、という現実があるのだが。
その際に、現場の海軍士官が痛感させられたのが、それなりの規模の部隊を編制しないと、戦場においては敵軍の攻撃を耐えきることはできない、と言う現実だった。
更に言えば、同じ小隊、中隊、大隊と言う言葉を使っていた為に、戦場における興奮状態から、陸軍と同規模で海軍特別陸戦隊は構成されている、という錯覚が現場では生じることが多発したのだが。
この時の上海海軍特別陸戦隊の小隊、中隊、大隊は、陸軍と比較すれば小規模な代物だったのだ。
(この辺り、それこそ艦隊勤務士官等を、臨時に海軍特別陸戦隊勤務に転属させるのが、当たり前とされていたという裏事情もある。
その為に、そういった士官は、陸軍と同規模で海軍特別陸戦隊も、小隊、中隊、大隊を構成していると想わず錯覚して、戦場で指揮を執る事態が多発していたのだ)
その結果を反省したことから、新設されたといっても過言ではない、常設の鎮守府海兵隊においては、陸軍の同名の部隊と同規模の部隊が編制される事態が起きていたのだ。
そして、その新設された海兵隊の指揮官の多くが、米内少佐のように、第二次上海事変で中国国民党軍と戦った末に、敗れて帰国した面々だった。
そうしたことから、私的な恨みが混じっていたと言われても仕方の無いことだが。
常設の海兵隊を建設して、万が一の事態、再度、中国本土に派兵する事態が起きた際には、今度こそ勝利を収めよう、と考える面々に因って、常設の日本海兵隊の建設が行われる事態が起きていた。
そういった想い、考えを抱いた者達が集って、海軍特別陸戦隊を改編して、常設の海兵隊を建設しようとしたことから、それなり以上に海兵隊の建設は進捗していたが。
そうは言っても海兵隊である以上、上陸作戦等の準備をせねばならず、そうしたことからすれば、陸軍からすれば軽装備の軍隊に基本的になるのは、ある程度は止むを得ないことだったが。
そういった現況に満足できない面々がいるのも当然のことだった。
そうしたことから、本末転倒と言われそうだが、海兵隊が戦車の開発に傾注する事態が起きていた。
日中戦争において、ドイツから派遣された軍事顧問団が指揮し、更にはソ連製の戦車、BT戦車等を装備して、日本陸軍師団を蹂躙したと言っても過言ではない、中国国民党政府の装甲師団は、直に戦った訳では無い、この当時の海軍特別陸戦隊の面々にまで強い印象を与えていた。
更には、海兵隊にも戦車を装備しないと、英国に協力して香港防衛等の為に、日本の海兵隊が派遣された場合に、役立たずになるのではないか、という危惧を抱かせる事態が起きたのだ。
勿論、新設されたと言える日本海兵隊内部にも、それなりには戦車軽視論者がいなかった訳では無いが、こういったことは、声が大きい面々の方が強いと言うのが現実だった。
その為に、日本海兵隊は戦車開発に傾注することになった。
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