第20章―3
第3話は、米内久子が主な話になります。
そんなことをカテリーナ・メンデスが考えていること等、その頃の米内久子にしてみれば思いも寄らぬことだった。
米内久子とその周囲は、ある意味ではだが、それ以外のことで手一杯で、1940年の年末を過ごす事態が起きていたのだ。
「年越し蕎麦は、こんな感じで良いかしら」
「色々と考えるところもあるけど、ここではこれが精一杯ね」
「確かに蕎麦粉が8割、小麦粉が2割の文字通りの二八蕎麦は何とか作れるけど、それ以上のことが、この場ではできないわね」
米内久子とその周囲は、そんな泣き笑いというか、そんな会話を交わしていた。
米内久子は、自らの眼前に広がる光景に何とも言えない想いがしていた。
それこそ、お互いに拘りあっては限度が無いのが現実だ。
だから、ある程度は譲り合って、年越し蕎麦を作ろう、という話に当初はなっていたのだが。
その結末が、こうなるとは。
米内久子らの前で作られている蕎麦料理は、ガレットになっていたのだ。
「お互いの居る、この土地に合わせた年越し蕎麦を作った、と割り切るしかないわね」
「ここでは蕎麦粉は手に入るけど、色々と出汁の原料とか、色々なモノが手に入らないからね」
そんな会話を、この場に居る女性の面々は交わしていた。
そう、最初はお互いに譲り合いましょう、という話だったのだが、何時か、これはどうにも譲れない、という話が噴出することになっていた。
其処で自分が提案したのが、
「この際、この土地の蕎麦料理を作って、それを年越し蕎麦にしましょう」
ということだったのだ。
この場に居る女性補助部隊の面々にしても、お互いにどうにも譲れない話というのはあるのだが、それに拘っては、年越し蕎麦が作れなくなるのが、全員の目に見えていたことから、久子の提案は最終的に受け入れられることになった末に、眼前の事態が起きていた。
更には、想わぬ来訪者達を、自分達は受け入れることにもなっていた。
「これは」
「ガレットという、この土地の料理よ。ユダヤ人は(西暦に従った)年越しを祝う習慣は無い、とのことだけど、この際に貴方達を少しでも慰問したい、と考えたの。それにハヌカという祝いの行事をしてもいるのでしょう。日本人からのハヌカに対する贈物として見て貰えないかしら」
「有難うございます」
アンネ・フランク等、この地に難民として滞在しているユダヤ系ドイツ人達にしてみれば、日本海軍の女性補助部隊から招待されて、この地の蕎麦料理を振る舞われることになるとは、本当に思いも寄らないことで、招きに応じた多くの者が感泣することになっていた。
「私達なりに、ユダヤ教の戒律に従って、ガレットを準備したわ。だから、牛乳のチーズと牛肉の組み合わせとかは避けたのだけど。後、豚肉とかも使っていないわ。でも、うっかり戒律に反するようなことをしていたら、本当にごめんなさいね」
「其処まで配慮して貰えるとは」
久子らが掛けた言葉は、ユダヤ人達の泣き声を更に大きくさせた。
それこそ、自分達は世界中から受け入れ拒否をされている身と言っても過言ではない。
そういった自分達を、日本人の彼女達は、同情心から来るモノで、ほんの一時の代物とはいえ、ここまでのことをしてくれたのだ。
「さあ、一緒に食べましょう」
「はい」
久子達とユダヤ人達は、食卓を共に囲んで、ガレットを食べて、一時の憩いを楽しんだのだ。
アンネ・フランクは、この日の出来事を、次のように日記に書き記した。
「私は、この時に食べたガレットの味を、絶対に生涯、忘れまい、とここに誓う。異教徒でも、此処まで暖かく歓待してくれる人がいるとは。本当に美味しかった、と涙を零しつつ、人の善性というのを、私は心から信じる気になった」
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