第29章―1 1941年秋から年末に掛けての空の戦い
新章の始まりで、新たに史実の人物が、この世界なりの経歴で登場することになります。
1941年11月、笹井醇一中尉は、ノルウェーのベルゲン近郊の飛行場に展開している第251航空隊に無事に着任していた。
「ここは本当に暗くて寒い土地のようだな」
それがベルゲンに着任したときの笹井中尉の最初の想いだった。
実際、ベルゲンは北緯60度にある街であり、冬至が近づいていることもあって、昼が短い時期だ。
だが、その一方で、これ程の高緯度の街ではあるが、北大西洋海流によって意外と暖かい一方で、しばしば雨が降る土地でもある。
そうしたことを、笹井中尉は既に着任していた第251航空隊の面々に教えられることになり、自分でも徐々に実感することになった。
さて、この世界の笹井中尉だが、史実よりも、やや違う経歴をたどっている。
何しろこの世界では、1939年9月の時点で、日本は第二次世界大戦に参戦して、欧州に海兵隊を中心として、艦隊や航空隊を派遣する事態が起きているからだ。
更に言えば、それに対処するために史実よりも急速に航空士官を増やす事態が起きることになった。
その為に、史実よりも半年早く1940年5月に少尉任官と同時に、笹井中尉は戦闘機搭乗員としての訓練を急きょ受けることになった。
そして、約1年の訓練を受けた後、中尉に任官して暫く日本本土で腕を磨いた後で、ベルゲンに笹井中尉は派遣されることになったのだ。
さて、そんな前歴の上で、笹井中尉は、第251航空隊に着任することになったのだが。
この際に、この世界の第251航空隊について、簡単に説明すると。
ベルゲン航空隊筆頭の精鋭戦闘機部隊として、日本の国内外で名を馳せる存在になっていた。
元々は台南飛行場にて錬成に当たっていた為に、台南航空隊とも呼ばれているが。
日本海軍の基地航空隊を欧州に派遣することになった際に、最初に選ばれた戦闘機部隊の一つである。
当初は96式艦上戦闘機を装備していたが、零式艦上戦闘機の量産が進み、欧州へと派遣されることになったことから、速やかに零式艦上戦闘機へと機種を改編することになった。
そして、1941年春に、第251航空隊の零式艦上戦闘機への機種改編と慣熟訓練が完了したのを見計らったように行われたのが、源田実中佐が主唱して行われたベルリン上空への日本海軍の戦闘機部隊のみによる殴り込み作戦だった。
この作戦に際して、第251航空隊はその主力の一翼を担い、参加した航空隊の中では最大の戦果を挙げて、その名を轟かせることになったのだ。
その後は、主に英本土に展開している日本軍の重爆撃機部隊が、ドイツ本土各所に対して戦略爆撃を行なう際に、前線基地から発進して護衛任務を基本的に行うように、第251航空隊はなっている。
(尚、日本陸海軍航空隊で編制された重爆撃機部隊だが、英本土に展開している部隊と、ブルターニュ半島に展開している部隊に、基本的に分かれていた。
更に言えば、皮肉なことに、ブルターニュ半島に主に日本海軍の重爆撃機部隊が展開していて、日本陸軍の戦闘機部隊が護衛任務に就き、英本土に主に日本陸軍の重爆撃機部隊が展開していて、それをノルウェーに展開している日本海軍の戦闘機部隊が主に護衛することが多発するようになっていた。
これは航空隊が、日本本土から欧州に派遣されるのに、大量に一度に派遣するのは、距離等の問題から困難であり、五月雨式に送られた、と言っても過言では無かったこと。
更に言えば、一度、派遣されてしまうと、派遣された土地からの移動が色々と困難だったことが大きい。
(部隊移動に伴う様々な補給の混乱等を、現地の部隊は嫌ったのだ)
そんなことから、かつての陸海軍の対立からすれば隔世の感を持たれるような事態が起きていたのだ。
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