第28章―19
実は思ったより、この章が長引いたこともアリ、巻に入っています。
本当にすみません。
ともかく、そうしたことから、ドイツ軍の救援作戦は、そう活発とは言い難い結果で最終的には終わる事態が起きることになった。
その一方で、ドイツ軍の救援作戦に対処するために、日本海兵隊が動いた結果として。
スヘルデ河口部を固守する為に展開していた筈のドイツ軍部隊の人員の過半数が、オランダ等を経由して、ドイツ本土防衛の為に再展開するために、巧妙に撤退する事態が起きて、日本海兵隊とユダヤ人部隊を主力とする連合軍にしてみれば、その撤退作戦阻止に失敗する事態が起きたのだ。
(尚、この辺りは完全に後知恵から振り返った見方である。
日本海兵隊とユダヤ人部隊を主とする連合軍上層部の面々の多くは、この当時はドイツ軍はスヘルデ河口部を固守する、と考えていたのであり、ドイツ軍も、そのように連合軍上層部の多くが考えるように、様々な欺瞞行動を行なっていた、というのが現実だったのだ)
だから、こういった連合軍上層部の判断だが、最終的には誤っていたとしか、言いようが無いが。
その一方、スヘルデ河口部を固守するドイツ軍部隊の人員が減少するのを看過しており、結果的にスヘルデ河口部に限っての話になるが、スヘルデ河口部に対する攻撃が、連合軍にしてみれば、容易になったと言っても過言ではない事態を引き起こしたのは間違いない。
その結果、この時点において、アントウェルペン港開放という事態を早期に引き起こした。
それから考えれば、この作戦は連合軍にしてみれば成功だったのでは。
という主張が、それこそ21世紀に至るまで行われる事態が起きたのだ。
そんな本当に複雑な事態が引き起こされることになったのだが。
結論を半ば先走って述べるならば、ドイツ軍のスヘルデ河口部に展開していた守備隊の減少は、日本海兵隊とユダヤ人部隊の攻勢を、容易にする事態が起きた。
その一方で、残置されたドイツ軍にしても、様々な方策を講じて、日本海兵隊とユダヤ人部隊の攻勢に対する足止めを図る事態が起きていた。
例えば、日本の戦国時代等では、薩摩の島津家の軍勢は「捨てがまり」という戦術を駆使していた。
それによって、史実の関ヶ原の戦いにおいては、僅か300の島津義弘率いる軍勢が、約8万の徳川家康率いる東軍の軍勢の中央を突破して平然と退却したという伝説が、21世紀に至っても、一部の人には真実だと信じられているように。
スヘルデ河口部を固守することになった、ある意味では捨て石のドイツ軍部隊は、狙撃兵を適宜に配置しては、日本海兵隊とユダヤ人部隊の指揮官を狙撃して、連合軍の進撃阻止を図ることになった。
尚、細かいことを言えば、狙撃兵を配置すると共に、各所に様々な地雷を敷設すること等によっても、連合軍の進撃阻止を、ドイツ軍は図る事態が起きた。
そういったことから、歩兵が歩いて進撃している以上、大丈夫と過信して戦車が、その後に続いたところ、対戦車地雷に引っ掛かって、戦車が爆発炎上する事態等が起きることになった。
こういった事態に対処可能なように、工兵部隊をそれなりに前面に出す事態が、連合軍内では起きてはいたのだが。
そうはいっても、最前線ではドイツ軍の狙撃等による攻撃阻止が当たり前のように行われている。
そうした現実からすれば、いきなり工兵部隊を最前線に投入するよりも、歩兵部隊を最前線に投入して、ある程度は敵のドイツ兵を排除した上で、工兵部隊を戦場に投入すべきだ、という事態が、現場で起きるのは必然に近い事態だった。
そんな事態が絡み合った末に、1月近い時間を掛けて、日本海兵隊とユダヤ人部隊は、ワルヘレン島の砲台兼要塞攻撃が可能になる地点までの進撃、ドイツ軍掃討を果たすことになった。
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