第29章―2
さて、そのように日本の国内外で名を知られつつあった第251航空隊に、笹井醇一中尉は着任することになった。
そして、笹井中尉は、既に第251航空隊で名を挙げていた下士官のエース、撃墜王の坂井三郎や太田敏夫らに、2週間程も揉まれた後で、ドイツ本土への爆撃行を行なう重爆撃機部隊の護衛任務に、本格的に参加することになった。
尚、これは笹井中尉のみならず、日本本土から派遣された操縦士全員が揉まれた上で、欧州での空戦場に赴いていた、と言っても過言では無かった。
何故かと言えば、日本本土での訓練と欧州での空戦場は、まるで異なる有様を呈していたからだ。
尚、欧州での空戦場で得られた戦訓等について、欧州にいる陸海軍航空隊の面々は、言うまでも無く日本本土に伝えており、それを日本本土での訓練で教育するように伝えてはいるのだが。
欧州での空戦場で得られた戦訓は、日進月歩の代物といっても過言では無く、更に欧州から日本へと伝えるのには、距離と時間の問題もあることから、欧州に派遣された操縦士全員が、欧州である程度は揉まれた上で実戦に参加する事態が起きていたのだ。
さて、そうした日本本国での教育と欧州の現場の戦訓の現状の差異は、幾つも相次いで出て来る有様だったのだが、この場における笹井中尉の視点から述べるならば。
「3機編隊での戦闘は、完全に時代遅れで、2機1組、更には2組を組み合わせた4機編隊での戦闘が基本に成っているとは」
それが、欧州で坂井や太田らに、最初に揉まれた際に痛感した笹井中尉の考えだった。
尚、笹井中尉にしても、日本で4機編隊での戦闘訓練を受けていない訳ではない。
だが、そう直ぐに教育課程を変えるというのも、現実問題としては困難なのだ。
(更に言えば、日本本土でそういった教育訓練に当たる教官が、3機編隊での戦闘を基本として叩きこまれており、半ば必然的に3機編隊での戦闘を教えることは上手くても、急に普及するようになった4機編隊での戦闘訓練を教えるのが、率直に言えば、下手な事態が起きていたのだ)
そして、付け焼刃の2機1組、4機編隊での戦闘訓練を受けた上で、欧州へ、ベルゲンへと笹井中尉は赴いたのだが。
そこで、更に進歩した空戦術の訓練を受ける羽目になり、衝撃を受けることになったのだ。
特に笹井中尉にしてみれば、驚きだったのは空戦に際して、音声会話による意思疎通が、この欧州においては、徐々に当然になりつつあることだった。
それこそ何とも皮肉なことに、日本本土の航空隊、特に教育課程では空戦の際の意思疎通について、音声会話を行なう方が有利なのは、頭では分かっていた、と言えるのだが。
現在の日本でもよくあるように、
「現実には、音声会話の通信機能を、急に向上させるのは難しい」
「これまで音声会話ナシで、いわば以心伝心で空戦を行なってきたではないか。それからすれば」
等の現状を変えたくない面々からの消極的な様々な意見が噴出して、中々、音声会話が普及しないと言う事態が、日本本土では起きていたのだ。
だが、欧州に展開している日本の航空隊では、音声会話による意思疎通が出来ないようでは、文字通りに命取りになる事態が起きるのが、頭では無く、いわゆる感覚、肚で分かる事態が起きていた。
更に言えば、英米等からの様々な支援、それこそ機材面や整備面等における支援によって、現実に音声会話の通信機能が向上する現実があっては。
2週間余りしか教育期間が無かったという冷たい見方もあるが、それ以前に日本本土で戦闘機乗りの基礎訓練課程を終えていたこともアリ、音声会話の重要性等を十二分に把握した上で、笹井中尉は実戦に参加できることになったのだ。
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