第28章―3
そんな感じで、米内洋六と久子夫妻は、お互いに考え込んでしまったこと、更にはお互いに声を掛けづらくなったことから、暫く無言で歩み続けることになった。
とはいえ、そんな夫婦の無言の時間を、何時までも続けるわけにはいかない、とお互いに考えた。
そして、どちらが先に口を開くか、お互いに空気を読み合ってしまったのだが。
結果的には、夫の洋六が先に折れた、と言っても過言では無かった。
とはいえ、洋六にしても、自分の考えていた内容の重さから、少なからず違う話を振ってしまった。
「フランスで、現地の料理に触れることはあるのか。何でも蕎麦を使ったガレットという料理を、覚えたそうではないか」
「ええ。私達の故郷の蕎麦かっけを、何処か思い起こされる料理で、これはこれで美味しいですよ」
洋六の言葉に、久子は即答した。
実際に(既述だが)年越し蕎麦ではなく、年越しガレットを久子達は作る羽目になっている。
「他にも何か料理を教わったりしたのか」
「そうですねえ、ポトフとか、他にもフランスの家庭料理を幾つか、いつの間にか、私や周りは覚えてしまいましたね。
それこそ、地元の人と交流していて、地元の食材を教えられて、更にどんな料理法があるのかとかまで話が弾んで、そうこうしていると、一緒に作ろうとかいうことにまでなって。
偏見と言われそうですが、女性同士ということもあって、話が弾んでしまった気が」
洋六の問いかけに、久子は少し長く答えた。
「ほう、日本料理を教えるようなことは無かったのか」
「ありましたよ。
例えば、半年程前にブルターニュの牡蠣を使った、牡蠣の土手鍋を、広島出身の方が作られたのですが、実は私達の間でも味噌味ということから微妙な評価で、フランス人には、もっと微妙な評価でした。
そんなことから、素直に鶏出汁を使った白鍋仕立てにして、好みで醤油やポン酢で味付けして食べることにしたら、フランス人にも好評でした」
夫婦は更にやり取りをした。
洋六は、それを聞いて想った。
醤油はともかくとして、味噌は日本人の間でも、地域による好みの差が大きい。
そうしたことからすれば、多くのフランス人が味噌を受け入れないのは当然かもしれない。
そんな洋六の想いを何処まで察したのか。
久子は、改めて子ども達に想いを馳せたようだった。
「フランスで覚えた料理を、藤子や早苗に伝えて、仁や正にも食べさせたいですね。少しでも早く」
「そうだな」
久子の言葉に洋六は寄り添った。
その一方で、主婦、母としての想いが、更に勝ったのか。
久子は、更に洋六に言った。
「それにしても、色々と所によって料理は、本当に様々ですね。欧州で美味しいと想った料理を幾つか覚えて、子ども達に伝えたくなります。
例えば、ユダヤ人から聞いたのですが、ボルシチという美味しい煮込み料理があるとか。
一度、本場で実際に味わいたいです」
「それは無理だろうな」
「何故ですか」
「それを食べたいなら、ソ連に行く必要があるからな」
「えっ」
洋六の答えに、久子は固まった。
「ボルシチはロシア、ウクライナ料理だ。
更に言えば、どちらが本場なのか、ソ連国内では論争があるとも聞くな」
「そうなのですか。それでは無理ですね」
洋六の言葉に、久子は少ししおれたが。
洋六は、ユダヤ人がそんなことを言った裏事情を勘繰らざるを得なかった。
現在、ナチスドイツ政府によるユダヤ人迫害が問題視されているが、ロシア、ウクライナ地域等は、実はロシア帝国時代から現在のソ連に至るまで、ボグロムというユダヤ人迫害が絶えない地域でもあったのだ。
そうしたことからすれば、今後、そうしたことが起こらないように、それなりのユダヤ人が動いているのではないだろうか。
この辺り、私が各国、各地の当時の料理にそう詳しくないので、緩い指摘をお願いします。
御感想等をお待ちしています。




