第28章―13
カルロ・メンデスの鼓舞は、結果的にそれなり以上の効果があった。
突撃を行なったカルロ自身は、敵の銃撃で軽傷を負う結果になったが、幸いなことに、敵の銃弾は身体を貫通することになったこと等から、後遺症は残らず、兵士として戦い続けることが出来た。
更に言えば、カルロの鼓舞によって、敵陣地の一角の占領、突破に成功したことから。
自分が初陣の際に味方の誤爆により、上官の分隊長や同僚が死傷したことに対する口封じの意味まであったのではないか、とカルロ自身は勘繰らざるを得なかったが。
カルロは受勲することになり、それによって(日本の軍隊で言えば)伍長勤務上等兵にまで、特進することになった。
未だに兵といえば兵だが、そうは言っても、分隊長や副分隊長に何かあれば、分隊長を務められる立場にまでカルロは昇進することになったのだ。
それを聞いた姉のカテリーナ・メンデスは、本当に弟に軍人としての才能があるとはね、と内心で首を傾げる程の事態が起きることになった。
(最も、それを言えば、カルロにしても、姉のカテリーナが、(この世界では)世界初の女性の撃墜王になるとは、と驚くしかない事態が起きていたのだが)
そんな風にカルロは受勲する事態が起きていたのと同じ頃、米内洋六中佐も戦車大隊長として、ドイツ軍に対する攻撃任務を、懸命に行う事態が起きていた。
カルロと異なる立場にある以上、対岸の敵陣地をそれなりに味方の歩兵や工兵が排除した後で、米内中佐が指揮する戦車大隊は、渡河作戦を断行する事態が起きており、更にドイツ軍も、徐々に新型の戦車や突撃砲、対戦車砲を最前線に送り込もうと努力している現実があった。
こうしたことから、米内中佐にしても、容易に戦果を挙げられる状況では無かったのだ。
(実際、ドイツ軍の対戦車砲だが、37ミリ対戦車砲では威力不足であるとして、50ミリ対戦車砲への更新が急速に進みつつあった。
更に言えば、88ミリ高射砲が、しばしば対戦車砲として用いられる事態が起きてもいた。
尚、50ミリ対戦車砲だが、特殊弾頭を使えば、一式中戦車の正面以外なら抜ける、とされている。
そして、1940年7月以降は、3号戦車にも50ミリ砲は搭載されるようになっていたが、この頃は42口径が搭載されていた。
その上で1941年8月頃(資料によって時期が微妙に前後する)から、3号戦車の50ミリ砲は60口径へと長砲身化することになった。
この42口径から60口径への変遷の理由だが。
車体前端からはみ出すような砲身長では、万が一の事故が起きた際に困るという判断から、42口径ということになったのだが、ヒトラー総統が少しでも威力が増大するように長砲身の採用を強力に求めたことから、60口径が改めて採用されることになった、という説が強い。
尚、3号戦車の50ミリ砲だが、60口径となると、ドイツ軍の50ミリ対戦車砲と、ほぼ同等の威力を持つ、とされており、特殊弾頭を用いれば、一式中戦車と言えど100メートル以内に接近すれば、正面装甲でも抜ける、とされていたが、現実には極めて困難なことだった。
そうしたことから、一式中戦車の側面や後面を、ドイツ軍は基本的に狙う事態が多発することになった。
(88ミリ高射砲ならば、1000メートルの遠距離でも1式中戦車は撃破可能とされているが。
実際問題として、88ミリ高射砲は大型であり、移動が難しいといった事情もあって、ドイツ軍にしてみれば、88ミリ高射砲を対戦車砲として、そう期待する訳には、いかなかったのだ)
ともかく、米内中佐にしてみれば、一式中戦車だからと言って、ドイツ軍の対戦車能力に安穏とはできないのが現実だった。
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