第27章―1 1941年8月下旬の欧州を中心にした世界の状況
新章の始まりで、基本的に、この世界の1941年8月時点での世界情勢の説明になります。
尚、第一話は少し毛色が違い、「戦車伯爵」とグロースドイッチェラント部隊が、ル・アーブル攻防戦の後、どうなったのか、の話です。
1941年8月下旬、オランダのアルンヘムにて、グロースドイッチェラント連隊は、装甲師団への拡大再編制を行ないつつあった。
1941年5月に行われたル・アーブル攻防戦の後、グロースドイッチェラント連隊は、フランス本国からの撤退作戦において、秩序だった後衛戦闘を行ない続け、ドイツ陸軍の精華であることを示したが。
その代償として過半数の兵員と、車両や火砲といった重装備の殆どを失うという大損害を、1941年6月に入るまでにグロースドイッチェラント連隊は被ったのだ。
そして、大損害を被ったグロースドイッチェラント連隊を、ドイツ本国において装甲師団を拡大再編制する、ということがドイツ陸軍上層部において決まったのだが、それを聞きつけたヒトラー総統が横槍を入れる事態が起きた。
ヒトラー総統にしてみれば、グロースドイッチェラント連隊の勇戦敢闘を認めること自体は、やぶさかではなかったのだが。
グロースドイッチェラント連隊を、ドイツ本国に引き上げさせて拡大再編制をしては、ベネルクス三国を我が国は完全放棄するように見える、オランダか、ベルギーで拡大再編制をすべきだ、と感情に任せた主張をヒトラー総統が行った結果、ドイツ陸軍上層部との最終的な妥協として、オランダのアルンヘムで、グロースドイッチェラント連隊は、装甲師団への拡大再編制が行われることになった次第だった。
そして、アルンヘムで、装甲師団への拡大再編制を完結しつつあるグロースドイッチェラント連隊の一員として、ヒアツィント・シュトラハヴィッツ中佐の姿もあった。
シュトラハヴィッツ中佐は、ル・アーブル攻防戦の後、指揮下にあった戦車大隊を懸命に駆使して、後衛戦闘を何とか生き延びることに成功していた。
自らの指揮下にある3号戦車の機動力を駆使し、味方の突撃砲部隊や牽引式対戦車砲部隊、更には高射砲部隊が待ち構えている罠に、日本海兵隊の戦車を誘致することで、それなりの数の日本海兵隊の戦車を仕留めることに、シュトラハヴィッツ中佐は成功して、昇進していたのだ。
とはいえ、(本来的には逆だが)自らの骨を断たせて、肉を斬るような難戦を強いられた代物だった。
その戦闘の結果として、シュトラハヴィッツ中佐率いる戦車大隊54両は、全ての戦車を喪失する事態が起きたのだ。
それに対して、日本海兵隊が失った戦車は、その2割にも満たない9両と判定されている。
(履帯や転輪を破壊する等によって、一時的に行動不能と判定された日本海兵隊の戦車は、上記以外で延べ20両を超えると判定されてはいるが。
そうは言っても、それこそ履帯や転輪の破壊だけでは、容易に前線復帰が可能で、無意味な戦果だと批判されても、当然ではある)
そんなことから、シュトラハヴィッツ中佐やその部下達は、忸怩たる想いを抱きつつ、グロースドイッチェラント連隊の装甲師団への拡大再編制を行なう事態が引き起こされていた。
そして、そんな状況下にあることもあって、シュトラハヴィッツ中佐やその部下達、更にはその周囲の面々は、色々と「一式戦車ショック」から生じた事態を考えざるを得なかった。
「劣等民族と言われている日本人、そこの陸軍より格落ちの海兵隊が乗り込む戦車すら我々は保有していないとは」
「速やかに一式を圧倒する主力戦車を開発し量産すべきではないか」
「全くその通りだ」
そんな声が、現場の戦車乗りを中心に高まってはいるが。
そうは言っても、新型戦車開発となると、すぐにできることではない。
上層部に近い者程、頭を痛める事態になっている。
シュトラハヴィッツ中佐は、改めて考えていた。
何時に成ったら、奴らに楽に勝てる戦車に乗り込めるのだろうか?
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