第26章―1 1941年8月のお盆の頃の様々な想い
新章の始まりです。
尚、描く内に仁と藤子の話が延びてしまって、この章は、主にこの二人の話で終えます。
(当初は、米内洋六と久子夫婦の話を後半にするつもりだったのですが、次章で描くことにします)
「仁さん」
「藤子」
それこそ傍から見れば、恋人同士と間違われかねない、実際に許嫁同士であるやり取りを、1941年8月中旬に横須賀駅で、米内仁と米内藤子はしていた。
尚、仁は1922年生まれで、そんなやり取りをしても違和感が無い年齢だが。
藤子は1928年生まれで、本来ならば幼いのに背伸びをして、と見られる年齢になる。
だが、藤子は実母の小林千代に似たのか、急速に大人びた体形の持ち主に育ちつつあった。
そんなことから、今年の年始以来、半年以上経ってから逢ったこともあって、仁は藤子の成長、体形等に驚かざるを得なかった。
それこそ(メタい話になるが、分かりやすく言えば、現代の)中学1年生なのに、高校1年生でも十二分に通る体形の持ち主に、藤子は育っていた。
そうしたことから、仁と藤子を見る周囲の目は、それこそ生暖かいでは済まないモノ、婚約者同士が逢っているかのようなものにまでなっていた。
更に言えば、藤子はそれを悪用では無かった、活用して、仁に寄り添う態度を示していた。
仁は、ある程度は気息を整え、というか、深呼吸をした上で、藤子にささやいた。
「いい加減にしろ。確かに許嫁だが、限度があるだろう」
実際に仁が言うのも当然だった。
藤子の態度は、中学1年生が採る態度では、とても無かった。
だが、藤子にしても、それなりの理由があって、そんな態度を採っていた。
「このまま戦争が終わらなければ、1年余り後には、仁さんは欧州に戦場に行くのよね」
「ああ」
藤子の返答、声に深刻さを感じた仁は、それだけを言った。
実際に1942年11月には、仁は海軍兵学校を卒業予定で、このまま第二次世界大戦の戦況が推移すればだが、藤子が言う通りの事態になる。
そうした背景もあって、自分が下手に言葉を費やしては、却って藤子が逆ギレというか、捻くれる感じを、仁はどうにも覚えてしまっていた。
「それこそ戦艦長門でさえ大破して、それなり以上の戦死傷者を出したのよ。
欧州に仁さんが本当に赴いたら、戦死する事態が起きるのでは、と私は怖くてならないの。
それにお父さんが戦死したら、自分はどうなるのかとか、考える程に怖くなって」
藤子は、何とかそれだけを更に言った後、黙って仁にしがみつき、それとなく物陰へと共に移動した後、暫くすすり泣きを続けた。
仁は、黙って藤子を抱きしめて、物思いに耽らざるを得なかった。
これは、下手なことを言えない。
藤子の想いが間違っているとは言えない。
自分からすれば養父、叔父の米内洋六は、欧州の戦場で戦っているのだ。
そして、自分も欧州の戦場に、何れは行く、と考えざるを得ない戦況なのだ。
(尚、自分の実母の米内久子も同様に欧州に赴いているのに、久子を藤子は心配しないのか、と自分は考えなくもないが。
その一方で、これまでの二人の行きがかりからすれば、藤子が久子を心配する訳が無い。
それこそ、自分からすれば異父弟妹、藤子からすれば異母弟妹3人の全ての世話を、自分の実母の久子は藤子に押し付けて、欧州に夫を追い掛けて行ってしまったのだ。
更に言えば、その時の藤子は小学5年生だったのにだ。
勿論、自分の実母の久子なりに手配りをしていたとはいえ、そんなことをされた藤子が、久子を恨んで、心配しないのも当然、と自分も考える)
そんな他所事までも、仁は暫く考えつつ、藤子の気持ちが鎮まって、涙が収まるまで、黙って抱きしめ続けることになった。
そして、暫く経って、藤子はようやく気を鎮めたようで。
「どうも、ありがとう」
と言った。
「これ位しかできないけど」
「それで良いの」
仁と藤子はそう言い合い、小林家へと向かった。
仁は想った。
戦争が早く終わって欲しいものだ。
ご感想等をお待ちしています。




