第4章―11
そういった戦況悪化から、日本政府、軍上層部においては、上海方面からの軍の全面撤退、更には北京(北平)や天津といった北支方面からも軍や居留民を全面的に引き上げさせて、万里の長城以北の満蒙固守を、日本政府や軍の行動として行うべきではないか、との意見が徐々に高まりつつあった。
だが、近衛文麿首相や陸軍省を中心とする強硬派から、「暴支膺懲論」を日本の世論が声高に叫んでいること等を理由に、そういった意見を論外とする事態が、1937年8月から9月にかけて起きていた。
更には、
「中国から撤退するだと。日清日露で戦死した英霊に対して申し訳が立つのか。中国本土からの撤退は、断じて許されない。日本が焦土と化して、一億玉砕の運命を辿ろうとも、中国とは戦い抜くべきだ」
等の感情論からの主張まで、民間右翼を中心に澎湃として国内で挙がっていては。
尚更に、日本軍が、特に上海方面から撤退するのは困難になっていたのだが。
そこに想わぬ波紋を投じる事態が起きた。
ハイドリヒを長官とするドイツ保安警察が、ドイツに帰国したゾルゲを逮捕勾留し、更にはゾルゲグループの一員であるドイツ人に対し、犯罪の嫌疑があるとして帰国命令を出す事態が起きたのだ。
その為にマックス・クラウゼンらは、その帰国命令に従って帰国せざるを得なくなり、帰国後にドイツ保安警察に身柄を確保される事態が起きた。
そして、1937年9月末にドイツ保安警察が主張、公表したのが。
「近衛文麿首相は、コミンテルンの一員であり、共産党員であり、ソ連のスパイでもある」
「近衛新党構想は、日本を共産党国家とするためのモノであり、実は共産党の隠れ蓑だった」
「「暴支膺懲論」は、日本軍と中国国民党軍とを泥沼の戦争に陥らせることで、日本と中国国民党双方を疲弊させて、共産党による世界政府を造るための漁夫の利を得る一環で、近衛首相も協力している」
「更には、日本陸軍の内部には共産主義者の士官が多数おり、日本を共産党国家にするために、天皇制の廃止や日本紅軍の建設を、彼らは目論んでいる。その為にも日中戦争の拡大を、彼らは目論んでいる」
「ゾルゲらは、ドイツ保安警察の尋問の中で、これらが全て真実であることを認めた」
という世界的に流された報道だった。
日本の国内外が騒然となった。
近衛首相らは、こういったドイツ保安警察の主張、公表は嘘八百にも程がある、と即座に反論したが。
こういった世界的な報道があっては、ゾルゲグループの一員として名指しされた尾崎秀実らを特高警察等が、逮捕勾留して取調べを行うということを、近衛首相を始めとする面々も認めざるを得ない。
更には、特高警察等の取り調べに因って、尾崎秀実らがゾルゲグループの一員であり、更には実際にコミンテルンの一員であることが判明する事態となっては。
こういったことを仄聞した今上陛下の激怒が、引き起こされるのも当然のことだった。
更には今上陛下の激怒を背景にして、近衛首相らへの批判、攻撃が公然と起こり出したことから。
近衛首相は、10月16日に青酸カリで服毒自殺した。
死の前日に、次男の通隆を傍に呼び寄せて、
「自分は政治上多くの過ちを犯してきたが、身に覚えがない罪で裁かれなければならないことに耐えられない…僕の志は知る人ぞ知る」
と口頭で伝え、それを通隆はメモ書きで遺しており、これが近衛首相の事実上の遺書とされるが。
これが徐々に周囲に漏れるにつれて、近衛首相に対する批判は更に高まった。
死んでも真実を認めないとは、何たる卑怯者、自己保身を図るにも程がある、と更に批判の声が高まる事態が起きたのだ。
この批判の声等から、近衛家は絶家という運命をたどった。
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