第23章―8
さて、この4月上旬のある日、日本陸海軍航空隊がルール工業地帯にある石炭液化、人造石油プラントを主目標とする爆撃に投入した戦力だが、大よその数になるが、海軍所属の重爆撃機部隊が約200機で直接の攻撃を行なうことになっていた。
又、陸軍所属の戦闘機部隊が約200機(その内の約100機が、ルール工業地帯に重爆撃機部隊が赴くまでの護衛任務を行ない、残りの約100機がルール工業地帯上空での護衛任務を引き受けることになっていた)、海軍所属の戦闘機部隊が約100機(この部隊はルール工業地帯を爆撃後、重爆撃機部隊が帰還する為の護衛任務を引き受けていた)の、延べ約300機が護衛任務に就いていた。
そして、これだけの大編隊の攻撃を阻止するとなると、ドイツ空軍にしても、それなりどころではない覚悟を持って、大編隊を出撃させざるを得ないのだが。
フランス本土に展開しているドイツ空軍の戦闘機部隊は、極めて腰が重い態度だった。
日本陸海軍航空隊が戦略爆撃を行なう際だが、基本的に高度6000メートル前後を飛行することが多かった。
これは少しでも対空砲火の被害を局限するとなると、少しでも高度を高く取る方が有利なのだが、そうは言っても、排気タービンが未装備等である零式艦上戦闘機(百式戦闘機)では、それこそ1万メートルを越えるような高高度飛行は困難というより、不可能に近いことから、妥協した結果として、6000メートル前後の高度での飛行を選択することが多かったのだ。
だが、そういった高度の重爆撃機を迎撃するとなると、ドイツ戦闘機もそれに対応した調整を行なうのが当然となるのだが、フランス本土に展開しているドイツ空軍の戦闘機部隊に所属する搭乗員の多くが、それを嫌がるのが現実だった。
彼らにしてみれば、高度1000メートル前後の低高度こそが主戦場になっていたのだ。
それなのに高度6000メートル前後まで上昇して戦え、とは無茶を言うな、というのが本音だった。
これは後述するが、ドイツ陸軍の地上部隊や補給部隊を支援するのが、フランス本土に展開しているドイツ空軍の戦闘機部隊の主任務になりつつあるからだった。
更に言えば、ドイツ空軍の主力戦闘機と言えるBf109は、こういった低高度での戦闘は不得手としか言いようが無かったのだ。
(先走った話になるが、1941年8月以降、ようやくFw190が実戦投入に可能な程に量産化が進むことで、やや状況が改善されたが、そうは言ってもFw190でも苦戦を強いられることになる。
唯、これはドイツ空軍の搭乗員の質が、相対的に英日仏等の連合軍の航空隊の搭乗員と比較して、練度が低下したためだ、という説も根強くあり、同じ腕ならば、互角以上にドイツ空軍は戦えたのだ、という主張が、後世ではドイツ人を中心になされている)
話がやや逸れたので戻すと。
この当時、フランス本土に展開しているドイツ空軍の戦闘機の多くが、少しでも低高度で戦えるようにしようと悪戦苦闘する事態が起きていた。
だから、数の優位が確実に確保できない状況においては、ドイツ本土への戦略爆撃を行なう日本陸海軍航空隊の迎撃を躊躇うことになっていたのだ。
自分達の主任務は、フランス本土に展開しているドイツ陸軍の支援であるという理屈までも、フランス本土に展開しているドイツ空軍の面々の多くが唱えていた。
結果的に、ルール工業地帯への戦略爆撃を、日本陸海軍航空隊は優位に行えることになり、加藤建夫少佐率いる戦闘機部隊は、この時は結果的と言えるが、ルール工業地帯上空まで護衛任務を遂行した上で、ドイツ空軍の戦闘機部隊と空戦を展開した後に、帰投するということになった。
言わずもがなかもしれませんが、少し補足。
日本側としては、ルール工業地帯に赴くまでに数度の迎撃戦闘が行われると警戒しており、そうなると戦闘機の銃弾が尽きてしまうので、戦闘機隊を交代で護衛させる前提で計画行動していました。
ですが、迎撃戦闘が無かった為、加藤少佐達までルール工業地帯まで護衛することになりました。
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