第28章―12
カルロ・メンデスと似たような考え、想いを、米内洋六中佐は、ほぼ同じ頃にしていた。
「所詮は花火、と割り切るしかないな」
部下の士気を考えて、自らの内心で呟くだけにする。
とはいえ、歴戦の部下、下士官兵程、自分と同じ考え、想いをしているだろう。
米内中佐の眼前では、それなり以上の努力をしているのだろう。
味方の野戦重砲が、出来る限りの砲撃の嵐を敵陣に行っている。
又、味方の航空機が、引っ切り無しに敵陣への爆撃を行ってもいる。
あれだけの砲爆撃を行なえば、敵兵全員が殺戮済みだ、と新兵が楽観的に考えるのも無理はないが。
これまでの実戦経験、更に言えば、自分達が敵の砲爆撃に晒された実戦経験まで考えるならば。
「味方が懸命に努力しているのを否定はしないが。そうは言っても、砲爆撃がどれだけの効力を挙げているのか、を突き詰めて考える程に、本当に戦果を挙げているのか、と疑わしくなって、現実を悲観的に見るように、自分は考えてしまうな」
米内中佐は、そんな突き放した冷たい考えが浮かんでならなかった。
実際にカルロ・メンデスや米内洋六の考えは、それなり以上に正しかった。
それこそ1ヘクタール辺りで1トン近い爆撃が行われた筈なのに、少なくともカルロや米内中佐の目からすれば、全く砲爆撃の効果が無かったように、ドイツ軍の銃砲撃が、渡河作戦を展開している日本海兵隊やユダヤ人部隊に浴びせられる事態が起きたのだ。
当然のことながら、大量の死傷者が、日本海兵隊やユダヤ人部隊に生じるが。
日本海兵隊やユダヤ人部隊にしても退く訳にはいかない。
それこそ倍返しどころか、10倍返しの勢いで、更なる砲爆撃の支援を求めると共に、自分達の手持ちの火器を駆使した攻撃を、ドイツ軍に行う事態が生じるのは当然のことだった。
そして、ドイツ軍も、それに対抗して出来る限りの火力を浴びせる事態が生じる。
戦車乗りということから、対岸で橋頭堡が確保されない限り、渡河作戦の断行が出来ない米内中佐は、味方が橋頭堡確保に苦戦しているのを、(極論を言えばに近いが)河越しに心配しながら、眺めるだけで済んだと言えるが。
カルロは、文字通りに地獄で戦うことになった。
それこそ折畳舟に乗って、敵陣一番乗りを競い合う羽目になったのだ。
そして、何とか渡河作戦に成功したと言っても、敵のドイツ兵の銃砲火は熾烈であり、それに対処して行われる味方の砲爆撃は、(自分でも止むを得ないことだ、とこれまでの自らの戦場経験から割り切らざるを得ないと考えつつはあるが)自分達にも、容赦なく降り注ぐ事態が起きているのだ。
自分達の出来る最善を尽くして、ひたすら戦うしかないのだが。
これまでに味わってきた地獄の為に音だけから、敵か味方か、どちらの砲爆撃による攻撃(?)が自分達に加えられたのか、感覚的に分かるように、自分(カルロ)はなりつつあった。
勿論、どちらの攻撃が多いのか、と言えば、敵からの攻撃が多いのは間違いない。
だが、その一方で、味方の砲爆撃で、自分達が死傷しているのが分かる、というのは、本当に心身に来るモノがあるのは、どうにもならないことではないだろうか。
様々な援けを求める祈りの声が、周囲から聞こえる。
神に援けを求める者もいれば、親を始めとする家族に助けを求める者もいる。
だが、そんな援けを求める声を挙げても、この場に届く筈がないのだ。
「行くぞ、野郎共。祈る暇があれば、前に出て戦え」
自分が慣れ親しんだ日常語であることから、ラディーノ語で自分は叫んだ。
自分の周囲の人間の過半数が分からない言葉なのだが、咄嗟に出てしまった。
そして、その言葉に応じ、それなりの兵が、自分と突撃を開始していった。
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