第28章―17
ともかく、そういったドイツ軍最上層部の思惑等から、新たに拡大再編制されたといえるグロースドイッチュラント師団を主な先鋒部隊として、スヘルデ河口部を守備しているドイツ軍部隊の救援作戦が、1941年8月下旬には発動されることになった。
とはいえ、既述の状況から、この救援作戦は、余り力を入れられた作戦とは言い難い代物になった。
本来から言えば、この救援作戦は、今後もスヘルデ河口部を固守する為に行われる作戦だったが、実際の目的は、この作戦を行なうことによって、日本海兵隊やユダヤ人部隊の目を逸らして、スヘルデ河口部を守備しているドイツ軍部隊を、少しでもドイツ本国に帰還させようとして行われた作戦だったのだ。
だが、現実にドイツ軍が救援作戦を発動した以上、スヘルデ河口部を目指していた部隊の一部を、この救援作戦に、日本海兵隊とユダヤ人部隊は、対応させざるを得なかった。
特に日本海兵隊は、スヘルデ河口部を目指す部隊の一部というよりも、その過半数、特に戦車部隊に至っては、その殆どをこの救援作戦に対処させざるを得なかったのだ。
何しろ既述だが、ユダヤ人部隊は、英軍の外人部隊といえる存在である。
その為に様々な装備について、英本国部隊のみならず、英国の自治領部隊、カナダや南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド部隊等よりも、現実には劣った代物が供給されているのが現実だった。
(尚、そういった部隊であるからこそ、ユダヤ人部隊は、日本流に言えば、様々な員数外の方法を駆使して、自らの装備等の充実を図っていたのも事実と言えた。
その為に、英本国軍からは戦闘機失格の烙印を捺されたP-39戦闘機を、ユダヤ人部隊は装備する事態が起きて、更にはカテリーナ・メンデスが、この世界では女性初の撃墜王になる事態を引き起こすことになっていたのだ)
ともかく、そういった事情から、ユダヤ人部隊には、マトモな戦車部隊が極少数で、大袈裟に言えばだが、ほぼ存在しなかったことから、ドイツ軍が装甲師団を先鋒とする救援作戦を発動したという情報が届いた以上、日本海兵隊が、ドイツ軍装甲部隊の阻止作戦を展開するのは、自明の理といっても過言では無い事態が起きたのだ。
この事態について、表面上はともかくとして、内心では小躍りするような想いを、西住小次郎大尉やそれに味方する面々はすることになった。
何しろ戦車部隊の面々にして見れば、本来の用法ではない、分散しての歩兵支援任務を行なわざるを得ない日々が、暫く続かざるを得なかったのだ。
それが、ドイツ軍の救援作戦に対処する為、という大義名分から、戦車部隊を集中運用して作戦を展開する事態が、新たに起きたのだ。
大袈裟に言えばだが、
「このドイツ軍の救援作戦に対処して死ねるのならば、戦車乗りとしての本懐を遂げたといえるぞ」
とまで言う面々が、元日本陸軍の軍人を中心にして出てくるのは、当然と言えるかもしれなかった。
とはいえ、このことはスヘルデ河口部を目指す連合軍の攻勢の衝力を、必然的に減らすことに繋がらざるを得なかった。
そして、それを逆用したと言える事態を引き起こして、スヘルデ河口部を死守していたドイツ軍部隊の一部を、結果的にオランダへ、更にはドイツ本土へと容易に撤退させることとなったのだ。
だが、その詳細が、日本海兵隊やユダヤ人部隊の上層部に分かったのは、それこそ第二次世界大戦終結後のことであって、この時の日本海兵隊やユダヤ人部隊の上層部にしてみれば、スヘルデ河口部を目指す悪戦苦闘から、視野狭窄に陥っていた、と言われても仕方のない事態ではあったが。
ともかく目の前の敵を排除していくのが、精一杯だったのだ。
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