第24章―19
何故に日本艦隊の砲撃より、ドイツの砲台の砲撃の方が当たりやすいのか、というと。
それこそ既述だが、地上からの砲撃の方が固定されており、命中精度がどうしても相対的には高くなる、という事情がまずはある。
又、15インチ砲での砲撃訓練は、確かに余り行われていなかったが、6インチ砲や4インチ砲での砲撃訓練は、それなりに行われており、それによって、砲台員の練度はそれなりに向上していた。
更に言えば、何とも皮肉なことに、ビスマルク等のドイツの新型軍艦に乗り組んで戦う為に訓練等を積み重ねていた海軍の軍人の面々の多くが、この地に赴いていたのだ。
そして、彼らの多くが復仇の想いに駆られていたのもあった。
彼らにしてみれば、ノルウェー侵攻作戦を、無残な失敗に終わらせた最大の原因と言える日本艦隊が、自分達の目の前にいるのだ。
ナルヴィク沖で、(連合軍の報道を信じれば)一発の砲弾も撃つことなく、日本の水雷戦隊、駆逐艦等による雷撃で轟沈した巡洋戦艦のシャルンホルストとグナイゼナウ。
又、トロンハイム沖で、日本の空母部隊の空襲によって、相次いで無念の沈没を遂げたドイッチュラント級装甲艦3隻。
他にも日本軍の攻撃によって沈んだドイツ海軍の軍艦が複数あるのだ。
更に言えば、ある程度は冬の高緯度の北海である以上、止むを得ないことと言えるのだが。
その際に巡洋戦艦のシャルンホルストとグナイゼナウの乗員全員、その時にナルヴィク侵攻作戦の支援艦隊の司令長官を務めていたリュッチェンス提督以下の面々全てが、無念の総員戦死を遂げている現実があると伝え聞いていては。
又、ドイッチュラント級装甲艦3隻にしても、グラフ・シュペー以外の2隻については、生存者が合わせて一桁に止まる事態が起き、グラフ・シュペーにしても、艦長のラングスドルフ大佐以下の半数近い面々、500人近くが戦死していては。
そして、英国のBBC放送を始めとする英仏日等の連合国側、及び米国等の親連合国派の報道機関の多くが、ドイッチュラント級装甲艦全てが沈んだことは、国名を冠したといえる軍艦全てが沈んだことだ、これはドイツの黄昏、ラグナロクを告げることだ、という報道を垂れ流す事態を引き起こしていては。
(実際に、そう言った事態を避ける為に、第二次世界大戦勃発直後といえる時期に、ドイッチュラントはリュッツォウに改名される事態が、(史実でも、この世界でも)起きてはいたが。
そうは言っても、最初の艦名の印象を拭いされる訳が無く、そう言った報道が垂れ流されたのだ)
この場に居るドイツ海軍の面々が、英海軍の象徴と言えるフッドを沈めた後、長門型戦艦2隻、取り分け旗艦先頭の原則を守る長門が、自分達の操る大砲の射程範囲に入り次第、集中砲火を浴びせて、何としても沈めようとするのは、当然のことと言っても良い事態ではあった。
こうした士気の高さ、更にはそれなりの練度を持って、この地に多くのドイツ海軍の面々が赴いていたことが、複数の15インチ弾を長門に命中させる事態を引き起こしていた。
だが、長門は唯の戦艦では無かった。
大改装を行った結果、同世代の戦艦、米国のコロラド級戦艦や英国のネルソン級戦艦よりも十二分に強力で、それこそ米国の新型戦艦(史実のノースカロライナ級)よりも強力な戦艦と言っても、長門(及び陸奥)は過言では無かったのだ。
その為に、多くの面々が驚愕する程の耐久力、強靭さを、この場で長門は発揮することになった。
15インチ砲弾が複数、被弾しても主砲射撃を長門は止めなかった。
後にリヴァイアサンの化身、とまでこの時の長門の奮闘は報じられて、21世紀に至り、伝説の存在にまで昇華したのだ。
えっ、長門ってそんなに堅い戦艦だったの?
と言われそうですが、実際に私が調べる限りは、大改装が行われた結果、少なくとも史実の米国のノースカロライナ級戦艦を上回る装甲等を誇る戦艦に、長門や陸奥は至っていたようです。
そうしたことから、この後の描写が為されることになります。
ご感想等をお待ちしています。




