第28章―9
そうしたことから、ベルギーの国民の多くが、後ろめたい想いを抱きながら、英軍の外人部隊と言えるユダヤ人部隊による首都ブリュッセルの解放を祝う事態が起きたのだ。
更に続けて、英仏日等の連合軍の順調な進撃は、ベルギー国内の第二の都市といえるアントウェルペンまでも、8月4日にユダヤ人部隊によって、解放されるという事態が引き起こされることになった。
ここにベルギー国内の主要部が連合軍によって解放されたと言っても過言ではない事態が起きたのだが。
連合軍にしてみれば、大問題が解決したとは言い難い状況にあったのだ。
その大問題だが、連合軍の補給問題だった。
この1941年8月初頭の時点においても、連合軍の補給拠点は、ノルマンディー、ブルターニュ半島の諸港群といっても過言では無かった。
(具体的な地名を挙げれば、ブレスト、シェルブール、ロリアン等に成る)
それ以外のフランス本土の港湾、具体的な地名を挙げれば、マルセイユやル・アーブル等を、連合軍が確保していない訳では無かったが、その殆どがドイツ軍の撤退時に出来る限りの破壊工作が行われた末に確保される事態が引き起こされていたのだ。
その為に折角、連合軍が確保しているとはいえ、まずは復旧作業を行わねばならず、更に復旧作業に必要な物資を運びこまざるを得ないことまでも考えるならば、却って連合軍の進撃の足を引っ張る事態が起きている、と言っても過言では無いのが、1940年8月初頭当時の現実だったのだ。
こうした中で、ベルギー国内最良の港湾設備を誇ると言っても過言ではないアントウェルペンは、ユダヤ人部隊の快進撃によって、ほぼ無傷で確保される事態が起きたのだが。
連合軍の補給問題解決が、これで一挙に解決という訳には行かなかった。
アントウェルペンは、細かいことを言えばになるが、スヘルデ河に面した港湾都市であり、直に大西洋に面してはいなかった。
更にスヘルデ河口周辺では、ドイツ軍が徐々に撤退作戦を準備しつつあったが、それなりの戦力を維持しており、それを完全排除しないと、アントウェルペンの港湾機能は発揮できない状況にあったのだ。
こうしたことから、日本海兵隊とユダヤ人部隊の主力は、スヘルデ河口に展開しているドイツ軍の完全排除を目指さねばならない状況にあった。
そして、日本海兵隊は、その基盤から、こういった水陸両用作戦に長けていて当然、と敵味方から見られがちではあったが、その実態は、というと。
それこそ日本陸軍からそれなり以上の士官や下士官の派遣や、米国政府からの様々なレンドリース、といった恩恵を受けられたとはいえ。
余りにも急激な拡大は、それこそ徴収された兵員の十分な訓練もままならないままで、最前線で将兵を戦わせると言う事態を、日本海兵隊に引き起こしていたのだ。
(それこそ1937年の日中戦争の敗北に伴って、常設の海兵隊を創設することになり、その際には各鎮守府に平時1個大隊、戦時に1個旅団(連隊)を編制できるようにして、集合すれば1個師団が編制できるように、ということで海兵隊は創設されたのだ。
それから4年で、当初の想定からすれば4倍の規模に海兵隊を拡張しよう等、無理にも程があった。
これが小規模でも、数十年に亘って維持されてきた組織という基盤があれば、それなりに古参の士官、下士官が存在することになり、それを基礎として十分な戦力を持つ軍が編制できるが。
(実際に史実の米国は、南北戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦において、そういった基盤を活かして急激に拡大した軍隊を編制することに成功している)
(この世界の)日本海兵隊には、そんな基盤が無いと言っても過言では無かった)
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