第24章―3
そして、速力についても舗装道路上ならば、最高40キロは出せる代物であり、十二分と言えた。
だが、これだけの(当時の日本にすれば)重戦車であることから、色々な問題点が起きるのは、ある意味では当然のことだった。
基本的にこの一式中戦車は、大陸、具体的には満蒙防衛を主として考えられており、移動も日本国内においては沿岸航路での輸送を大前提にせざるを得なかった。
それでも主要港での揚陸に限られることになった。
何故かと言えば、(一部、これまでの記述と描写が重なるが)当時の日本の国内の鉄道、道路輸送網は極めて貧弱と言わざるを得なかったからである。
更に言えば、揚陸設備も貧弱なのが現実だった。
(メタい話にどうしてもなるが、史実でもそうだが)日本の戦車が軽量、弱装甲になったのは、それこそ日本本土において戦車を輸送するとなると、道路の舗装等が進んでおらず、又、鉄道が狭軌であり、更に荷重制限が厳しい等の事情が相まってのことだった。
更に言えば、戦車を海上輸送して揚陸するとなると、クレーンを始めとする様々な揚陸設備の充実が必要不可欠なのは、言うまでもないことと言っても過言ではないが。
(史実でもそうだったが、この世界でも)1940年前後となると、20トンを越える戦車を揚陸するとなると、極少数の主要港でしか、戦車の揚陸が出来ないと言うのが、日本の現実だったのだ。
(最も、この辺りは、島国としての宿痾に近いモノといえないこともない。
揚陸設備等の制限のために、英国の戦車は長きに亘って、歩兵戦車と巡航戦車の二本立ての整備を強いられてきた、と言っても過言では無いのが、史実の英国戦車の開発、整備状況だったのだ)
とはいえ、こんな軽量、弱装甲の戦車の整備に奔っては、何時まで経っても、日本の最大敵国であるソ連の戦車に、日本の戦車では勝てないと言う状況が続いてしまう。
こうしたことから、当面は大陸、満蒙専用と事実上は割り切ることで、一式中戦車の開発を行なうことになったのだ。
だが、ソ連が総重量45トン前後に達するKV重戦車の開発、量産化に成功したという情報が入ったことから、日本の戦車も、それに対応できるだけの戦車を開発、保有すべきだ、という声が日本陸軍内では挙がるようになりつつあった。
更に言えば、ソ連は75ミリ砲を主砲として、総重量は一式中戦車に匹敵するTー34中戦車の開発、量産化にも成功している。
それに対して、一式中戦車の主砲は57ミリに過ぎない。
(尚、一式中戦車の開発中に、Tー34中戦車の大よその情報が入ったことから、一式中戦車は、何れはだが、75ミリ級の主砲が搭載可能な砲塔リンクが予め採用されてはいる)
そして、一式中戦車では、KV戦車に対応は不可能とも思量されたことから。日本の将来の戦車には更なる重量増大が、日本陸軍内では求められる事態が起きてはいるが、それは当然に将来の戦車について、輸送等の問題を引き起こしてしまうことになる。
こうしたことから、現在の陸軍内では、将来の戦車が輸送可能なように、国鉄の改軌や道路の舗装、主要港のクレーン設備の改善等を推進する声が、大きく高まりつつある。
更に言えば、日本の財界の間でも、この陸軍の主張に加担する声が高まりつつある。
財界にしてみれば、日本国内の貧弱な輸送網は憤懣を高める代物になりつつあったのだ。
例えば、幾ら自動車を売ろうとしても、まともな道路が乏しくては、自動車が売れる筈がない。
更に様々な輸送効率が低く、生産性の向上にも影響を及ぼしている、という事態が現に引き起こされてもいるのだ。
こうしたことから、(この世界の)日本は国鉄の改軌等を、後に進めることになる。
この辺りの鉄道、道路整備の問題ですが、史実のドイツでさえ、四号戦車の開発については、24トン以下という荷重制限が当初は掛かっていたとか。
荷重制限等の問題は極めて重要で、それこそ現在の日本にしても、諸外国並みの重量の戦車保有については、鉄道が狭軌である以上は云々等の議論が為されるのが、現実だとか。
そういった背景からの描写ということで、平にお願いします。
(そんなの現場の努力によって、何とでもなる。
実際に史実のドイツでは、キングタイガー戦車を縦横に運用したではないか、
と以前に言われましたが、本当にそうなのでしょうか)
ご感想等をお待ちしています。




