第22章―2
だが、セルビア人がユーゴスラヴィア王国の主導権を握るということは、他の諸民族から反感を買うことにもなった。
特にクロアチア人が、このことに強烈な反感を抱いた。
同じ言語を話すのに、何故に其処までの反感を抱くのか。
外部の人間から見れば、おかしなことのように見えるが、セルビア人とクロアチア人は、同じ言語を話すとはいえ、表記法として主にキリル文字を用いるセルビア人に対し、主にラテン(ローマ)文字を用いるクロアチア人というように、文字からして違うのだ。
更に言えば、お互いに自分達の文字を相手が使うべきだ、と主張し合う間柄である。
それに加えて、既述だが、セルビア人は東方正教徒が圧倒的多数なのに対し、クロアチア人はカトリック信徒が圧倒的多数という背景が加わる。
(尚、こういった背景が、表記法に使う文字が違う最大の原因だった。
カトリック教会は、ラテン文字を使うが、東方正教会は、キリル文字を使うからだ。
だからこそ、セルビア人とクロアチア人は、中々、表記法について妥協ということが出来ないのだ)
後、余談に近い話になるが、イスラム教徒が多数を占めるボシュニャク人も同じ言語を話すが、標準的な表記法については、中々確立せず、19世紀以降にラテン文字を使用することが徐々に増えて、支配的に成っていった。
これはボシュニャク人の知識階層がイスラム教徒で、オスマン帝国の支配下にあることもあり、文書を作成する際は、アラビア語やトルコ語を基本的に使用したことから生じたことだった。
(それこそ中世の中西欧において、ラテン語で文書が主に作成されたようなものである)
こういった宗教絡み、更には文字問題等が、ユーゴスラヴィア王国の統合を困難にしていたのだ。
更に言えば、ユーゴスラヴィア王国内には、クロアチア人のみならず、ボシュニャク人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人がいて、他にもジプシー(ロマ)等の様々な少数民族もいる。
こういったことが、ユーゴスラヴィア王国の統合を困難にしていたのだ。
そして、少しでもクロアチア人の反発を宥めるために、又、ドイツ政府、更にはローマ教皇庁の意向を受けたイタリア政府の暗黙の圧力が掛けられたことから、1939年8月にユーゴスラヴィア王国はクロアチア自治州の設置を認めることになった。
更にクロアチア自治州には、独自の議会が置かれることになった。
だが、このことは全くの弥縫策に過ぎなかった。
クロアチア人の過激派、ウスタシャ等は、この自治州設置に全く満足しなかった。
ウスタシャ等にしてみれば、クロアチアの分離独立のみが、唯一の解決策だったのだ。
そして、クロアチア自治州内のクロアチア人以外、セルビア人等は自らの地位を不安視することになり、又、ユーゴスラヴィア王国内の何処までが、クロアチア自治州として認められるのか、についても、双方が不満を抱く事態が生じた。
特に、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域の分割問題が大きかった。
双方の代表が話し合った末、大雑把に言ってボスニア・ヘルツェゴビナ地域の西部の一部が、クロアチア自治領になったのだが。
クロアチア自治州側は、その後も、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域全てを、クロアチア自治州に帰属させることを求めることになったのだ。
一方、ユーゴスラヴィア王国側にしてみれば、本来から言えばボスニア・ヘルツェゴビナ地域全てが、クロアチア自治州に帰属すべきモノではなく、ユーゴスラヴィア王国領、更に言えば、セルビア領であるべきだったのだ。
ともかく、こうした背景から、ユーゴスラヴィア王国内では、民族、宗教の違いによる不満がくすぶり続けており、遂には武力衝突が起きたのだ。
感想返しにも書きましたが。
セルビア語とクロアチア語では、表記法に使う文字が違うのです。
更に言えば、その背景にお互いが主に信仰する宗教も絡むのです。
その為に、相手の文字に関する主張を受け入れるのは、信仰も是認するのか、と言われかねない程の大問題になるのです。
(完全に余談になりますが、21世紀現在になっても、現実世界ではカトリック教会と東方正教会はお互いの教義が間違っている、と非難しあっており、完全な合同どころか、フルコミュニオン関係さえも拒絶し合っているのが、現実なのです)
そんなことから、この問題の解決は現実世界でも大問題になるのです。
ご感想等をお待ちしています。




