第4章―12
ともかく、世界中というよりも、特に日本国内は(この世界における)ゾルゲ事件に因って大混乱に陥ったと言っても過言では無かった。
日本国内で、対中国国民党政府軍との戦争を続けるべき等の「暴支膺懲論」を唱える面々は、実はコミンテルンの一員だ、天皇制を廃止して、日本を共産主義国家に堕とそうとしている、今上陛下等の皇族全員を虐殺しようと考えているのだ、等の報道が、ドイツを中心に世界中に垂れ流される事態が起きては。
幾ら日本国内で報道管制を敷くことで、こういった報道を規制しようとしても、限度がある。
日本国内で目端が利く人間程、「暴支膺懲論」者は、実はコミンテルンの一員で、天皇制を廃止して、日本を共産主義国家に堕とそうとしている、と喚くのも、当然としか言いようが無い。
そして、こういった状況下で、中国国民党軍と戦う為に、日本陸海軍を更に動員して、中国本土に派兵して、中国国民党軍と戦うべきだ、等の主張をする人間に対しては。
コミンテルンの一員だ、非国民、売国奴だ、等の集中砲火を浴びて当然の事態が起きてしまう。
そんなことから、近衛文麿首相が自裁した後、あくまでも戦時下における一時的な対応だ、と日本の国内外に声明を行った上で、廣田弘毅外相が臨時の首相に就任して、廣田内閣が成立したのだが。
廣田内閣にしても、日本本土等から中国本土への陸海軍の増援等、ゾルゲ事件に伴う日本国内外の世論からして不可能、と(決して公言できなかったが)判断せざるを得ず。
様々なマスコミ関係者、例えば、新聞記者等から、
「今後の中国国民党軍との戦闘について、日本政府の予測や行動予定をお伺いしたい」
等の問いかけがあった際には、
「それは、我が日本政府だけで決められることではない。米英仏等の外国政府と協議した上で、日本政府としては、中国国民党政府との対応を決めざるを得ない」
と、傍から言えば、真っ当極まりないように聞こえるが。
裏返せば、日本単独では無く、米英仏等と共闘せざるを得ない、という発信を繰り返すことになった。
ともかく、こういった日本政府や軍内外の発信があっては。
中国本土に展開している現地軍、日本軍の主な面々にしても、日本軍の万里の長城以南、中国本土からの全面撤退を、積極的、消極的に主張せざるを得ない事態が起きることになる。
何しろ、中国本土からの撤退を行うのは、日清日露の英霊に対して申し訳ない等の感情論を主張する輩は、コミンテルンの一員だ、天皇制廃止を主張する非国民、売国奴だ、との批判の大合唱が起きるのが、この頃の(この世界の)日本の現実なのだ。
更に言えば、自称愛国者に因るテロが起きて、実際に死人が出る現実的脅威までがあっては。
日本国内では、そういった現地の発信があったことから、廣田内閣が音頭を取ることに因って、万里の長城以南から、日本軍を全て撤退させ、更には日本の民間人全ても万里の長城以南の中国本土から退避させよう、という行動、事態が起きるのは当然としか言いようが無かった。
(史実と異なり、この世界では)万里の長城以南の中国本土から、日本人の殆どが退避する覚悟を固めていたことから、日本政府や現地軍等の呼びかけに伴って、全ての日本の民間人が上海等からも、速やかに退避していくことになったが。
全ての上海に住む民、日本人以外の民が、そう簡単に上海からの退避の決断を下せる訳が無かった。
何しろ、これまでに上海で生活基盤を調えており、上海から離れるにしても、生活の当てが無い面々が殆どと言っても過言では無かった。
特にユダヤ人の多くが、その通りとしか言いようが無かった。
こうした前提事情から、上海事件が起きることにもなった。
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