第24章―10
そんなやり取りが、日本の海軍総隊司令部というか、遣欧派遣艦隊司令部内では行われたが。
その一方、本題と言える英仏日等の連合軍によるノルマンディー、ブルターニュ半島を起点とする対ドイツ反攻作戦は、極めてシンプルな基本構想に基づいていた。
ノルマンディー半島の事実上の北端と言えるセーヌ河の河口部周辺が連合軍の北側の楯といえる存在で、例えば、ルアーブルはドイツ政府の傀儡といえるフランスのラヴァル政権の統治下にあった。
又、ブルターニュ半島の事実上の南端と言えるロアール河が、連合軍の南側の楯となっており、サン=ナゼールやナントが、連合軍の拠点として固められていた。
こういった状況に鑑みて、英仏日等の連合軍の上級司令部は南北両方から、ドイツ軍を両翼包囲して勝利を収めようと考えていた。
当然のことと言えるが、ドイツ軍と言えど、それこそこの数か月に及ぶ連合軍航空隊の攻撃によって、フランス本土においては、様々な打撃が積み重ねられている状況にある。
その為、結果的にノルマンディー、ブルターニュ半島からの英仏日等の連合軍による大規模な反攻に対処するため、北フランス戦線へ手厚く兵力を展開し、その後方のフランス本土には、治安維持のために必要と考えられるだけの兵力を薄く広く展開する事態になっている。
そして、この状況を更に悪化させるかのように、ユーゴスラヴィア王国が内戦状態に陥ってしまい、その状況を速やかに鎮める為に、ドイツ軍の精鋭部隊の一部は、フランス本土から引き抜かれて、ユーゴスラヴィア王国に赴かざるを得ない事態が引き起こされてしまった。
もっとも、英仏日等の連合軍が期待した程には、ユーゴスラヴィア王国の内戦は、表面上は長引くことはなく、ドイツ軍の精鋭部隊の多くは、速やかにユーゴスラヴィア王国内から撤退して、改めてフランス本土に向かいつつあるらしいが。
そうは言っても、詳細に状況を観察すれば、ユーゴスラヴィア王国内の内戦が鎮まったとは、とても言えない状況で、反ドイツのレジスタンス活動が徐々に活発化しつつあり。
その為、警備が主任務の二級線ではあるが、それなりの規模の兵力をユーゴスラヴィア王国内に、ドイツ軍は貼り付け続けざるを得なくなった。
(尚、その最大の原因が、ルーマニアで産出される原油を、ドイツ本国内に安全に運ぶ為だった。
既述だが、1941年春現在、ドイツ軍の燃料、更にはドイツ本国内の民間産業の維持に必要な油は、石炭液化による人造石油とルーマニア産の原油が、完全に二本柱に成っていた。
その為に、ルーマニア産の原油が完全に断たれては、ドイツ本国内の民間産業は半壊し、ドイツ軍を機動的に運用するのに必要不可欠な燃料も欠乏気味になって、戦車等が半ば鉄屑になりかねなかったのだ。
そして、ルーマニア産の原油の大半は、ユーゴスラヴィア王国内を経由して、ドイツ本国に運ばれていると言う現実があったことから。
ドイツ政府、軍としては、ユーゴスラヴィア王国内の治安維持の為に、それなりの兵力をユーゴスラヴィア王国内に展開させない訳には行かなかったのだ)
ともかく、そうした背景も相まって、ノルマンディー、ブルターニュ半島を拠点として行われる英仏日等の連合軍の反攻に対処するドイツ軍の戦力は、補給問題等も相まって事前の想定より弱体化していたのだ。
だが、そうした状況が更なるドイツ軍の対応をもたらしてもいた。
ドイツ海軍は、それこそノルウェー侵攻作戦の事実上の失敗に伴い、解散状態に陥っていた、と言っても過言では無かった。
その為に、ドイツ海軍の軍人や兵器が、陸戦に大量に投入されて、連合軍の反攻に対処する事態が起きていたのだ。
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