第24章―2
さて、この際に一式中戦車の大よそのスペックを、この際に記すならば。
最大の特徴は、何といっても、その主砲が日本陸軍が英陸軍と様々な協力を行なった末に共同開発、生産されることになった57ミリ砲という点にあった。
(尚、史実で英軍が開発装備した6ポンド砲と、カタログデータ上は、ほぼ同等である。
だが、この世界の57ミリ砲は、日本陸軍側の強い要望により、開発完了当初から榴弾が量産、装備可能になっており、史実の英軍が悩んだような榴弾が主砲で撃てないという事態は回避された。
更に言えば、自動車牽引式の対戦車砲として、この57ミリ砲は英日軍のみならず、米軍等でも採用されることになり、米国でライセンス生産されたことから、仏軍やベネルクス三国軍等でも愛用されると言う事態が、この世界では引き起こされた)
これによって、日本陸軍内に根強くあった、
「47ミリ砲では榴弾の威力が不足し、歩兵の火力支援任務が充分に果たせない」
という難癖を完全に退けることが出来たのである。
(実際問題として、89式中戦車から57ミリ砲が採用された背景の一つが、歩兵の火力支援の際の榴弾威力の確保という側面だった。
実際にこの当時の戦車ならば、37ミリ砲が主流と言っても過言ではない時代で、更に言えば、20ミリ級の砲を装備しながらも、戦車を名乗る戦車さえ稀では無かったのだ。
(例えば、ドイツのⅡ号戦車は20ミリ砲を装備している)
それなのに、日本陸軍が57ミリ短砲身砲を、89式中戦車に採用するように求めたのは、幾つか理由があるが、その一つが歩兵の火力支援の為の榴弾の威力確保だった)
これに対応するドイツの戦車であるが、戦車砲の開発の遅れから、未だに75ミリ24口径が、四号戦車には装備されている有様だった。
三号戦車にしても、50ミリ42口径が1940年12月に採用されたばかりで、ようやく主力化しつつあるのが現実だった。
それ以外の戦車に至っては、言うまでもない現実がある。
だから、主砲の威力について言えば、一式中戦車の57ミリは十二分な威力があると言えた。
次にその防御力である。
一式中戦車は、皮肉極まりないことだが、自らの主砲である57ミリ砲に、1000メートルの距離から撃たれても抗堪できることを、少なくとも砲塔正面や車体正面では求められたのだ。
(これはある意味では当然のことで、日本海兵隊(海軍)も採用する戦車である以上、戦艦が自らの主砲で決戦距離で撃たれても抗堪できるように、戦車も同様に自らの主砲で決戦距離で撃たれても抗堪できるのが当然だ、と日本海兵隊(海軍)上層部は主張して、日中戦争で、自らの戦車の装甲の薄弱さを痛感していた日本陸軍上層部も反対しきれなかったのだ)
そうしたことから、砲塔正面や車体正面では傾斜した80ミリ装甲を、一式中戦車は装備することになったのだ。
その代償として、一式中戦車は30トンを越えて、30トン台半ばの中戦車にまで拡大することになってしまった。
(史実で言えば、T―34戦車やM4中戦車と、ほぼ同規模の戦車に成る。
尚、四号戦車は25トン前後しかなく、そうしたことから、弱装甲の戦車に成らざるを得なかった)
そして、これだけの大重量の戦車を動かすとなると、それなり以上の大馬力エンジンが必要不可欠になるのは、止むを得ない事態だった。
こうしたことから、一式中戦車には、航空用のイスパノスイザ12Yエンジンが、戦車用エンジンに転用されて搭載される事態が引き起こされることになった。
その最終的なエンジンの性能だが、500馬力を発揮しており、30トン台半ばの戦車に搭載するエンジンとしては十二分な代物になっていたのだ。
尚、これだけの戦車である以上、実は色々と問題がありまして。
その辺りは次話で描きます。
追加、脱字がありました。
その為に感想が変な感じになりました。
本当にすみません、と平謝りに謝ります。
ご感想等をお待ちしています。




