第23章―3
ともかく日本製のみならず、米国製の様々なモノを調達する必要が、欧州に展開している日本陸海軍航空隊にあったことも、陸海軍の協調を積極的に進める事態を引き起こした。
更にこういった協調体制の結果として、かつての日本陸海軍の対立を良く知る面々からすれば、驚異的な出来事が起こるのも当然のことだった。
「全く自分達が、海軍航空隊の護衛を務めるとはね」
加藤建夫少佐は、苦笑するような口調で独り言を言わざるを得なかった。
尚、加藤少佐自身は、今日は海軍の重爆撃機部隊が、ルール工業地帯を爆撃に赴く途中までの護衛任務に部下の陸軍航空隊の面々と共に就いている。
「独り言は言われない方が良いですよ。部下どころか、下手をすると、海軍航空隊の面々にまで聞こえかねません。一応は、音声通信のチャンネルは、部隊毎に変えることになっていますが、こっそり聞き耳を立てられているかもしれませんから」
それを聞いた丸田文男大尉が、茶々を入れた。
「おう、よく注意をしてくれた。そういった注意の声まで聞こえてくる」
加藤少佐が即答すると、他の部下の面々が笑いだし、その笑い声が無線越しに部隊内に広まった。
「それ位にしろ。それにしても、音声通信まで、それなりに綺麗に聞こえるようになるとはな。そして、気を抜くなよ。気を抜いた時こそ、敵は襲い掛かってくるものだ」
加藤少佐は、部下を軽くたしなめつつ、注意した後、自らも気を引き締めて、周囲の警戒に気を配りながら、色々と考えざるを得なかった。
それにしても、音声通信が綺麗に聞こえるようになったものだ。
つい最近まで、ろくに通信ができないことから、通信機は戦闘の際には単なる重荷にしかならない、として自分の愛機から取り外して、少しでも性能向上を図ろうとする、ある意味では不届き者(独断で自機を改造するのは、本来からすれば、厳重処罰される行為である)が、当たり前のようにいて、皆でやれば怖くない、という有様だったのだが。
欧州に自分達が赴いてみると、整備兵の面々が懸命に努力すると共に、米英等から様々な支援を受けられるようになったことから、単座戦闘機でも、音声通信が当たり前になりつつあるのだ。
(多座の重爆撃機ならば、もっと状況が良い、とも自分達は聞いている)
その為に、戦闘に突入した際には、通信を駆使して、複数機で連携して戦闘を行なう、というのが徐々に当たり前になりつつある。
そして、話は変わるが。
陸軍航空隊も重爆撃機部隊を編制して、欧州に送り込んでいない訳では無いのだが、米国製重爆撃機を受け取る時期が海軍航空隊より遅れた為に、1941年4月現在では慣熟訓練に手一杯なのが現実で、実際にドイツ本土への爆撃行となると、後1月は少なくとも時間が欲しい、というのが現実だ。
更に言えば、隠微と言えば隠微な話になるが、米国が最初に日本海軍航空隊に提供したのは、B-18ボロだったのだ。
流石に低性能過ぎる、と日本海軍は抗議することになって、それに英仏等の政府、軍も加担した。
それで、B-23ドラゴンが、日本海軍航空隊に改めて提供されることになったのだが。
何とも皮肉なことに、第二次世界大戦は過熱化しつつあり、その為に米国政府、軍にしても、B-24やB-17の量産に力を入れる事態が生じてしまった。
その為にB-23は量産化されているといっても、余り力が入っているとは言い難いらしい。
それで、欧州に駆けつけた陸軍航空隊には、まずは海軍航空隊からB-18ボロが提供されて、米国製重爆撃機の運用に成れようとする事態が、止む無く生じてしまったのだ。
そして、そういったことが、陸軍航空隊の機種改編が遅れる事態を引き起こしたのだ。
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