第24章―1 英仏日等の陸上での反攻開始
新章、第24章の始まりになります。
尚、本格的に英仏日等の連合軍による反攻開始が描かれるのは、第24章の第6話以降で、それ以前は、日本の新型戦車、一式中戦車やそれに伴う周辺事情の描写になる予定です。
そんなことを妻の米内久子が、つらつらと考えている頃、夫の米内洋六は中佐に昇進していて、新たに編制された第4海兵師団所属の戦車大隊長を務めていた。
「これが日本陸軍及び海兵隊が、新たに装備することになった新戦車か」
米内中佐やその部下達は、自分達が乗りこんで戦う戦車に、圧倒される想いをしながら、訓練等に励む日々を送っている。
こんな想いをしているのは、自分が元々は海軍の軍人だからか、という考えが浮かぶこともあるが、そんなことはない、と自分の直属の部下で、第二戦車中隊長を務める西住小次郎大尉は言っている。
「これが、あの(上海事件の)ときにあったのなら、あれ程の事態はならなかったのに」
そう西住大尉は、新たに装備することになった一式中戦車を初めて見たというか、受け取った際に、米内中佐の目の前で滂沱たる涙を零しながら、述懐したのだ。
というか、号泣したと言っても過言では無かった。
ある程度、西住大尉の気が落ち着いてから、米内中佐は、西住大尉と向かい合って話をした、というか、西住大尉の想いの丈を聞かされることになったのだが。
西住大尉は、(この世界でも行われた)1937年9月初めの日中戦争、第二次上海事変に伴う上海にいる日本人や日本海軍特別陸戦隊を救う為の上陸作戦において、何とか89式中戦車と共に上陸することが出来た。
そして、他の部隊と協働して中国国民党軍の攻勢を跳ね返して上海への進撃を図り、其処にいる日本人を救援しようとしたのだが。
(一部、既述の描写と重なることになるが)そこに待ち構えていたのが、ソ連製のTー26やBT-7戦車等を装備して、ドイツ陸軍のグデーリアン将軍等に鍛え上げられた中国国民党軍の装甲師団を含む部隊だったのだ。
西住大尉の搭乗した89式中戦車は、それこそ中国国民党軍の装備したTー26軽戦車の前に鎧袖一触と言って良い悲惨な目に、緒戦で遭う事態となったのだ。
それから後、西住大尉他の戦車兵の多くというより殆どが戦車を捨てて、日中戦争が停戦に至るまでの間、単なる歩兵として戦う羽目になった。
西住大尉が口ごもりながら、米内中佐に長々と語るところに基本的に依れば。
「もう日本の戦車兵として屈辱というか、文字通りに泥に塗れる羽目に、あの時はなりましたよ。
何しろ、中国国民党軍が装備している軽戦車相手に、日本軍の中戦車は全く勝てない、と全世界に報道までされたのですよ。
実際に向こうの軽戦車が撃ってくる砲弾は、こちらの装甲を容易に貫通できる距離で、こちらが撃った砲弾は、敵の軽戦車の装甲を貫通できない現実があって、一方的にやられたのですよ。
日本の戦車は玩具だ、と中国人が笑っているぞ、と自分達、戦車兵は、味方の筈の日本の歩兵達に憐れむような眼で見られるまでの惨状でした。
憤りの余りに、それこそ対戦車爆雷を抱いて、
『一人一台だ』
と叫んで、中国国民党の戦車に自殺攻撃を仕掛ける同僚や部下まで、あの時はいましたよ。
『明日のために、今日の屈辱に耐えるんだ、それが日本男児だ』
と細見惟雄中佐(当時、1941年春現在は大佐)に懇々と諭されまして、最終的に自分は生き恥を晒すことにしましたが。
本当に生き恥を晒した甲斐がありました。
この戦車ならば、ドイツに勝てるでしょう」
実際、米内中佐や西住大尉が手にすることになった一式中戦車は、かつての89式中戦車とは全く違う中戦車に成っていた。
それこそ(二人は知らないことだが)この当時で言えば、ソ連のT-34中戦車には流石に見劣りするが、それ以外の戦車ならば、互角以上に戦える戦車として、それこそ日中戦争の戦訓を受けたことから、一式中戦車は開発が行われていたのだ。
ここで、西住小次郎大尉が出てくるのは、某アニメの影響にも程がある、とツッコミの嵐が起きそうですが。
史実でも、西住大尉は日中戦争で活躍しているので、この際に米内洋六中佐の部下として、登場させることにしました。
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