第24章―22
少しふざけすぎ、と言われそうですが、横道にやや入った話になります。
それだけの感動を与えた、と後世に伝わる奮闘を示した戦艦長門だが、現実の話をすれば、日本本国に帰還せざるを得ない程、一般的には大破と評価される損害を被っていた。
こうしたことから、長門は英国で応急措置を完了した後、速やかに日本本国に帰還せざるを得ない事態が起きたのだ。
更に言えば、山本五十六司令長官は、戦傷から退役せざるを得なくなり、代わりの海軍総隊司令長官として、嶋田繫太郎海軍大将が就任する事態が起きた。
(尚、更なる余談をすれば、山本司令長官は、この戦功からモナコのカジノへの永久出入り自由、という特権を得た、という真偽不明の噂が流れる事態が起きることになった。
実際に山本司令長官は、第二次世界大戦終結後、本人に言わせれば、これまでに築いた財産から、働く必要は無く、死ぬまで悠々自適の生活を送った、とのことだが。
モナコ政府は、そんな特権等を認めることはない、カジノで遊んで儲けるような特権を認めることは決してない、と言ったのだが。
山本司令長官は、亡くなる直前まで、モナコに赴いてはカジノで遊ぶ事態が起きた。
そして、更には山本司令長官は、カジノで大勝ちし続けた、との伝説を遺す事態が起きて。
山本司令長官の長男の山本義正に言わせれば、
「私は父の遺産で生涯を遊び暮らした、と言われたくないので、働き続けましたが。
父の博打の稼ぎで、生涯、私どころか、家族全員が遊んで暮らせる遺産を相続しました」
と、とある雑誌記事では語ったとのことで。
山本司令長官は、それこそ21世紀に至るまで、海軍軍人よりも博徒の間で、
「伝説の博徒」
として名を遺す事態が起きたのだ)
話が逸れすぎたので、改めてル・アーブル近郊のドイツの砲台兼要塞の話の場に戻すが。
リンデマン大佐は、改めて部下達に対して訓示を与える事態が起きていた。
「さて、諸君。我々は海軍軍人として、それなり以上の意地を果たし、又、面子を保つことができたのではないだろうか。何しろ、フッドを沈めて、長門を大破させることができた。この後、我々はどのように行動すべきだろうか」
リンデマン大佐は、敢えて言わなかったが。
この時点で、ノルマンディー半島、ブルターニュ半島に築かれた英仏日等の連合軍に対峙する為のドイツ軍の最前線陣地は、英仏日等の連合軍の総力を挙げた攻撃によって、崩壊しつつある現実があった。
こうしたことからすれば、今ならば、ル・アーブル近郊の砲台及び要塞から、守備隊として配備されているドイツの海軍軍人は、最後の意地を果たし終えた以上は撤退して、ドイツ本国の防衛戦に参加するという選択肢がある、とも言えなくは無かったのだ。
何しろ、連合軍の攻勢は、徐々に急になっていくのが、当面は目に見えている。
そうしたことからすれば、この砲台兼要塞から撤退すると言う選択肢は充分にアリだったが。
「大佐。ここで最後の意地を貫きましょう。帰ったとして、自分の内心の何か、を守れる戦闘が出来るとは考えられないので」
「自分も同感です」
そういった声が、リンデマン大佐の部下達から挙がった。
実際、その声はリンデマン大佐の考えに合致していた。
リンデマン大佐や部下達の眼に、この海戦の際にダヴィデの星を描いた、ユダヤ人部隊の戦闘機が駆けつけているのが目に見えていたのだ。
それは改めて反ユダヤ主義に、結果的に加担した自分達を責めているとしか、見えないことだった。
実際に多くのドイツの軍人が、似た考えを抱いていた。
ナチの反ユダヤ主義によって起きた様々な出来事、強制収容等に自分達は本音では反対だ。
でも、国法に反することは出来ない。
その結果が、今の事態に至っているのだ。
そして、この後を考えるならば。
1話で収まりませんでした。
次話に少し続きます。
ご感想等をお待ちしています。




