第23章―1 日本陸海軍航空隊の欧州戦線への本格参戦とユダヤ人部隊の奮戦
新章の始まりになります。
「何とかなったわね」
1941年4月初め、米内久子は空を舞う日本陸海軍航空隊が協働で、ドイツ本土への戦略爆撃を本格的に行なおうとしているのを見て、改めてそう考えていた。
実戦に投入される重爆撃機部隊が、日本製ではなく米国製のBー23ドラゴンを装備しているのが、何とも言えない話だが、Bー18ボロでないだけマシと考えよう。
それに護衛戦闘機部隊は、世界最高と言ってよい。
日本が誇る陸軍航空隊で言えば百式戦闘機、海軍航空隊で言えば零式艦上戦闘機が、護衛戦闘機として任務を果たすことに成っており、それこそブレスト近郊を出撃して、ドイツが誇るルール工業地帯まで悠々と護衛任務を果たす事が出来るのだ。
かなり力を落としたとはいえ、ドイツ空軍の戦力は、まだまだ侮れない以上、護衛戦闘機部隊は複数に分かれて行動せざるを得ないのが現実で、例えば、ルール工業地帯を爆撃しようとする場合、ルール工業地帯直前まで護衛する部隊、ルール工業地帯上空で直接護衛する部隊、更に帰還を援護する部隊、と3つに分かれて、行動せざるを得ないのが現実だ。
だが、ドイツの国民に与えている精神的影響は甚大らしい。
フランス本土の大半を抑えている筈なのに、フランス本土上空を悠々と通過して、劣等民族の日本が造った単座戦闘機がルール工業地帯上空を飛んでいる、又、先日はベルゲンを出撃したベルリン上空を単座戦闘機部隊が悠々と飛翔して、それを迎撃したドイツ空軍が敗北した、という現実を前にしては。
(尚、ベルリン上空を飛翔する際には、敢えて日本陸海軍航空隊は、戦闘機部隊のみで赴いている。
重爆撃機部隊を随伴していては、それを護衛する必要があるからだ。
そして、それを迎撃に来たドイツ空軍の戦闘機部隊を返り討ちにすることで、ドイツ国民に対する精神的な影響を与えることを図ったのだ。
更に日本陸海軍航空隊は、その任務に成功した次第だった)
先の世界大戦時には、こんなことは無かった。
ドイツ上空を悠々と敵機が飛び交い、爆弾を投下するとは、ドイツの敗北は間近いのではないか、そういった声が、ドイツ国民の間では急速に広まっているらしい。
そういった噂が、久子の耳に入ってくる。
実際、久子が考えてみても、その精神的影響は甚大なのが推測できる。
何しろ、何かにつけて劣等民族、劣等人種と見下してきた日本人が製造し、日本人が操縦する戦闘機が首都ベルリン上空を飛翔し、空中戦で勝利したのだ。
ベルリン市民は衝撃を受けるだろうし、そして、それを見た人は周囲に話すだろう。
又、ルール工業地帯でも、似たようなことが起きているのだ。
緘口令が敷かれるだろうが、そういったことは却って、逆方向に話を広げることになるだろう。
勿論、それで敵愾心が更に高まる人もいるだろうが、実際には多くの人が祖国ドイツの敗北が間近い、と考えるのではないだろうか、久子はそんな風に考えながら、B-23ドラゴンの整備に勤しんだ。
さて、久子の考えは極めて正しい、と言えた。
ドイツの国民の戦意に、このことは多大な影響を与えつつあった。
さて、少なからず話は変わるが。
当初は欧州戦線で戦う日本軍は海軍のみの予定だったが、それこそ海兵隊の急拡張という非常事態が起きたことから、日本陸軍から海兵隊にそれなりの士官や下士官を出向させることになったのだ。
そうなると、陸軍本体としても、それなりのことを欧州に赴く陸軍軍人の為にせねば、という心境に上層部の多くが成り、様々な理屈をつけて、複数の航空隊を欧州に派遣することになったのだ。
更に欧州という日本に遠く離れた場所である。
欧州の日本陸海軍は、補給等の観点からも積極的に共闘することになった。
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