第28章―6
さて、この1941年8月時点の米戦車だが、(史実と同様の)M2中戦車とM2軽戦車を既に量産化しており、又、M3軽戦車とM3中戦車を懸命に量産しようとしている真っ最中と言えた。
だが、全ての戦車が問題を抱えていると言っても間違いなかった。
M2中戦車とM2軽戦車、更にM3軽戦車は何れも主砲は37ミリ砲に過ぎなかった。
M3中戦車は75ミリ砲を積んではいたが、米企業には大型主砲塔の製造経験が乏しく、かといって戦時中に急造、供与する関係から、車体右側スポンソン(張り出し)部のケースメート(砲郭)式砲座に75ミリ砲を備え、車体前部左側には前方固定式(俯仰させることは可能な)7.62mm機関銃2挺が連装式に備え付けられるという変則的な主砲搭載型式が採られることになった。
尚、こんな変則的な75ミリ砲の搭載が為された原因だが。
まず第一に米軍の中戦車開発について、従前に混乱があったのが大きいと言える。
まずM2中戦車だが、主砲は37ミリ砲で、1939年に採用された中戦車としては、やや小口径と言える程度だったが、何と機関銃を最大9丁、通常でも7丁も搭載していた。
これは敵軍の塹壕を突破して、塹壕に籠る歩兵を排除するのを主目的とする戦車として、この戦車が開発されたと言う事情が大きかった。
更に米軍の戦車開発を遡れば、1930年代に中戦車の兵装配置として、旋回砲塔方式と砲郭(周囲を複数の機関銃でハリネズミのように武装した固定戦闘室)方式と、どちらを採用すべきかで揉めたという経緯もあった。
(これは米軍の中戦車の開発目的が、上記ということもあった。
それこそ、米軍の中戦車の開発目的が、ドイツ軍やソ連軍が行ったように、戦車を主とする機動戦を展開する為であったのならば、砲郭方式等は論外ということに、すぐになっただろうが、塹壕に籠る歩兵を排除するのが主目的ならば、砲郭方式にもそれなりの合理性、理屈があるのだ)
だが、その代償として、砲手、機銃手を4名も乗せねばならず、又、後に開発されたM4中戦車よりも全高が高い腰高の戦車になってしまったのだ。
これでは隠れるのも難しいし、更に1940年の独仏戦の結果、どう見ても戦場では役立たない、とまでの酷評を受けて、M2中戦車は少数生産(と言っても、訓練用として100両近くが生産された)に止まらざるを得なくなった。
そして、慌ててM3中戦車の開発が行われることになったのだが。
(あくまでも噂レベルで(この世界の)米陸軍上層部は、それこそ21世紀に成っても否定しているが)
M3中戦車の主砲をどうするか、ということで、まず揉めることになった。
英陸軍の開発している57ミリ砲を搭載する、という案もあったのだが。
一部の白色人種優越論者が、黄色人種の日本人でさえ57ミリ砲を搭載している中戦車、一式中戦車を戦場に投入しようとしているのに、米陸軍の新型戦車が同程度の主砲を搭載する等、世界に恥を晒すと強硬に主張した結果、75ミリ砲をM3中戦車は主砲として搭載することになったのだ。
だが、いきなりこれまでの2倍の口径の主砲を搭載した中戦車の開発等、幾ら米国の企業と言えども手に余る事態である。
どう頑張っても量産化は1942年以降になる、という判断が下されたことから。
非常手段として、M3中戦車は、車体右側スポンソン(張り出し)部のケースメート(砲郭)式砲座に75ミリ砲を主砲として備えることになったのだ。
だが、実戦に投入してみると。
M3中戦車はM2中戦車より更に腰高になり、又、ガソリンエンジンが発火しやすかったことから、提供された英仏軍の将兵の間から「7人乗りの棺桶」呼ばわりされたのだ。
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